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建設工事の動きDigital

建設専門紙が本気でつくった工事データベース

ラベル シリーズ戦後70年 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2015/12/23

【シリーズ戦後70年】担い手3法施行、産業再生へ――見えぬ地方業界の動き


 戦後70年--。建設産業は、日本経済の成長と歩調を合わせる形で産業規模を拡大してきた。その間、その時代の問題解決へ幾多の政策が打ち出されたが、供給量と需要との乖離(かいり)、いわゆる需給ギャップが解消されず根本的な構造問題を抱え続けている。しかし今、人口減少に伴う担い手確保・育成、生産年齢人口減少とインフラ高齢化への対応、取り巻く環境や顧客自らの変革に伴う要求の変化を受けた生産性向上など、建設産業に対して変化を求める動きは、過去と比較してとてつもなく強い。大きな地殻変動の正体と今後を展望する。

2015/12/20

【シリーズ戦後70年】国土交通省誕生~品確法、改正独禁法、脱談合の大転換の先は


 脱談合、品確法と改正独禁法という戦後の建設産業界にとって最大の転換点となった3つの契機は、2001(平成13)年に始まった。1月、中央省庁再編に伴い建設省と運輸省などが統合され国土交通省が誕生。4月の小泉政権発足が、3つの契機を事実上決定づけた。当時、金融機関の不良債権処理問題の余波で、上場ゼネコンも相次ぎ破たん、地方建設業界は貸し渋り・貸しはがしに直面した。公共事業削減を鮮明にした小泉政権下で、首相の意向を受け独禁法改正という攻勢に出た公正取引委員会と「高落札率=談合」風潮に対して唯一対抗する手段として品確法は一縷(いちる)の望みだった。

2015/12/14

【シリーズ戦後70年】「旧来のしきたりからの決別」――“脱談合宣言”で大転換期へ


 2005年11月の大手5社による入札談合など法律違反行為は一切行わないことの申し合わせ(5社合意)、06年4月の「透明性ある入札・契約制度に向けて--改革姿勢と提言」で打ち出した「旧来のしきたりからの決別」、いわゆる“脱談合宣言”は、発注者・コンサルタント・設計など建設産業界全体を巻き込んだ最大の転換点だった。指名競争から一般競争への大転換、小選挙区制移行、発注者を規制する官製談合防止法制定、営業停止と指名停止期間を発注者が大幅延長する中、改正独禁法と品確法が大転換を決断させた。静岡事件以降、さまざまな取り組みを進めてきた建設業界にとっても最後のチャンスだった。写真は2006年4月の土工協理事会・総会後の会見の様子。

2015/12/13

【シリーズ戦後70年】地方業界にとって戦後最大の転換点「一般競争入札本格導入」


 建設投資額を80兆円台まで押し上げたバブル景気は、1990(平成2)年3月の大蔵省(現財務省)による「金融機関の不動産業向け融資の総量規制」通達によって引導を渡され、その後、一気にしぼむことになる。しかし一方で、バブルの崩壊以上に深刻な事態が同時進行で起きていた。独禁法違反や収賄事件がたび重なったことによる、指名競争入札から一般競争入札を原則にする公共工事の入札・契約制度の大転換だ。そしてこの一般競争入札本格導入を前提に策定されたのが、95(平成7)年の『建設産業政策大綱』だった。その後、減少の一途をたどる公共事業費と激化する一般競争入札は、地方業界と発注現場にも大きな影響を与えた。

2015/12/07

【シリーズ戦後70年】建設業・夏の時代 産業行政への転換からバブル期へ

 ■バブルが問題意識を麻痺/業行政から産業行政に
 建設省の業行政は静岡事件を契機に、指名競争入札を前提とした独占禁止法(独禁法)と建設業の商慣習との関係整理、建設産業近代化支援など多くの課題に直面していた。また当時の建設省幹部からの「もっと建設業課が評価されてしかるべき」との声を追い風に、83(昭和58)年4月に誕生したのが「建設業構造改善対策官」だった。翌84年には構造改善対策官を始め課長補佐が事務局を切り盛りする「建設産業ビジョン研究会」がスタートした。学識者や行政だけでなく業界関係者も参加しての市場分析を含めた産業ビジョンは、建設省だけでなく業界にとっても初めての取り組みであり、建設省にとっては産業行政への転換を打ち出したものとなった。

2015/12/06

【シリーズ戦後70年】建設業・冬の時代 「静岡事件」の衝撃


 1981(昭和56)年度、名目建設投資が初めて50兆円の大台に乗った。しかしこの年は、前年80年からバブル期に入る86(昭和61)年までの「建設業冬の時代」の入口であり、建設省と建設業界にとって最大の試練を迎えた年でもあった。9月に静岡県内の業界団体に公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで立入検査に入った、いわゆる「静岡事件」である。政府の緊縮予算編成が続く中での静岡事件は、建設省が指名競争入札でそれまでの10社指名から20社指名に変えることで、大手から中小企業までダンピング(過度な安値受注)問題を深刻化させるなど、混乱に拍車をかけた一大出来事だった。画像は1982年の本紙紙面。

2015/12/05

【シリーズ戦後70年】彰往考来・高度経済成長の時代 超高層ビルと道路整備


 終戦から10年後の1955(昭和30)年、国際収支は黒字に転じ工業生産と実質国民総生産は戦前のピークを上回り、「戦後経済最良の年」(56年版経済白書)と言われ、白書に盛り込まれた「もはや戦後ではない」は流行語になった。これが、その後の比較的長期の好況局面と短期の不況局面を合わせた、「高度経済成長」の始まりとなった。56年から73(昭和48)年までの平均経済成長率9.1%の高成長による拡大経済基調を背景に、建設産業規模も拡大、建設業の上場も相次いだ。建設産業は73年の第1次オイルショックの混乱をくぐり抜け、バブル期まで市場をさらに伸張させることになった。

2015/11/29

【シリーズ戦後70年】彰往考来・1945年建設省誕生 建設業法制定で産業拡大へ


 戦後復興期、建設産業界にとって最も大きな出来事が2つある。1つは、1945(昭和20)年に誕生した戦災復興院、47(昭和22)年12月末の内務省解体廃止に伴って戦災復興院と内務省国土局によって行われてきた建設行政が、48(昭和23)年1月に統合される形で建設院として発足。さらに省への格上げの形で実現した建設省誕生(同年7月)だ。もう1つは翌年5月に成立、8月から施行された建設業法制定だった。建設省誕生は本格的な建設行政の始まりを、また建設業法制定は建設業が請負業として確立されたことを意味した。明確な所管官庁の誕生と業法によって、建設産業はその後大きく拡大していく。
 写真は1961年の東京タワーとその周辺(日本民間放送連盟『民間放送十年史』1961年より)。

2015/11/23

【シリーズ戦後70年】彰往考来・成長から成熟へ 「70年の動き」年表

■戦後70年の動き
 2001年1月6日、国土交通省が発足。写真は国土交通省の看板をかける扇千景大臣(当時)。国土交通省HPより

【シリーズ戦後70年】彰往考来・成長から成熟へ [1]3つの転換点


 戦後70年という節目の年である2015年も終わりを迎えようとしている。日本にとってこの70年は、戦後復興から高度成長期、安定成長期、低成長期という3つの成長期を経て現在に至る軌跡となる。この中で戦後復興から高度成長期の需要増を背景に国民所得に対する建設業の割合は、1950(昭和25)年度の4.1%から、63(昭和38)年度には7.2%まで拡大、75(昭和50)年度には国内総生産(GDP)の1割近くを建設業が占めるまで拡大した。一方で建設産業界はこの70年間、産業規模拡大の中、さまざまな転換点に直面してきた。この転換点は建設産業にどのような影響を与え、今と今後にどうつながっていくのか。
 写真は自民党内の会議。行政の動きは今後、どうなっていくのか――。