2014/06/10

【隈研吾】南三陸町志津川地区グランドデザイン 川と海感じる土地の記憶継承【記者コメ付き】

海との接続を考えつくった全体模型
多くの建築家がさまざまな形で被災地の復興支援に取り組んでいる中、宮城県南三陸町が建築家で東大教授の隈研吾氏(隈研吾都市建築設計事務所主宰)に委託していた志津川地区のグランドデザインがまとまり、町民向けの報告会が開かれた。人が住めない災害危険区域内での“にぎわいと交流づくり”という難題に対し、「川と海の自然を感じられるのが志津川の特徴」と親水空間や遊歩道となる防潮堤などさまざまな仕掛けを提示した。
【執筆者から:満員の会場の中、特に印象的だったのは震災前後に生まれたであろう子どもを連れた若い母親が真剣に聞き入る姿だ。グランドデザインとともに、町の明るい未来を垣間見た】

 隈氏は、グランドデザインのコンセプトを「上から見下ろすと襞(ひだ)を持つ街並みが、土地の記憶を継承しつつ、新しいにぎわいを創り出す」と紹介した。地区のほぼ中央を流れる八幡川左岸の川沿いは観光・商業エリア、志津川湾に面する防潮堤の先にはボートパークと体験観光エリア、その背後地は水産エリアと教育・文化エリアとし、沿道・商業が高台の住宅団地へと続く。

襞(ひだ)を持つ街並みが土地の記憶を継承し、新しいにぎわいを創り出す
一方、右岸は防災対策庁舎に近い山側が復興祈念公園、海側はかつての旧松原公園を継承する自然公園を備える。「多様な特徴を持つエリアをグラデーショナルに連続させ、まち全体に一体感を生みたい」と、町民や観光客が流動的に動く回遊性に軸を置いた土地利用計画案を示した。

漁村らしい懐かしい路地空間をとりいれる
にぎわいの中核となる観光・商業エリアは、川上に震災資料館と観光駐車場、海へと伸びるメーンストリート・しおさい通りの中央付近に巡回バス停留所、通りと川、防潮堤に面した「人の流れの核となる」敷地には、新たなまちの象徴となる大屋根を持つ『わだつみ広場』を配した。
 観光商店街は「漁村らしい懐かしい路地空間の街並みとし、歩いて楽しめる参道のような空間」を目指すという。沿道・商業エリアには、地元の人たちのための飲食店が立ち並び、夜間のまちのにぎわいを演出する。

防潮堤からは志津川湾の眺望を楽しめる
隈氏は、「土地利用計画の中ではじめに考えたのが海との接続だった」と振り返る。防潮堤の高さが震災前の約2倍になるが、志津川湾の眺望を楽しめる気持ちの良い歩行者空間に再整備する計画だ。河川護岸は、川面まで下りられる階段を親水空間に設け、かがり火祭りや灯籠流しなどのイベント時に遊歩道や観客席として利用する「土地の記憶を継承する場」となる。

観光・交流ゾーンから復興祈念公園に架かる木の太鼓橋
まちの回遊性を支えるのが、川の両岸を結ぶ2本の人道橋だ。上流側の『中橋』は、観光・商業エリアから川を渡り復興祈念公園に向かう“慰霊の参道”のシンボルとして、佐藤仁町長から依頼を受けて隈氏が自ら設計する。「人と緑をつなぐ、優しく柔らかい木の太鼓橋を設けることで暮らしに水を近づけたい」とイメージを膨らませる。一方、河口側の『港橋』は、震災復興橋梁として全国から設計者を公募する予定だ。

新たな街の象徴になる「わだつみ広場」
報告会終了後に行われたトークセッションでは、住民代表として志津川地区まちづくり協議会の及川善祐会長が、「われわれが考えていた海と川とのつながりなどが形になった。震災で亡くなった人たちに報いるため、1人でも多くの町民が戻りたくなるような被災地でいちばんのまちをつくりあげたい」と語った。

隈氏(左)と佐藤町長
隈氏は「魅力的なデザインがにぎわいを生み、さらに人を呼び込むという正の循環のスパイラルをつくりたい。夢を持ち、強いビジョンに近づける努力が必要だ」とした。
 一方、志津川地区の山側に本設の店舗などが建設されることに強い危機感を抱いていた佐藤町長は、「目指すべき方向性が固まった。町政を預かる者として、町民みんなが支え合うまちを目指し、このグランドデザインを具現化していきたい」と決意を語った。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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