2016/07/17

【特別寄稿】「土蔵そして伝統構法の再考」―熊本地震から学ぶー 鹿児島大学大学院教授・鰺坂徹


 熊本地震の本震から2カ月がたった6月中旬、公費解体の申請が開始された。一方、文化庁の文化財ドクター事業も6月からはじまり、伝統構法による木造建築や土蔵をはじめとする歴史的建造物の保護活動が進められている。写真は熊本県西原村の明治期に建てられた矢野家の土蔵

◆土壁 効果は現代建築の制震壁と同レベル
 東日本大震災の文化財ドクターの際にも損壊した多数の土蔵が見られ、調査の対象となっていたが、三陸沿岸の大津波の被災地域で、家屋が流された中にポツリと残った土蔵がいまでも目に焼きついている。国語辞典で「倉」「蔵」「庫」は「家財や商品などを火災や盗難などから守り、保管しておく建物。倉庫。」と記されているとおり、古来より火事や災害から家財を守る役目を担ってきた。熊本地震でも多数の土蔵の土壁に亀裂が生じ、土が落下し竹小舞が見えていた。しかし土蔵が倒壊したという話はほとんど聞かれない。これは土蔵の造り方が石の基礎の上に土台を回し、その上に柱を林立させ貫でつないでいるためで、この大工工事に1年、それから左官工事がはじまり荒壁、下塗り、中塗り、上塗りとさらに2年から3年かけて土蔵を造っていく。現代ではとても再現できない造り方で、土蔵はその結果、地震でも倒壊せずに中の家財を守り続けることが可能である。

鹿児島大学大学院理工学研究科建築学専攻教授 鰺坂徹氏

 また土壁は現代の鉄骨造建築の制震壁と同様の効果があるとも言われ、柱の振動により壊れ、骨格の損壊を防いだとも考えられよう。昔は数十年に一度「まきなおし」として土壁のメンテナンスが行われていたが、いまはその「まきなおし」がされないこともあり、土蔵は地震で惨めな姿となり、解体される事例が増えている。しかし、土壁を落としながら本来の家財を守る役目を果たしたのだと考え、土蔵を見直すべきではないだろうか。一気に修繕できなければ、造るのに3年5年かかったのだから、まずは屋根を直し、数年かけて直す方法が最良であろう。土台を基礎に緊結しない土蔵の構造は、免震に近いとも言われ、まだ解明されていない。構造解析できるRC造やS造に建て直すよりリダンダンシーに満ちた建築なのかもしれない。土蔵はなんとしても修理して二度とできない日本の知恵を将来に継承したいものだ。

◆矢野家住宅 小屋組全体で保持 抵抗せず地震力吸収

西原村の矢野家納屋の地震後の状況。右側の石が地割れで右へ動き
石場たての柱がずれている

 熊本地震で倒壊した建築は、伝統構法の木造住宅だけでなく、平成以降に建てられた木造住宅もある。他方、伝統構法なので倒壊を免れたという事例も見られる。日本ICOMOSの緊急調査で訪れた熊本県西原村の明治期に建てられた矢野家住宅では、地割れが建屋内を貫通したが、基礎が緊結されていない登録有形文化財の建築群は倒壊せずに建ち続けていた。特に納屋では地割れで基礎の間隔が広がったが、基礎から石場たての柱がずれたまま、貫や小屋組全体で建物骨格が保たれ倒壊に至らなかった。揺れの度合にもより、地盤を支えていた石垣が崩壊した事例もあり一概には断定できないが、損壊の大きかった伝統構法の建築は、シロアリや腐朽による構造材の欠損、改修による構造の脆弱化が起因となっていた。
 伝統構法には、筋かいや耐震壁はないが、柱と継手仕口で結ばれた大引、貫、差鴨居といった水平材が多数あり、さらに他の意匠部材や土壁、小屋組により、それら全体で家屋が支えられている。石場たての柱の底面には地震後に圧縮痕があり、柱がS造のように振動しながらさまざまな横架材がその揺れに追従して水平方向に動き、地震力を吸収しているとも考えられる。

東日本大震災直後、真壁での袖門修理の現場
東日本大震災直後に茨城県真壁で袖門の柱を基礎石の上に戻す現場に遭遇した時のことである。大工さんから「おまえらが悪い! 足を固定されて後ろから押されれば転んでしまうが、足が自由なら一歩前に出て転ばないだろう! おまえらのつくる建築はだから地震で壊れるのだ!」と叱責された。その言葉が残り、熊本地震の現地で、基礎に緊結しない伝統構法は、地震力に抵抗するのでなく揺れながら地震力を吸収して地震に耐えてきたのではないかと感じる。地震後の状況を俯瞰(ふかん)すると、先の土蔵の構造も含めて伝統構法の木造構造の解析は、まだこれから検討されるべきことがあり、旧来の古い建築=伝統構法は危ないから建て替えようという拙速な判断は避けるべきではないだろうか。
建設通信新聞の見本紙をご希望の方はこちら

0 コメント :

コメントを投稿