ホテルニューオータニ(東京都千代田区)に、竣工当時の浴室が今も残る部屋が1室だけある。東京オリンピックを1カ月後に控えた1964年9月に竣工し、当時は日本初の超高層ホテルとして話題を呼んだが、それ以上に大幅な工期短縮を実現した施工力に大きな注目が集まった。「まさに施工者・大成建設の挑戦であったが、われわれも同じだった」と、東洋陶器(現・TOTO)の技術スタッフとして当時の建設プロジェクトに携わった進藤正巳さん(75歳)は振り返る。
客室数は1058室。当時の建設技術では工事に3年近くかかる規模であったが、大成建設はわずか17カ月という短工期を実現した。TOTOに「各部屋の浴室を工場で生産して現場に運んでもらいたい」との打診があったのは着工から1カ月後の63年5月。東京営業所技術課にプロジェクトチームが組織され、30代前半の先輩技術者2人をサポートする役割として入社2年目の進藤さんもメンバーに選ばれた。
チームに課せられた開発の条件は、浴室自体の軽量化に加え、高い防水性能、さらには見た目や違和感のないしつらえだった。茅ヶ崎工場を拠点に試行錯誤を繰り返し、たどり着いたのは浴槽、壁、天井すべてにFRP(繊維強化プラスチック)を使うプランだったが、床だけは見慣れた材料を使おうと、あえてモザイクタイルの現場打ちを選択した。
工事関係者を工場に招いたのは、チーム発足から4カ月後の63年8月だった。「大成建設が工期を半分も縮めようと努力している。浴槽設置も大幅な時短が求められ、われわれは2時間で設置できる“プレハブ浴槽”の開発を目標に定めていただけに、実現できた時の喜びは今も忘れられない」。同年12月31日にようやく受注が成立し、年明けと同時に製作準備がスタートした。ユニットバスルーム誕生の瞬間でもあった。
現場にはトラック1台に2、3個を積み、日に40個程度のペースで納入した。建物4階部分までクレーンでつり上げ、そこからエレベーターで各階に搬入。各部屋の天井部分のフックを使ってつり上げ、位置決めを行った。「鳥かご状の部屋を設置するような作業は3カ月半に及んだ」。初代ユニットバスは1058室のうち、在来工法で仕上げたスイートルームなどを除く1044室に採用された。
ことし9月1日に誕生50周年を迎えるTOTOのユニットバスルーム。累計出荷台数は860万台を超える。日本のユニットバス化率は90年代後半に9割を突破。進藤さんは「ホテルニューオータニ竣工後、大手ゼネコン各社から相談や引き合いが相次いだ。それから50年が経過し、ここまで普及するとは思ってもみなかった」と感慨深げに語る。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
客室数は1058室。当時の建設技術では工事に3年近くかかる規模であったが、大成建設はわずか17カ月という短工期を実現した。TOTOに「各部屋の浴室を工場で生産して現場に運んでもらいたい」との打診があったのは着工から1カ月後の63年5月。東京営業所技術課にプロジェクトチームが組織され、30代前半の先輩技術者2人をサポートする役割として入社2年目の進藤さんもメンバーに選ばれた。
チームに課せられた開発の条件は、浴室自体の軽量化に加え、高い防水性能、さらには見た目や違和感のないしつらえだった。茅ヶ崎工場を拠点に試行錯誤を繰り返し、たどり着いたのは浴槽、壁、天井すべてにFRP(繊維強化プラスチック)を使うプランだったが、床だけは見慣れた材料を使おうと、あえてモザイクタイルの現場打ちを選択した。
工事関係者を工場に招いたのは、チーム発足から4カ月後の63年8月だった。「大成建設が工期を半分も縮めようと努力している。浴槽設置も大幅な時短が求められ、われわれは2時間で設置できる“プレハブ浴槽”の開発を目標に定めていただけに、実現できた時の喜びは今も忘れられない」。同年12月31日にようやく受注が成立し、年明けと同時に製作準備がスタートした。ユニットバスルーム誕生の瞬間でもあった。
フックでつり上げ取り付けた(撮影:進藤正巳) |
ことし9月1日に誕生50周年を迎えるTOTOのユニットバスルーム。累計出荷台数は860万台を超える。日本のユニットバス化率は90年代後半に9割を突破。進藤さんは「ホテルニューオータニ竣工後、大手ゼネコン各社から相談や引き合いが相次いだ。それから50年が経過し、ここまで普及するとは思ってもみなかった」と感慨深げに語る。
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