2014/06/27

【けんちくのチカラ】作編曲家 小六禮次郎さんとフェスティバルホール

大阪・中之島の「フェスティバルホール(旧ホール)」は1958年、国内ではクラシック専用の先駆けとなるホールとして生まれた。木をふんだんに使った内部の音響空間は「天から音が降り注ぐ」と賞賛され、客席が2700席と大規模で、当時の日本にはない画期的な音楽ホールだった。2008年に老朽化のため閉館。13年4月には、この音響空間を踏襲した新ホールがオープンしている。作編曲家の小六禮次郎さんは20代の終わりに、音楽プロデューサーとして初めて旧ホールの空間に触れた。「このころフルオーケストラをバックに当時のアイドルなどのポップスコンサートをフェスティバルホールで初めて公演したのですが、30mもある舞台の間口の大きさと、アコースティックの音質の良さに驚いたのを覚えています」

長さ30メートルの間口を持つ舞台から見た旧ホール内観
小六さんは、作編曲家として20代の終わりごろから、歌手のコンサートの音楽監督などを手掛けてきた。そのころのコンサート会場はほとんどが、多目的ホール。そのため、クラシック音楽専用のフェスティバルホールで、フルオーケストラによって初めて指揮をした時、その空間の大きさと音質が強烈な印象として残っていた。
「当時、こんな大きなホールは国内にほとんどなくて、初めての経験でした。とにかく舞台の間口が、ものすごく広かったんですね。30mほどあると聞きました。まず観客席から見てここはとてつもなく広いなと思いました。でも客席最後部との距離はそれほど遠くはありません。とても斬新な形状だったのだと思います。そして、クラシック音楽専用ホールということで、残響もすばらしく、本当にいい音がするのです。PA(拡声装置)も使いますが、アコースティックな音がよくないと全体的にきれいに響きません。ここは、残響も長過ぎず、アコースティックな音も良かった」

◆オーケストラは建物と一体

 音楽とホールの関係を改めてこう話す。
 「(けんちくのチカラのバックナンバーで)作曲家の三枝成彰さんも言われていましたが、クラシックのオーケストラは建物と一体だということです。建物ごと良い音を出さないとだめなのです。原則はホールで練習をして、その残響に合わせて音を出さなければなりません。楽器も大切ですが、それを鳴らすためのホールはとても重要です」
 クラシックのオーケストラがポップスの伴奏をすることは当初、日本ではかなり抵抗があった。それが、ボストン・ポップス・オーケストラなど海外の影響もあって、70年代はじめに作曲家の服部克久さん、前田憲男さん、宮川泰さんなどによるNHKの番組『世界の音楽』によって一般的になっていった。
 「高校の時に『世界の音楽』をよく見ていまして、クラシックのオーケストラ編成でポップス、ジャズ、スタンダードを演奏することが珍しく、おもしろかったですね。その後、作編曲家の仕事に就いて、70年代終わりころから、歌謡曲などのコンサートでフルオーケストラをバックにアレンジ、監督する仕事が増えてきました。当時のアイドルだった岩崎宏美さん、野口五郎さん、西城秀樹さんなど歌謡曲でヒットした多くの歌手の方々とフルオーケストラでコンサートを開きました。10年以上続いたと思います。全国各地で地元の交響楽団とプログラムを組んで公演しました」

中学のブラスバンド部で初めて手にした楽器がトランペットだった
中学生のころから管楽器が好きで、ブラスバンド部でトランペットを吹いていた。
 「中高時代、トランペットのほかにも高一からオーボエを始めるなどいろいろな楽器をやってまして、それで譜面を書きたくなりました。高一の時、故郷の岡山にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のカラヤン、その1週間後にクリーブランド管弦楽団のジョージ・セルが来まして、このコンサートを聞いてプロとして音楽をやりたいと思いました。高校ではジャズバンドを組んでベースを弾いたこともあるんですよ」
 今の若い人は小さいころからヘッド・フォンによるデジタル音楽に慣れ親しんでいるが、ぜひシンフォニー・ホールに足を運んで生の音を体験してもらいたいと話す。

中之島フェスティバルタワーの低層部に設置された「新ホール」(撮影:朝日新聞社)
「若い人たちがホールで初めて生の音を聞くと、すごい音がする、と感動する人が多いですね。今のデジタル音楽は最初から最後まで音量が大きい状態で一定になっています。でも生の音は、ダイナミックスがあります。特にクラシックは音量の違いがないと成り立たない音楽です。音量が例えば10%から90%まであらゆる場面で変化するというのが音楽の本質です。特に打楽器は、風圧を体で感じることができます。スピーカーでは絶対に聞こえてこない空気の振動があります。それが生の音楽の素晴らしさですね。ホールはそれを再現する仕組みをつくるということだと思います」

◆旧ホール建築データ

▽規模=SRC造13階建て延べ7万7687㎡(うちホールは2階から9階)
▽所在地=大阪市北区2-3-18
▽客席数=2700席
▽設計・施工=竹中工務店
▽1958年-2008年
 ※新ホールは、旧ホールを建て替えて2012年に竣工した中之島フェスティバルタワーの低層部に配置されている。客席数は旧ホールと同じ2700席。設計を日建設計、施工を竹中工務店が担当した。

◆世界的音楽家が演奏できるホールを/元竹中工務店専務 大辻眞喜夫さんに聞く

 「1958年に完成した大阪のフェスティバルホールは、元朝日新聞社社長・社主の村山長挙(ながたか)さんが、世界的な音楽家が演奏できる本格的ホールをつくりたいと計画されました」
 当時、ホールが入る複合ビル、新朝日ビルディングのホテル部門の設計を担当していた元竹中工務店専務の大辻眞喜夫さんはそう話す。2700席のホールとホテルのほか、オフィス、屋上にヘリポートを備え、国内では神戸国際会館と並ぶ画期的なビルだった。
 「複合ビルの先鞭をつけた神戸国際会館も竹中工務店が担当していまして、私はこのホテル部門の設計にもかかわっていました。フェスティバルホール計画の参考にしたいと、工事中に村山社長と奥様の藤子さん、長女の美知子さんがおそろいで見学に来られたのを覚えています」
 村山社長は海外の文化人や要人と家族ぐるみで交友関係を持つなど、日本にまだ数少ない国際人だった。

旧ホール外観
「フェスティバルホールは、国際的な基準をクリアすることが大命題でした。国内だけではなく、世界に通用するホールです。残響などの音響には随所に最新の技術が導入されました。幕間の歓談する場としてのホワイエも、国際的には重要でした。豪華なシャンデリアと深紅のじゅうたんなどは観客の高揚感を満たすもので、舞台の華やかさ中心の日本では珍しいものでした。舞台間口は他にはない大きさで、2700席という大空間の観客と舞台の距離感を感じさせないための工夫でした」
 58年のオープンには、2カ月間にわたって、世界各国のオーケストラの招待公演などが開かれた。
 「オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などさまざまなオーケストラの指揮者から高い評価をいただいたと聞いています」
 こんなエピソードもあったという。
 「木の内壁はその凹凸などで音響の質を確保したのですが、でき上がった時に確か奥様の藤子さんが『目地を金色にできないでしょうか?』と言われたそうです。華やかさを出してほしいということだと思います。それで光る金物の目地に変えました。そしたら藤子さんが『見てごらんなさい、音に艶が出たでしょう』とおっしゃったということです」


 (ころく・れいじろう)作曲・編曲家。1949年生まれ、岡山市出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。現在東京音楽大学映画放送音楽コース教授。アジア太平洋国際映画祭最優秀音楽賞、日本アカデミー賞優秀音楽賞受賞。主な作品として映画「ゴジラ」「オーロラの下で」、大河ドラマ「功名が辻」「秀吉」、連続テレビ小説「さくら」「天うらら」、世界劇「黄金の刻」「眠り王」、オーケストラ作品「交響詩橋のない川」、前進座舞台「法然と親鸞」、倍賞千恵子「冬の旅」、石川さゆりシングル「歌、この不思議なもの」など、幅広く多方面にわたって活躍中。倍賞千恵子と共演のコンサート「深呼吸したら思い出した…。ありがとうふるさと、ありがとうあなた」の全国公演が、近日では8月27日(水)大阪新歌舞伎座、9月15日(月)品川きゅりあんで開催される。
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