2013/11/03

【けんちくのチカラ】新しい歌舞伎座と日本舞踊家の麻生花帆さん

日本舞踊家、邦楽演奏家、俳優として伝統芸能を拠り所に新しい総合芸術を実践している麻生花帆さんは、11歳の時に数回だけ立った歌舞伎座の舞台が表現活動の原点だ。女性は子役だけが出演できる。「伝統芸能の魂が宿る『板の上』に自分も乗ることができたんだと、すごく感動したのを覚えています」。その感動のエネルギーが、歌舞伎公演にはもう立つことができないであろう女性として、後に新たな伝統芸能の表現を考える契機になった。演じた長唄舞踊『春興鏡獅子』の胡蝶が、獅子頭に魂を宿らせたように、いまは麻生さん自身が観客の魂に呼び掛ける胡蝶として、自由な舞に挑戦している。



◇子役で立った「板の上」


歌舞伎役者の松本幸四郎さん一家と家族ぐるみで親しくしていた縁もあって、6歳から幸四郎さんに師事し、日本舞踊を学び始めた。歌舞伎座には、幸四郎さんなどの公演を見るため、小さいころから毎月のように母と出かけた。
 「歌舞伎座は、小さいころから楽屋にも出入りしていましたので、よく知っている親しみのある空間でした。同時に、現代も江戸時代の芝居小屋の息吹を伝える伝統芸能の聖域であるとも感じていました。男性しか立つことができない舞台……。そう思っていたのですが、たまたま別の場所の舞踊会で演じていた『春興鏡獅子』の胡蝶役を松竹の方がご覧になって、これを歌舞伎座の興業でと言ってくださいました。女性は子役の時だけ出演できるんです。幸運でした。あっ、ついに出ることができるんだと。伝統芸能の魂の宿る『板の上』に自分も乗ることができるんだと、ものすごく感動したのを覚えています。まだ11歳でしたが、一方で責任も強く感じました」

◇歌舞伎座ならではの提灯

 舞台から見た客席は鮮明に焼き付いている。
 「お客さまの顔をすごく見ていたと思うんですよ(笑)。私はありがたいことに、いまでも舞台で緊張するということがほとんどないんです。そのせいかこの時もじっと客席を見ながら踊っていました。舞台が横に広い、バーンとした小屋ですので、舞台で演じているという実感がとても強い。邦楽は響き過ぎるのは良くないのですが、ここは本当にその響きが歌舞伎のためにつくられている感じがします。後ろのお囃子の音もしっかり聞こえました。観客として立ち見席からも見たことがありますが、マイクがないのに最上階の奥までしっかりと音が届いていました」
 指導をしてくれたのが二代目尾上松緑さん。亡くなる前年、病気をおしての指導だったという。
 「舞台稽古で、ここはこういう気持ちでなどと教えていただいた。松緑さんに実際にお目にかかってお話を聞くということがどれほど貴重なことだったか。いまの自分に大きな影響を与えていただきました」
 客席の提灯は歌舞伎座ならではの風景だ。
 「振り付けの先生に、決めのポーズの時には、何個目のあの提灯を見るようにと言われたのを覚えています。数回だけ立った舞台と足繁く通った観客席から見た舞台。それが身体に染み付いています。私のいまの表現活動の基準といいますか、原点がこの歌舞伎座にあります」

◇12歳で始めた小鼓


5、6歳のころ、あるお菓子のテレビコマーシャルで、鼓の音色が鮮やかに聞こえる場面に遭遇し、「これをやりたい」とずっと言い続けていた。
 「いま思うと『ポン、ポン』という音に、心からの浄化される感覚が心地よかったみたいです。それまで歌舞伎で鼓の音は聞いていましたが興味を持っていなくて、CMで気に入ってしまったんです。それで12歳で小鼓を始めました。きっかけはどこにあるか分からないですね」
 日本舞踊と小鼓という日本の伝統芸能を身につけて、東京芸大に進むころ、日本の芸能をやっていて本当に良かったと思い始めたという。
 「小さい時は周りの友達のやっているバレエをやりたいと思っていました。母が日本舞踊をすすめたのですが、『歳を重ねれば重ねるほど味が出てくる芸能なんて世界中どこにもない』ということで身につけさせたかったようです。それが大学に入るころ分かってきました」

◇総合芸術の原点

 大学で古典芸能を学ぶうちに、疑問がわき、女性だからできる発展的な形を考えるようにもなった。いま、その伝統芸能を拠り所にして踊りを超え、音楽を超え、演劇も超える総合芸術を目指して、一人芝居などを実践している。
 応援してくれた歌舞伎座の大道具の元棟梁には「君には歌舞伎座がついているから大丈夫だよ」と心強い言葉をもらったと話す。元棟梁は亡くなったが、いまも大道具のスタッフがその心意気を継いで応援してくれる。小さい時から親しくしていた松本幸四郎さんが、歌舞伎だけでなく、現代劇やミュージカルを国内外で演じていることにも大いに触発された。国内外で高い評価を受けた『春琴』(Simon Mcburney演出、世田谷パブリックシアターで初演)に出会い、俳優として出演。小鼓を効果的に使ってもらったのも新しい伝統芸能の形だと感謝する。
 「阿国歌舞伎が伝統のからを破っていまの歌舞伎を生んだように、伝統芸能も守るところといまの感覚で変えていくところが必要だと考えています。総合芸術の方向を思案する時、立ち返る原点が歌舞伎座の舞台です」

 (あそう・かほ)東京芸術大学大学院音楽研究科博士課程修了。邦楽囃子を含む三味線音楽系統では初の博士号を取得。学部在学中、安宅賞を受賞し、サントリーホール主催デビューコンサート「レインボー21」に出演。古典の枠に留まらず、洋楽や美術、文学などとのコラボレーションに次々挑戦し、日本国内だけでなく海外においても“和が奏でる魅力"を伝えている。
 坂本龍一総合プロデュース「Lohas Classic Concert」、NHK教育テレビ「花鳥風月堂」「いろはに邦楽」「音楽のちから」、NHKラジオ深夜便等に出演。また俳優としても活動しており、小澤征爾復活公演のサイトウキネンフェスティバルではストラヴィンスキー作曲「兵士の物語」のプリンセス役、Simon Mcburney演出「春琴」に出演。最近では自分にしかできない舞台をと音楽や舞を取り入れた一人芝居に積極的に挑戦するなど、自身の美意識に基づいた独自の舞台表現を展開している。
 囃子を藤舎呂船に師事し「藤舎花帆」の名で、また日本舞踊を松本幸四郎に師事し「松本幸妃」の名で活動。
 HP:http//www.kaho.jp/
〈コンサート等情報〉▽12月16日=政府主催「拉致問題チャリティーコンサート」(第一生命ホール)▽12月25日=「藤舎流囃子研究会」(国立劇場)▽CS旅チャンネル「ホリスティックな休日」に出演中

◇吉田五十八デザインを踏襲
 設計・監理=三菱地所設計隈研吾建築都市設計事務所


第4期歌舞伎座
第5期歌舞伎座
ことし2月に竣工した新歌舞伎座は、明治22年(1889年)に東京・銀座の木挽町に開場した第一期から数えて五代目、「第五期歌舞伎座」となる。設計・監理を三菱地所設計、隈研吾建築都市設計事務所、施工を清水建設が担当した。日本的薫りを高めることに主眼が置かれた吉田五十八設計の第四期歌舞伎座の意匠が、ほぼそのまま受け継がれている。
 吉田五十八デザインを踏襲しながら、エスカレーター、エレベーター導入によるバリアフリーを図ったり、客席のゆとり・見やすさ、天井の空調設備、舞台装置、音響などに最先端の技術を結集させている。
 松竹が重要なコンセプトの1つにした「時間の継承」は、外観だけでなく内部空間の踏襲にも示された。
 劇場監修を手掛けた建築家の今里隆さんは、第四期歌舞伎座で師匠である吉田五十八の下で実際の設計にかかわった。内部空間との出会いの場でもある「大間」(ロビー)の重要性をこう指摘する。
 「正面玄関を入ると広がる吹き抜けの大間は、歌舞伎という非日常世界への入り口として重要な役割を果たします。吉田五十八設計を再現することを基本に、古代朱の丸柱は全く同じ場所に設置しています。そして、●(=きへんに眉)間の金霞の西陣織、緋色の地に平等院鳳凰堂内の文様をデザインしたじゅうたんのコラボレーション。これらを天井の間接照明が柔らかな光でそれぞれの色を浮き立たせ、豪奢な雰囲気をつくることができました」
 舞台は「歌舞伎座の寸法」として役者の体に染み込んでいるのでまったく変えていない。舞台と客席を仕切るプロセニアムアーチは、四期で使っていたものを化粧し直してそのまま使っている。今では入手困難な高級ヒノキだ。客席は後ろの座席まで見やすくするため勾配を少しきつくした。これに伴って、天井の勾配も角度が変わったため、音響反射板を設置して一層音響効果を向上させている。吉田が数寄屋建築を応用した美しい天井のデザイン、「吹寄竿縁天井」は忠実に再現された。
 今里さんは「吉田五十八設計の美しい姿を踏襲しつつ近代化を図ったのが第五期です。歌舞伎という伝統を受け継いでいく本拠地として、この建物がこれからも立派な評価を受けることを願ってやみません」と語る。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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