窓の誕生 天窓は住まいの抱え込んだ矛盾と必然
『竹取物語』といえば平安時代に生まれた日本最古の物語として知られる。その結末近く、かぐや姫を月に帰さぬように帝は2000人の兵を遣わして築地の上といわず、屋根の上といわず隈なくかため、塗籠のうちに媼(おうな)はかぐや姫とともに籠もり、翁(おきな)はその戸を閉ざして戸口を護っていた。
ここに登場する塗籠とは寝殿造りの寝室のことである。窓もない暗く閉ざされたこの部屋で、寝殿の登場人物たちは出産をむかえ、死の床につくのだった。長和5(1032)年に藤原道長の土御門殿が焼失したとき、年来の御伝り物どもが塗籠の中で数知れず焼けたと『栄花物語』は伝えている。塗籠は先祖伝来の宝物類や形見の品を保管する場でもあったし、塗籠に身を隠すことは、外部世界との交渉を断って邪気や邪霊を払いのけ、これらの品々に宿る神霊と交わって生気を取りもどす機会だったのである。
この塗籠の堅い守りも月の使者の霊力によってたやすく破られてしまうのだったが。
近世民家の納戸(寝室)をみてもわかるとおり、開放的とされる日本建築の核は実は古来一貫して閉鎖的な空間のままだった。塗籠の由来は竪穴住居にまでいきつくだろうから、この考えはしごくもっともなものだ。
北アメリカには20世紀初頭まで竪穴生活をおくる民族がいた。1mほどの深さに穴を掘り、骨組みを築いて屋根を土で覆う。まるで土饅頭のようなその外観はわれわれの期待を裏切るものであるかもしれない。似たような竪穴住居はシベリアにもあり、竪穴住居のプロトタイプといってもよい。もちろん日本の竪穴も例外ではないのである。
こうした竪穴住居には、唯一外界とをつなぐ天窓が屋根の中央にあけられていた。天窓には出入りのための梯子がかけられ、梯子の先端には通路をまもる守護霊がかざられていた。梯子の足元は炉になっていたから、たちのぼる火気や煙を避けながら、住民たちは器用に梯子を登り降りした。
竪穴住居の天窓は人間の通路であるばかりではない。天窓は人の誕生や死にさいして魂が出入りする開口であり、天界と人間世界とを橋渡しする通り道でもあった。ポーニー族は天窓を通して差し込む星の光によって神の意志を読み取ろうとしていた。住まいは宇宙の雛形だったのである。ハイダ族の創世神話のなかでは、トリックスターのワタリガラスが天窓を通して太陽や月や星を人間世界に届けたことになっている。白かったワタリガラスは天窓から出る煙のせいですっかり黒くなってしまったという。
ところで、なぜよりによって穴蔵のような住まいなのか? 地球上にあまねく存在する物質を元手にどこでも家屋をつくりえた合理性を賞賛すべきだろうか? 本編の結論はこうだ。
住まいの原型は閉じていた。暗く、自然の厳しさから守られて、大地の懐に抱かれて眠ることこそが住まいの本質であり、天窓はそうした住まいの抱え込んだ最大の矛盾であると同時に必然でもあったということである。人間の身体がそうであるように、窓がなければ住まいもそのなかに住む人間も外界との接点をもつことがなかった。窓の誕生から人間の物語がはじまる。人間の住まいはこの原罪から出発した。
『被災地を歩きながら考えたこと』五十嵐太郎 著 AmazonLink
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