「これがTOTOの原点」と、8月末に創業の地・北九州市小倉北区でオープンしたTOTOミュージアムの大出大館長は感慨深げに語る。これとは、館内に入って最初に目に飛び込んでくる初代腰掛式便器。ミュージアムのシンボル展示として5カ月間かけて復元した。まさに現在の技術が過去を蘇らせた。
初代便器が誕生したのは100年前の1914年8月。日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)の製陶研究所でつくられ、試験販売がスタートした。下水道がほとんど整備されていない時代に、衛生陶器の国産化に踏み切ったのが、後に東洋陶器(現TOTO)の初代社長となる大倉和親と、その父の孫兵衛だった。
大倉親子は、ヨーロッパの製陶業を視察する中で水洗トイレの普及が進む欧米の生活文化に触れ、いずれ日本でも普及すると予見していた。1912年1月に日本陶器内に製陶研究所を設立し、国産化の研究をスタートした。初代便器は1万7280もの試作を経て完成し、国産化から3年後の1917年に小倉の地にTOTOの前身である東洋陶器が発足した。
ミュージアム完成に合わせた初代便器の復元は、張本邦雄会長が号令をかけた。手掛かりは残されていた写真だけ。工場のメンバーが中心になり、写真から寸法を起こし、CAD図面を描いた。発砲スチロールで原型をつくり、型をとり、何度も焼きながら、陶器のひずみやひび割れの位置を細かく把握した。
便器内部は詳細な資料がなかったものの、水を流す方式は把握していた。写真をもとに寸法を割り出したこともあり、サイズ感は当時と若干異なる可能性はあるが、当時は海外仕様を参考にしていたため、現在より若干高さがあるつくりになっている。復元とはいえ、実際に水洗の試験も実施済みだ。「当時はコンピューター解析もないのに、複雑な形状で、しかも理にかなった見事なつくり。復元作業を通し、当時の高い技術力に触れることができた」(大出館長)。
ミュージアムは、2017年のTOTO創立100周年の記念事業として建設された。年間来場者は初年度に2万人を見込む。施設には北九州ショールームや研修センター、ホールなども併設し施設全体の利用者数は年間約8万5000人を想定している。オープニングセレモニーであいさつした喜多村円社長は「初代からのものづくりの原点を知ってもらい、TOTOの過去と次の100年を感じ取ってほしい」と強調した。
復元された初代腰掛便器にはTOTOの過去と未来への思いが詰まっている。
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