「美しい建築を創造したいという気持ちを常に持ち続けている。かつ、『美しさ』の定義は常に変わり続けている」。建築家の高松伸氏は、1980年代に「織陣I」や「ARK」(ともに京都市)、「キリンプラザ大阪」(大阪市)など独創的な作品を数多く発表してきたが、近年の作品はそれらとは一線を画すかのような印象を抱かせる。一方で、スケッチを重ねて建築を考えるという手法は全く変わらない。「これはわたしの建築に対する作法であり、変えようがない。ともあれ、そのタッチは常に変わり続けている。このところ、非常に流動的な線が紙の上で軽やかに広がるようになってきた」と語る。経験や時代とともに移ろいながらも一途に“美しい建築”の創造に挑戦し続ける建築家のその想いに迫った。
【執筆者から:80年代を最先端で走ってきた高松氏が場所性や環境保全・木造にシフトチェンジした変遷、それでも変わらぬ「美しい建築」への想いを強く感じた。台湾をはじめとする海外でのプロジェクトでは、80年代の「尖った」作風が垣間見れるところも興味深い】
◆「風土」「風景」を日々紡ぐ中で
「80年代は、その場所が持つ歴史や特性から解き放たれた建築を設計することが建築の独自性を獲得することにほかならないと確信していた」と振り返る。「90年代に入り、故郷・島根を始めとする山陰地方で公共建築を連続的に手掛け、建築に対する考え方に変化が起こってきた。その土地が有している魅力や脈々と受け継がれてきた文化と無関係に建築が存在することは不可能であるということに気付いた」という。その中で自ずと紡ぎ始めた言葉が「風土」や「風景」。「そのような言葉が、ある瞬間にふとイメージと結び付く。そうした瞬間が現在の作品につながっているのだろう」と分析するように、この時期をきっかけとして作品に変化が現れるようになった。
◆その場の特性と切り結ぶ建築へ
近年のテーマは「その場の特性や周辺環境と建築の関係」であるという。2月に竣工した「タキゲン製造本社」(東京都)では、降り注ぐ自然光を“呼吸”する建築を目指した。その解答としてクライアントと共同開発したのが、指1本で動く階高いっぱいの木製手動ルーバー。「建築の空間は環境とともに生まれる。社員一人ひとりが思いのままに光を調整することによって、光を媒介にしてそこに一人ひとりの空間が生まれる」と話す。
3月に竣工した「深田電機本社」(名古屋市)の敷地は、大きな幹線道路の交差点の角地にある。
「クライアントは環境に対する意識が高く、すべからくこれに対応する必要があった。敷地の対角線上に神社・神明社の『鎮守の森』があり、この森に呼応するような建築のたたずまいを開発した」。知覚的補完と呼ばれる人間の認知上の習性を利用し、外観を森の写し絵のように見せるデザインによってクライアントの想いを象徴している。
「その建築が建つことになる場所の特性と切り結びながら意匠的解答を導く手法こそは、近年手掛けるプロジェクトのすべてに通底する考え方」だとも。
◆木の持つ能力、美しさを発信
「木の建築」の実現にも強い想いを抱き続けている。91年の「京都市コンサートホール指名設計競技」における木のコンサートホールの提案に始まり、「蒲郡情報ネットワークセンター」「能勢妙見山信徒会館・星嶺」「丸美産業本社社屋」「近畿産業信用組合難波支店」など、木を主題とした建築を数多く手掛けている。
同時に、木の構造的な能力を強調するかのような大規模木造庁舎など数々の木造構想も発表している。中でも「遍照塔」は木材を相持ちで組み上げ、耐震性能も備えた構造による高さ91m(300尺)の祈りの塔の構想である。「木の能力や美しさを目で見て知ってもらうためにも、これからもプロジェクトを発信していきたい」と話す。
3月に竣工した「近畿産業信用組合西院支店」(京都市)を手掛けた際にも関心事は「木」であった。
「敷地は京都では珍しく周辺に緑が少ない場所。建築そのものが森を抱えることによって、その地域に緑を提供することはできないかと考えた」。現在設計中の「京丹波 味夢の里」(京都府京丹波町)はまちの活性化に貢献する拠点施設として計画されている。
「本施設でも極力木が使えるよう調整を図っている」という。
◆国境を越えて魅力放つ建築
海外ではここ10年ほどで50件以上のプロジェクトに携わっている。とりわけ近年では現地法人事務所を設立している台湾において精力的な活動が続いている。「台湾のクライアントには建築によって『自分のメッセージを発信したい』という強い思いがある。ある意味それは80-90年代の日本に酷似しており、わたしのような建築家にとっては非常にエキサイティングな状況と言える」と語る。
一方で、現代の日本建築については「サスティナビリティーやエコロジーはもとより、ストックマネジメントやレジリエンシーなどさまざまな課題に取り組むことはもちろん素晴らしいことだが、それによって建築本来のダイナミズムやメッセージの力から遠ざかる傾向があるのではないか」と指摘する。
「京都の建築文化は、国境を越えて魅力をつくり出せる、ある種の普遍的な力を秘めていると信じている」。京都を拠点とする建築家集団として培ってきた、その土地と建築の特異な関係の創造というノウハウが海外という舞台で必ず役立つと信じ活動を続けている。
◆心の根本震わせる美こそ建築の神髄
「美しさ」の定義や価値は時代とともに無限に変化し続ける。とはいえ「見た目の美しさはともかく、人間の心の中の根本的なところを震わせるような『美しさ』こそが建築の美の神髄だ」と断言する。「これからもわたしは変わり続ける。そして、常に変わり続けることができる眼と感性をいつまでも養い、鍛え続けたい。もちろんそれは、その時、その場所で世界に唯一の『美しい建築』をつくりたい、その誕生の瞬間に立ち会いたいと願うからこそである」
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
【執筆者から:80年代を最先端で走ってきた高松氏が場所性や環境保全・木造にシフトチェンジした変遷、それでも変わらぬ「美しい建築」への想いを強く感じた。台湾をはじめとする海外でのプロジェクトでは、80年代の「尖った」作風が垣間見れるところも興味深い】
◆「風土」「風景」を日々紡ぐ中で
「80年代は、その場所が持つ歴史や特性から解き放たれた建築を設計することが建築の独自性を獲得することにほかならないと確信していた」と振り返る。「90年代に入り、故郷・島根を始めとする山陰地方で公共建築を連続的に手掛け、建築に対する考え方に変化が起こってきた。その土地が有している魅力や脈々と受け継がれてきた文化と無関係に建築が存在することは不可能であるということに気付いた」という。その中で自ずと紡ぎ始めた言葉が「風土」や「風景」。「そのような言葉が、ある瞬間にふとイメージと結び付く。そうした瞬間が現在の作品につながっているのだろう」と分析するように、この時期をきっかけとして作品に変化が現れるようになった。
◆その場の特性と切り結ぶ建築へ
近年のテーマは「その場の特性や周辺環境と建築の関係」であるという。2月に竣工した「タキゲン製造本社」(東京都)では、降り注ぐ自然光を“呼吸”する建築を目指した。その解答としてクライアントと共同開発したのが、指1本で動く階高いっぱいの木製手動ルーバー。「建築の空間は環境とともに生まれる。社員一人ひとりが思いのままに光を調整することによって、光を媒介にしてそこに一人ひとりの空間が生まれる」と話す。
タキゲン製造本社 |
「クライアントは環境に対する意識が高く、すべからくこれに対応する必要があった。敷地の対角線上に神社・神明社の『鎮守の森』があり、この森に呼応するような建築のたたずまいを開発した」。知覚的補完と呼ばれる人間の認知上の習性を利用し、外観を森の写し絵のように見せるデザインによってクライアントの想いを象徴している。
深田電機本社 |
◆木の持つ能力、美しさを発信
「木の建築」の実現にも強い想いを抱き続けている。91年の「京都市コンサートホール指名設計競技」における木のコンサートホールの提案に始まり、「蒲郡情報ネットワークセンター」「能勢妙見山信徒会館・星嶺」「丸美産業本社社屋」「近畿産業信用組合難波支店」など、木を主題とした建築を数多く手掛けている。
木柵コミュニティーセンター |
3月に竣工した「近畿産業信用組合西院支店」(京都市)を手掛けた際にも関心事は「木」であった。
近畿産業信用組合西院支店 |
京丹波 味夢の里 |
◆国境を越えて魅力放つ建築
海外ではここ10年ほどで50件以上のプロジェクトに携わっている。とりわけ近年では現地法人事務所を設立している台湾において精力的な活動が続いている。「台湾のクライアントには建築によって『自分のメッセージを発信したい』という強い思いがある。ある意味それは80-90年代の日本に酷似しており、わたしのような建築家にとっては非常にエキサイティングな状況と言える」と語る。
南台科技大学 |
板橋プロジェクト |
四天王寺学園中学校 |
◆心の根本震わせる美こそ建築の神髄
「美しさ」の定義や価値は時代とともに無限に変化し続ける。とはいえ「見た目の美しさはともかく、人間の心の中の根本的なところを震わせるような『美しさ』こそが建築の美の神髄だ」と断言する。「これからもわたしは変わり続ける。そして、常に変わり続けることができる眼と感性をいつまでも養い、鍛え続けたい。もちろんそれは、その時、その場所で世界に唯一の『美しい建築』をつくりたい、その誕生の瞬間に立ち会いたいと願うからこそである」
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
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