2013/09/01

【けんちくのチカラ】 サーカスの叶正子さんと銀座博品館劇場

博品館劇場の内部
「メンバー4人の声をしっかりと聞いていただく貴重な経験になりました」。ことしデビュー35周年を迎えたボーカル・グループ、サーカスの中心メンバー・叶正子さんは、東京の「銀座博品館劇場」で、1996年から5年間続けたピアノ伴奏だけの公演をそう振り返る。バックの演奏は通常5、6人のミュージシャンが受け持つが、初めてピアノ伴奏1本にした。ハーモニーに、より焦点を当てた試みで、構成・演出をサーカス自らが手掛けた。「音合わせで侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしたり大変でしたが、やればできるという手応えをつかみました。ハーモニー進化への挑戦ともいえるこの公演は、いま思うとコンパクトな空間で音響バランスの良い博品館劇場だったから成果を上げられたのだと思います」。劇場のスタッフとも懇意になり、毎年公演の時期になると「家に帰ってきたようにほっとしました」と話す。


 
◇ピアノと声だけの公演
 サーカスが初めて銀座博品館劇場の舞台に立ったのは、86年。「ミュージカル」へのチャレンジだった。
 「ブロードウェイの『コーラスライン』をモチーフにしたような『9年目のシネマ』というミュージカルで、オーディションで歌やダンスを演じて、自信をなくしたり勇気をもらったりするストーリーでした。お芝居は初めてだったのでかなり大変でしたね。でも、お客さまから伝わってくる温かい雰囲気に助けられました」
 そして2度目の銀座博品館劇場への出演が、96年からのピアノ1本による「サーカス アコースティックコンサート」への挑戦。
 「ピアノ1本で4人の声をお客さまの心に響かせてみたい。そんな思いを込めた新しいチャレンジでした。4人がハーモニーの細部の調整で侃々諤々の議論をするなど、大変でしたが、結果としてほぼ思いどおりのコーラスを実現することができて、4人の声をしっかりと聞いていただけました。春の公演を中心に、おかげさまで5年間続けることができました。アコースティックなコンサートへの手応えを実感できた意義は大きかったですね」

博品館劇場の外観


◇観客の顔が見えるコンパクトさ
 ミュージカルの時に感じた客席との一体感はこの時もより強く伝わってきたという。最後列の観客の顔もはっきりと見えるコンパクトなつくりがこの劇場の特徴でもあり、波長がぴったり合った時には強力な一体感を生む。
 音響的には、響きが良く、ほかのメンバーの声もはっきり聞こえるバランスの良い劇場だとも話す。
 「コンパクトなつくりと音響バランスの良さが、アコースティックコンサートの成功につながった大きな要因だと思います。ハーモニーが進化していくのを感じました。それと、ロビーから客席に向かう通路が階段になっていて、なかなか素敵なんですよ」
 劇場スタッフが気さくな人ばかりですぐに仲良くなり、公演の時期になると家に帰ってきたようにほっとしたと言う。
 「当時の公演の写真を探したのですが、劇場スタッフと打ち上げで飲みに行った写真ばかり(笑)。スタッフの方に5年で一区切りをつけることを伝えると、『そんなことを言わずに来年も来てください』と泣かれちゃいまして…。うれしかったですよ。良い企画を立てて、また、ぜひ公演してみたいですね」
4月に誕生した新メンバーのサーカス(左から吉村勇一さん、叶正子さん、叶ありささん、叶高さん)


◇ニューヨーク国連本部で公演
 全国さまざまなホール、劇場、市民会館、公民館などで公演してきたが、97年のニューヨーク国連本部での公演は得難い経験だった。「国連スタッフのための感謝祭のような催しで、作編曲家・服部克久さんが主宰する東京ポップスオーケストラのメンバーとして、総会議場で数曲歌いました。国連の会議場はテレビで見たことはありましたが、中に入ることはなかなかできませんよね。本当に良い経験をさせていただきました。各国の代表が集まる場に身を置いて、『地球』を感じました」
 公民館の公演で思い起こすのが埼玉県に住んでいたころの地元でのコンサート。
 「長く住んでいた川口市の新郷公民館で、父(故人)の仕事の関係で公演をしました。毎日新聞の記者を退職した後、母の強い反対を押し切って地元で地域新聞を発行しまして、その読者への『ありがとうコンサート』をここで開いたんです。『新郷タイムス』というのですが、月2回発行で78年から17年間続きました。自ら広告は取らず、月170円の購読料を基本にしていました。反対していた母も、動物好きなのでペットコーナーを担当したりして。懐かしいです」
 祖父の故叶磯(いわお)さんが旧内務省の土木技師だった。1930年に北海道の網走土木事務所長を務めた時、道東の常呂川に架かる橋梁を設計している。
 「訓子府町にある『叶橋』という橋です。願いが叶う橋という意味で付けた橋梁名だと聞いています。祖父の名字も叶なので、それも合わせて考えられたようです。現存しています。昭和の初期につくられたものなので、架け替えられて立派な橋になりました。コンサートで北見市に行った時、父といっしょに渡りましたが大きい橋でした。年齢を重ねてくると祖父ともっと話をしておけばよかったなあと思ったりします」

◇劇場の在り方追求した銀座の文化発信拠点
 協立建築設計事務所社長 大内達史氏


 東京の銀座8丁目で1978年に開業した「銀座博品館劇場」は、演劇や音楽などを鑑賞するホールとして、当時の銀座にはない新たな文化発信拠点となった。明治32年(1899年)、当地で「帝国博品館勧工場」(現在のデパート)として創業した博品館が運営する。10階建てビルの8階にあり、381席のコンパクトな劇場空間では、演劇、コンサート、ダンス、落語など多様な演目が上演されている。ビルは1-4階に博品館トイパーク、5-6階にレストランが配置されている。
 設計を担当した協立建築設計事務所の大内達史社長は当時、博品館ビル新築で工事監理の責任者だった。
 「博品館さんは、昭和34年に当社が創立する際に支援をいただいた会社です。以前の博品館ビルの屋上で、創立当時の事務所を構えたご縁があります。博品館の現会長でビル新築当時社長だった伊藤巖さんに、まだ若かった私はゴルフなどを通じてたいへんにかわいがっていただき、勉強させてもらいました。いくつかの仕事をご一緒して、建築に寄せる思いは、厳しさも含めてとても強いものがありました」
 大内社長はそう振り返る。
 博品館劇場ではさらに思いの強さを感じた。
 「私が自宅で天井まで張った図面にどっぷりとつかってわかったのは、工事監理とは何かです。それは、建築主、設計者、施工者の合意があれば図面を修正していくということです。そうしなければ絶対に良い建物はできません。博品館の伊藤会長からは、デザインというより、劇場の在り方そのもので執念ともいえる要求がありました。どれも本当に正しいものでした。工事監理者として、できるものには図面の修正で対応させていただきました。正直申し上げて予算面など厳しい仕事でしたが、銀座に誇れる建物を担当させてもらい、ありがたさを痛感しました」
 建築主にはプロとして意見も言うが、可能な限り要望に近づけていくことが大切だという。そのために、建築主の本心に触れる付き合いをする。
 「伊藤会長のものの考え方も含めて意中の建物として心に刻まれています」
(施工=鹿島)

 (かのう・まさこ)ボーカル・グループ「サーカス(CIRCUS)」のデビュー当時からのメンバー。
 サーカスは、78年『ミスター・サマータイム』、79年『アメリカン・フィーリング』が大ヒットし、日本の音楽界に颯爽とデビュー。それまでになかった男女2人ずつ、しかも3人姉弟+従姉というユニークなボーカル・グループとして誕生する。その後メンバーチェンジを経て、2013年3月に若い2人のメンバーが新加入し、現在の5代目サーカスとなる。同年4月にはデビュー35周年の記念アルバム「We Love Harmony!」を、5月には80年代のJPOPの名曲をサーカス流にカバーしたCD「The Reborn Songs~80'sハーモニー~」をリリースし、新たにスタートした。
 デビュー35周年を機に、ことし3月誕生した新サーカスのメンバーは叶正子さん(デビュー以来の歌姫)、叶高さん(リーダー、叶正子さんの弟)、叶ありささん(新メンバー、叶高さんの娘)、吉村勇一さん(新メンバー、オーディションで抜擢)。

◇サーカスコンサート 2013~あなたとつながるハーモニー=▽9月7日(土)兵庫/たつの市総合文化会館アクアホール▽11月2日(土)愛知/ウィンクあいち▽11月6日(水)大阪/サンケイホール・ブリーゼ▽11月9日(土)東京/渋谷区文化総合センター・さくらホール▽11月10日(日)栃木/下妻市民文化会館
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)2013年8月

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