2016/06/13

【復興特別版】防災ヘリ「みちのく号」から見た東北被災地のいま 



 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方の沿岸部に未曽有の被害をもたらした。膨大な災害廃棄物の山に埋もれた現地の惨状をぼうぜんと見つめることしかできなかった発災直後。そうした中でも、東北地方整備局を始めとする国の機関や地元自治体などの行政と、地域に根差した地元建設業界、全国的な組織力を生かしたゼネコンなど、建設産業界の献身的な取り組みにより復旧・復興への歩を着実に進めてきた。発災から5年3カ月を迎え、沿岸部はどういった状況になっているのか。震災時、津波が迫る仙台空港を間一髪で飛び立ち、被災状況の把握に当たった東北整備局の防災ヘリ「みちのく号」による上空視察に同行し、宮城県北部の被災地の現状をみた。

◆再起進む仙台塩釜港から石巻市
 仙台市青葉区の仙台第1合同庁舎B棟の屋上に設置されたヘリポートを離陸したみちのく号が最初に向かったのは仙台塩釜港。地震と津波による公共施設の被害は、塩釡港区は岸壁エプロンの陥没や岸壁はらみ出し・エプロンの沈下など、仙台港区ではコンテナターミナルでのコンテナの散乱や岸壁エプロン沈下などが確認されたほか、港内は自動車や養殖施設、コンテナなどおびただしい浮遊物で埋もれていた。港に張り付いていた民間施設も軒並み壊滅的な被害を受けた。

仙台塩釜港

 上空700mから見下ろすと各岸壁に大型船舶が係留されており、公共施設の復旧が完了していることが見て取れる。更地が部分的に残るものの、多くの建物が建てられており、東北唯一の特定重要港湾が力強く再起している様子がうかがえる。
 仙台塩釜港を後にし、日本三景の松島や高台移転が進む東松島市を過ぎると、前方には石巻市の沿岸部が見えてきた。震災最大の被災地である同市の人的被害は、死者・行方不明者を合わせて3500人以上、建物被害は全壊・半壊・一部損壊を合わせて約5万7000棟に上り、428万m3ものがれきに街が埋め尽くされた。
 現在、市の業務委託を受けた都市再生機構の発注により、同市の中で最も被害の大きかった門脇地区でのCM(コンストラクション・マネジメント)事業による土地区画整理事業を始め、市内15地区で土地区画整理事業が進行。さらに、市街地再開発事業や、かわまち交流拠点整備事業など、さまざまなメニューを用いて都市基盤の復興が進められている。上空から見ると、沿岸部は赤茶けた土の部分が大半を占めており、造成工事が最盛期であることを物語っている。

◆三沿道整備は未来に希望をつなぐ架け橋

内陸の田園地区を走る三沿道

 その後、みちのく号は一路北に進路をとり、三陸沿岸道路に沿って登米市方面に向かった。震災復興のリーディングプロジェクトとして、宮城から岩手の全域において異数のスピードで整備が進められている三沿道。長年、沿線住民が待ち望んでいた事業だけに、地元の期待と関心は極めて高い。田園地帯を抜け、急峻な山間部を時に貫き、時に縫って北へと延びるこの道路事業が地域の希望を未来につなぐ架け橋となっている。
 さらに、内陸部に目を向けると、国道4号バイパスから三陸道登米インターチェンジの約24㎞間を結ぶ宮城県発注のみやぎ県北高速幹線道路の整備も行われており、新たな縦軸の整備に伴う道路ネットワークが具現化していく姿が見て取れる。

気仙沼市の上空から

 ここから再び沿岸部に向かい、南三陸町から海岸線沿いに北上すると気仙沼市に到達した。同市も人的被害は1359人(16年2月末現在)、住宅被災棟数は1万5815棟に上り、市の基幹産業である漁業と水産加工業も大打撃を受けた。
 再生に向けた基盤整備では、鹿折・南気仙沼地区を対象とする被災市街地復興土地区画整理事業がCM方式で進められているほか、市内19地区32集落99カ所を対象に漁業集落防災機能強化事業も進められており、上空から多くの地区で造成工事が行われていることを確認できる。
 一方、基幹産業の再生に向けた市魚市場の整備も本格化しており、14年度に復旧が完了したA・B棟に続き、現在はC・D棟の再建と新棟となるE棟の建設が進められている。いずれの被災地においても、住まいと生業の再生は大きな課題だ。
 今回の取材で、仙台市とその近郊部の復旧・復興事業の進捗が早い一方、特に被害の大きかった県北部沿岸地域では、“道半ば”であることが確認できた。依然として多くの被災者が“仮住まい”を余儀なくされる中、1日も早い復興に向けた継続的な事業費の確保と被災地支援は不可欠だ。
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