2016/06/05

【けんちくのチカラ】「芝居の神様」が居るところ 俳優・柄本明さんと本多劇場



 東京・下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになったのは、今から34年前、「本多劇場」が誕生してからのことだ。本多劇場グループ代表で、俳優の本多一夫さんが私財を投入して、「演じる側には演じやすく、見る側には見やすく」を基本コンセプトに設計段階から深くかかわったという。1982年11月3日のこけら落としの公演は、唐十郎作『秘密の花園』だった。俳優の柄本明さんは、この公演で緑魔子さんらと主役を演じた。柄本さんは「素晴らしい劇場にはオーラというのがあるんですけど、(こけら落としの)最初から良いものがありましたね。何ですかね。はっきりはわからないですが、やっぱりかかわる人たちの夢がそこにうまい具合に集約してたんじゃないでしょうか。その中心になっていたのが本多さんです」。柄本さんは、本多劇場を「良い劇場」という言葉で表現する。

観客すべてが舞台の床まで見えるようにと急傾斜にした客席

 「本多さんがつくられた下北沢の小劇場は、スズナリにしても本多劇場にしても『良い劇場』ですね。『良い劇場』というのは、非常にオーソドックスな、良い意味での『普通の劇場』ということ。何だろう、等身大の、背丈のまま、誇張や大げさなこともない。ですから演じやすい、本当に良い劇場です。話はこれで終わっちゃうんじゃないの(笑)」
 こけら落としで演じたときは35歳。今でも大好きな唐十郎さんの戯曲『秘密の花園』を緑魔子さん、清水紘治さんらと共演した。
 「素晴らしい劇場には、それぞれオーラっていうのがあるんですけど、ここは(こけら落としの)最初からそれを感じました。良いものがありましたね。はっきりは分からないですが、やっぱりかかわる人たちの夢ががそこに集約されたんじゃないでしょうか。その中心になっていたのが本多さんの力だと思います。『秘密の花園』は水を大量に使う芝居で、大変といえば大変だったのですが、水を使う芝居はいくらでもあるので大したことじゃないです」
 もう1つ、柄本さんが感じていることがある。
 「劇場には、神様が居るとか居ないとか言いますが、やっぱりここは神様の居るところでしょうね。それもたいへん優しく見守ってくれている神様がいるような--。とんがっていない、優しい感じを受けます」

◆演劇人が尊敬する 本多一夫さん
 本多さんについてはこう話す。
 「最初は映画の俳優としてニューフェイスで新東宝に入られ、その後実業の世界で成功をなさっていながら、演劇という、経済の面を考えるとあまり『うま味』があるところじゃないと思うのですが、そこに踏み込んでいただいた。そして、下北沢にいくつもの小劇場をおつくりになって、われわれにとってはとてもありがたいことです。下北沢演劇の礎を築き、演劇人にとっては尊敬に値する方です」

『そして誰もいなくなった』(2014年、本多劇場)

 柄本さんは本多劇場で10回ほど公演している。所属する「劇団東京乾電池」は、節目節目にスズナリ、本多劇場で記念公演を開いている。
 「劇団としても2つの劇場にはたいへんお世話になっていて、良くしていただいています」
 演劇は場所や空間から大きな影響を受ける。下北沢という街もそうだが、演劇が場所にこだわることは大事だと話す。
 「演劇はどういう場所でやるかということがものすごく大事なことなんじゃないですかね。石橋蓮司さんの第七病棟なんかは、本当に場所にこだわりながら演劇をやってました。唐さんは今もテントという形態を取って、場所を移動して公演しています。寺山修司さんの天井桟敷とか、佐藤信さんの黒テントなどもそうでしたね。あそこでやる、ここでやるということはとても大事だと思います」
 10年ほど前、18代目中村勘三郎さんに誘われて歌舞伎座の「俳優祭」に出演した。
 「勘三郎さん、藤山直美さんとお笑いの芝居を歌舞伎座でやったんです。いやー、それはもう良い劇場でしたね。歴史が育ててきた劇場なのでしょうね。お客さんの前に立ったとき、あー、これは3倍良く見えるだろうなって思いました」
 生まれは銀座。6歳まで過ごした。
 「そんなに覚えちゃいないんですけど、一軒家の2階を間借りしてたんです。東銀座ですが、今でもその家があって、築80年とか90年とかになる家です。今の東京劇場の近くの高速道路はなくて、川の流れがよく見えました。川にはボートが浮かんでいたのを記憶しています」
 演劇というのはマイナーで、経済的には成り立たないもの。演じている人間が楽しければ良いのかな、と言う。
 「学芸会を続けているようなものですから。もちろん楽しくやりたいたってね、難しいですよ。そりゃ生きていくって大変ですから。特別なこと、素晴らしいことをしているとは思いません。でも自分がたとえば唐組の紅テントの芝居を見て夢みたいなものをもらっているように、ぼくの芝居を見てそう思っていただけるお客様がいるとすればありがたいことですね」

(えもと・あきら)1948年、東京都生まれ。俳優。76年、ベンガル、綾田俊樹と共に劇団東京乾電池を結成。チェーホフの『煙草の害について』や、シェイクスピアの『夏の夜の夢』などの作品を、既成にとらわれない演出で上演し続けている。舞台以外にも映画、テレビドラマと様々な分野で活躍。主な映画出演作に『カンゾー先生』(98年、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞)、『やじきた道中てれすこ』(07年)、『悪人』(10年、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞)、『許されざる者』(13年)がある。現在、映画『モヒカン故郷に帰る』が公開中。11年、紫綬褒章受章。
 16年劇団東京乾電池は創立40周年を迎える。

●公演●
 ▽劇団東京乾電池創立40周年記念本公演『ただの自転車屋』=16年6月22日(水)-29日(水)。下北沢・本多劇場。前売4500円、当日4800円(全席指定席)。
 劇団HPはこちら。問い合わせ先・電話03-5728-6909


■建築概要 演じやすく、見やすい空間づくり 本多劇場チーフ・大岩正弘さんに聞く
 本多劇場の創設者、本多一夫さんは、俳優をリタイアして実業家になった後、自分の若いころになかった自由に演じる場がほしいと、劇場づくりを思い立ったという。
 劇場オープンから3年後に働き始め、本多さんと行動をともにしてきたチーフの大岩正弘さんは、劇場開設のいきさつをそう話す。

別名「本多ステップ」と呼ばれる正面入り口の階段

 「本多は設計の段階から、演じる側には演じやすく、見る側には見やすくという基本コンセプトを設計者に伝えて、その空間づくりを進めてきました。その結果、演じやすくという点では、間口が広くて、袖もかなりある舞台になりました。客席と舞台が1対1の面積比率でして、こういう劇場はなかなかないと思います。採算を考えると客席を増やすのが普通ですから。とくに上手、下手の袖の広さは俳優さん、スタッフさんから高い評価をいただいています」
 見る側についてはこう話す。
 「大きな特徴は客席の傾斜が急なことです。本多は『386席どの席からも舞台の床が全部見えるようにしたい』と注文しました。それによって、前のお客様の頭も気にならなくなりました。傾斜があることで、舞台との距離もかなり近く感じられます」
 音響についても評価が高く、日常会話の台詞でも一番後ろの席までマイクなしで聞こえる。「特にリアリティーのあるお芝居では最適だとの評価をいただいています」
 こうした観客、演者両方からの高い支持で、稼働率は9割を超える。
 本多劇場がほかの劇場と大きく違うのは、下北沢という街に多大な影響を与えて、街とともに歩んできたということだ。
 「劇場ができる前は、生活の街、学生の街でした。それがいまは、本多劇場グループとして8つの劇場があります。演劇の街ということで、個性のあるお店も生まれて、演劇を見るだけでなく、地方から買い物に来る方もたくさんいらっしゃいます。本多劇場ができる時は、山手線の外に劇場ができるということで話題になり、インパクトがあったことを思い出します」

■建築ファイル
▽名称=本多劇場
▽オープン=1982年11月3日
▽所在地=東京都世田谷区北沢2-10-15
▽客席数=386席
▽構造・規模=RC造地下1階地上14階建て。ロビー上が14階までマンション。マンションとツインのような格好で5階建ての劇場があり、延べ面積は約1000㎡
▽施工=東海興業
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