2015/08/03

【追悼】岩手・宮城内陸地震「一関方式」を指揮 地域を愛した宇部貞宏氏

岩手県建設業協会会長と一関商工会議所会頭を務めた宇部貞宏(うべ・ていこう)宇部建設代表取締役会長が、7月22日に逝去した。78歳だった。火葬は同26日に近親者のみで執り行われ、8月2日には一関市内で通夜がしめやかに営まれた。葬儀は3日、同市大手町の一関文化センターで行う。

 「いまは大根のしっぽをかじってでも、生き延びなければならない」--。2010年3月、岩手県発注工事をめぐる談合問題で、公正取引委員会は県内建設企業79社に談合を認定する審決を出した。当時、岩手建協副会長だった宇部氏は会見で「審決を受けた会社は4000人の従業員を雇用している。家族や下請企業を合わせると、この数倍の人たちの生活に影響する」と強調し、発注機関に対して指名停止期間の短縮を求めていく考えを示した。26万人もの署名を集めて県に提出した結果、県は厳しい経済・雇用情勢を勘案して指名停止期間を軽減した。
 岩手建協一関支部長を務めていた08年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震の時には、支部会員を招集し、発注機関の指示を待たずに仮道路の整備を決断。この道路が災害復旧の動脈となり、工事が本格化した。いわゆる「一関方式」による災害対応は、全国から注目され、講演依頼が舞い込んだ。
 岩手建協会長就任後に発生した11年3月の東日本大震災の際も県全体でバックアップ体制を構築し、応急復旧作業の推進に道筋を付けるなど、強烈なリーダーシップを発揮した。
 建設業界にとどまらず、07年4月から一関商工会議所会頭、10年6月からは東北銀行(盛岡市)の非常勤監査役を務めるなど、地元経済界でも手腕を振るった。銀行の非常勤監査役就任は、独禁法違反問題で県内建設業界が暗く落ち込んでいた時期で「希望と明るい話題を提供し、県内業界を元気付けたい」との理由から引き受けたのだ。
 10年5月に平泉町で開かれた『春の藤原まつり』。名物の『源義経公東下り行列』で、奥州藤原氏第3代当主・秀衡公役を務め、笑顔で行列に加わる姿が懐かしい。
 国や県などの発注機関に対しては独特のかすれ声で「地域建設業のために言うべきことは言う」との姿勢を貫き通した。まさに地域に生き、地域を愛し、地域に精通した技術集団である地元建設業の見本ともいうべき業界人だった。
合掌
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