2012/09/24

けんちくのチカラ 女優の有馬稲子さんと「可児市文化創造センター」

可児市文化創造センター
◇『はなれ瞽女おりん』の有終を飾った劇場

 女優、有馬稲子さんの代表的な舞台『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』(水上勉原作、木村光一演出)は2004年2月、ある地方の劇場で最終公演を迎えた。初演から実に24年間、海外も含めて684回を数えていた。2年目のころ、傾斜する舞台で酷使した足を傷め、以来痛みを押しての公演だったが、「感動的で、優れた内容のお芝居だったので続けられたのだと思います」と話す。その有終を飾った劇場は岐阜県の可児市文化創造センター(愛称・ala)だ。とてもいい劇場だったと振り返る。「どの席からでも舞台が本当によく見えるのが素晴らしい。そして演技する側にもとても使いやすくつくられていました」。有馬さんは、全国のさまざまな劇場、ホールを経験しているが、その中でも同センターは特筆に値するという。


◇すべての席から舞台がよく見える

 「『はなれ瞽女おりん』の最終公演の劇場が可児市文化創造センターというところでした。この劇場が素晴らしく良かった。なぜかといいますと、客席が1000人ほどの大きさなのですが、どの席からでも舞台が本当によく見えるんです。これは役者にとっても一体感があってすごく演じやすい。それと、楽屋、舞台への動線などもとても使いやすくつくられていました」
 そこには実は有馬さんもよく知っている人物がかかわっていた。
 「24年間、『はなれ瞽女おりん』のほとんどの舞台監督を務めてくださった三上司さんというおもしろい方がいまして、その人が可児市に請われて劇場建築でアドバイスをしていたんです。684回ですから全国のいろいろな劇場に行きました。演劇鑑賞会という全国にある組織主催で、500カ所くらいでしょうか。そのほとんどで、三上さんが劇場に真っ先に入ってセットを組むわけです。だから、とにかく多種多様な劇場の特質を知っていました。そのノウハウが詰め込まれたのが可児市文化創造センターです。彼を呼んだ市の責任者はそのことをよくわかっていたということです」
 有馬さんの舞台は、ほかにも『越前竹人形』や『噂の二人』などの名演があり、これらを含めると相当数の劇場を経験してきた。その慧眼にかなったのが可児市文化創造センターだった。
 「日本の劇場は歌舞伎を出発点にしている歴史があるので、舞台の間口は広いのですが、奥行きがないところも多い。『後ろ』がないのは不便ですね。自治体に財政的な余裕があった時、劇場やホールがたくさんつくられましたが、舞台関係者などの専門家の考えをあまり取り入れていないと思います。見た目が良い劇場には、楽屋から舞台やトイレが遠いなど、動きにくいところがけっこうあります」
有馬さんの代表的な舞台『はなれ瞽女おりん』は24年間続き、
684回で最終公演となった-地人会公演より


◇香山壽夫建築研究所が設計

 同センターは、従来の多目的ホールを超える本格的な「劇場」をコンセプトに計画。三上さんという経験豊かな舞台監督が運営面までもアドバイスしたこと、さらに音響など多様な専門家の考え、劇場建築で実績を持ち、市民とのワークショップを重視した香山壽夫建築研究所の設計が総合的にバランスして成功に結びついたといえる。
 「最後の打ち上げ公演で、24年間使ったセットの鉄骨が折れちゃったんです。それと同時に私の足も、壁をつたいながら歩かなければならないくらい限界にきていました」。最終公演後には足に人工関節を入れるほど損傷していたという。「それでも続けられたのは、『はなれ瞽女おりん』というお芝居の内容が素晴らしかったからですね」
 19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで起こった美術運動「アール・ヌーヴォー」の建築が好きで、ベルギー・ブリュッセルで見た建築家、ヴィクトル・オルタのオルタ邸(現在は美術館として開放、世界遺産)は、アール・ヌーヴォーの中でも傑作の一つではないかという。
 「階段の手すりなど流線形のデザインがいいですね。美しい建築は忘れられません。それと人間が人間を愛していた時代でしょう。だから好きなんです」
 幼少のころから小学生まで、韓国の釜山で過ごした。「日本人の通う小学校が11校あって、私が住んでいた龍頭山神社の一帯は日本の街並みでした。家から歩いて15分くらいのところがもう海で、漁船がいっぱい。ですからいまでも港町が好きです。この景色が原風景になっているのだと思います」
 現在、朗読と講演で月2、3回、全国を回る。「1999年に瀬戸内寂聴先生の『源氏物語』の朗読を始めたのが最初です。今は短編なども朗読して、その後に人生のお話をさせていただいています。朗読は一人芝居のような感じです。これからも続けていきたいですね」

 (ありま・いねこ)大阪府池田市生まれ。1948年宝塚音楽学校入学。49年『南の哀愁』で宝塚デビュー。53年東宝映画、55年松竹へ移籍。映画女優として『夜の鼓』『彼岸花』『浪花の恋の物語』『わが愛』など数々の名監督の作品に出演。63年舞台『浪花の恋の物語』で中村扇雀(現・坂田藤十郎)さんとの共演が評判となり、その後『奇跡の人』『風と共に去りぬ』『雨』『越前竹人形』と秀作・名作の舞台でヒロインを演じた。特に、水上勉原作『はなれ瞽女おりん』は日本中で684回の公演を数える有馬さんの代表作である。89年芸術選奨文部大臣賞、95年紫綬褒章受章、2003年勲四等宝冠章叙勲など受章多数。現在は、ドラマや朗読、講演などを中心に活動している。
建設通信新聞 2012年7月27日14面(見本紙をお送りします!)

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