2015/01/18

【マンション建替え】「円滑化法」を住民発意で初活用! 大宮高鼻町ハイツの取り組み

さいたま市内で、住民発意では初の「マンション建替え円滑化法」を活用した老朽マンションの建替事業を進めている。既存施設の解体工事に入り、新棟の完成を待つばかりとなった。大宮高鼻町ハイツの建替組合理事長の菊池昭夫さん=写真=は「約50戸の権利者が老朽化による“スラム化”を未然に防ぎ、マンションや住環境の価値を高めるために一人ひとり当事者意識を持って取り組んだことが、事業の推進力になった」と語る。

 1980年に完成した大宮高鼻町ハイツでは、約10年前に住民有志で建て替えの検討を始めた。「建物の一部で耐震性能を満たしていないことが判明した。東日本大震災もあり、11年12月に建替え推進決議がなされ、事業が大きく進み出した」という。
 検討が加速する中、12年5月に管理組合の理事長に就任。「理事会に上がってきた情報はプライバシーに配慮しつつ、すべてを公開し、『好き、嫌い』を抜きにして公平に住民と接する」ことを心がけ、「何かを決める際は事前に条件を明確化した上で住民に問い、判断してもらった。決まったことに対して後から批判が出ることはなかった」と振り返る。事業手法や資金計画などを理解してもらうため、全戸面談や会議を重ね、1年後の13年4月に全員同意で建替決議が承認され、同9月に建替組合を設立した。
 建替え推進決議から着工までの間、建築費高騰などの問題が生じたが、「熱意のある住民、コンサルタント、事業協力者、設計者、施工者が役割分担し、それぞれが力を発揮して事業を円滑に進めることができた」と強調。「マンションを建て替えることは一生に一度のこと。管理組合と建替組合の理事長を務め、個人としても有意義な経験となった」と充実感をにじませる。
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