2015/10/01

【けんちくのチカラ】透明で軽い“進行形”の供養塔 東大名誉教授・養老孟司さんと虫塚(建長寺境内)



 「隈研吾らしいなと思いましたよ。『虫塚』の目的をかんたんに伝えただけですが、それを基に描いてきた絵を見た時、予想外ではなかったですね。予想できたわけではないですが、石碑のような普通の塚をつくるわけはないと思ってました。ぼくに考えろと言われても無理ですから、隈さんに任せる。それを受けるのがプロというものだと思う。いまは、ネットなんかがそうですが、素人が思いつきなどでうるさ過ぎる」。神奈川県鎌倉市の建長寺境内に、虫の供養塔である「虫塚」をつくった解剖学者、養老孟司さんは、建築主として隈さんの設計をそう話す。「できたものが虫塚ですよ(笑)。ああ、虫塚ってこういうものかって。おもしろいでしょ。虫の墓としては、なかなか良いじゃないですか」。午後の陽光に眩しそうにたたずむ虫塚の前で、養老さんは楽しそうに話す。

Photo:Noboru Aoki(SHINCHOSHA)

 設計の隈さんの話では、ほとんど細かい話はせずに、デザインは全面的に任せてもらったという。雑誌の対談などを通じて考え方が近かったからかもしれないとも話す。


 「虫塚をつくったのは長年、虫を標本にしてきましたので、その供養が第一です。目的は伝えましたが、あとは好きにしてくれと。それしかしょうがないですからね。建築のことは素人なので、考えろって言われても無理です。プロってそういうものだと思う。医者も同じです。素人はプロに任せる気持ちがなければね。ただ、素人がうるさ過ぎるのも問題ですが、プロの側もいい加減になってきていて、後戻りがきかないものに責任を持たなくなった。隈さんと話していて共通しているのは、施主と建築家、患者と医者は時には『共倒れ』も伴う一蓮托生だということです」
 養老さんの造語で、ベストセラーでもある『唯脳論』は、人工物の代表ともいえる建築物がまさにその象徴だ。
 「時々本気で、人間がつくったものには興味がありませんて言うんですよ(笑)。そうやって世界を区別するとすごくすっきりするんですね。別のカテゴリーにしているわけ。虫は違うでしょう、同居している。建築はただ、材料については人間がつくっていないんですよね。マテリアルまでいくと自然になるんです。マテリアルも加工した自然ですが」
 建築に細かい注文を付けないのはそんな考えもある。それと、戦後の小さいころの家がとにかく狭くて、雨風がしのげればいいというものだったことも影響している。
 「家が病院だったのですが、待合室も2人で一杯。患者さんのこたつにぼくも片足突っ込んで勉強してました。押し入れは開けるなって。詰めたものが崩れ落ちてくるから。そんな育ちもあるから、出来上がったものを上手に利用するというか、建築は、知ったことか、みたいな感じ。女房に任せています。虫塚をつくったらと言ったのも最初は女房です」

残暑の陽光でその佇まいも変わる(9月中旬撮影)

 虫塚の完成予想の絵を隈さんから見せてもらったとき、「ああ、そうか。虫塚ってこういうものか」と思ったという。
 「石を使った花塚とか筆塚とかはありますが、隈さんがそういう普通のものをつくるわけはないと思っているから、予想はできなかったけど、予想外ではなかった。ヨーロッパのお墓を回って見たりしていますが、かなり固定観念でつくられています。お墓にしてはおもしろいでしょう。おれの墓にしちゃおうかと思って。約束事ですからね。人の墓だって言えばそうなるし、虫塚だって言えば虫塚になる」
 虫塚の前でそんな話をしていると、一匹の虫が養老さんの右腕にとまった。「あっ」と言って、左手で叩きながら、「犯人は小型アカイエカですよ」と言う。瞬時に蚊の種類を見定めたことに驚きながら、「退治」したのが虫塚の前というのがおもしろかった。
 虫かごをイメージした透明感と軽さ。これが隈さんのコンセプトだ。
 「建築ってやたらと重いじゃないですか。これは重たくないんですよ。透明感を出したいと言うのは聞いていました。周りに草や木が生えてきてもまったく違和感がないんじゃないかと思う。どんな背景にでも合っちゃう。透明ですからね。そこがいいな。中に入っての供養も考えられます。何だこれは、という変わった空間ですよ。真ん中にへそが必要かなと思って、知り合いがつくったゾウムシの彫刻を素人考えとして一応置いたんだけど、重すぎるから、ない方がいいかな」
 使い方は進行形だと話す。
 「人の永代供養の墓になるかもしれません。使い方は自由に動いていっていい。それと虫塚としての供養祭のようなものを毎年開こうと思っています」

■建物の概要 透明なフレームの供養塔に 設計・隈研吾さんに聞く


養老氏(左)と隈氏。オープンの日に
Photo:Noboru Aoki(SHINCHOSHA)


 コンテンツではなく、フレームをつくろう--。建築家、隈研吾さんが、そんな「逸脱」したモニュメントを発想した思考ストーリーが興味深い。通常は慰霊する内容(モノ)を表現するのが「塚」の形だが、その常識を覆して、透明な虫の塚をつくりあげた。モニュメントの反転である。
 その思考物語はこんな風に展開する。
 「虫をどう表現するかいろいろ考えたのですが、リアルに虫を形にすると気持ち悪いものになる。それで虫かごという入れ物としてつくろうと。これは額縁みたいなものですね。普通のモニュメントというのは、コンテンツがあるわけですが、今回は内容じゃなくて、一種のフレームをつくるということ。フレームだけを与えられると、人はいろいろなことを想像できるもので、それもモニュメントの新しい形かなと思いました」
 塚は石碑のような形が多く、そこで拝んで慰霊をする。隈さんの虫塚は、向こう側が見える透明なモニュメントだ。
 「モニュメントに向き合うのではなく、中に入って、体験もできる慰霊です。モニュメントの反転を提案しているわけですが、完成予想の絵を描いて、養老さんにお見せしたら一瞬で意図を分かってくれました。虫かごが集まったイメージなので、子どもは虫かごに囲まれて、遊具のような感じになるのではないかとも考えました」
 養老さんから一つだけあった注文は、ステンレスがむき出しだったので、少し暖かい感じがいいなというもの。

フレームに土を吹き付けた(左官の挾土秀平さんが手掛けた)
Photo:Noboru Aoki(SHINCHOSHA)

 そこで2人の共通の知人である左官の挾土秀平さんに、ステンレスに直接土を吹き付けてもらった。熱や風などで土が落ちない技術はとても難しいのだという。構造に関しても、どこまで細く、透明度を確保するか、構造の江尻憲泰さんと限界まで考えた。
 「養老さんのような、哲学が似ていて、頭脳の明晰な方と仕事をするのはとても楽しい。北鎌倉の禅寺は子どものころからよく遊びに行ったなじみの深いところで、そこで仕事ができたことは縁でしょうか」

■プロフィール
 (ようろう・たけし)1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。89年、『からだの見方』でサントリー学芸賞を受賞。85年以来一般書を執筆し始め、『形を読む』『解剖学教室へようこそ』『日本人の身体観』『唯脳論』『人間科学』『バカの壁』『養老訓』『「自分」の壁』など著書多数。

■建物ファイル
▽名称=虫塚
▽建築主=養老孟司
▽所在地=神奈川県鎌倉市山ノ内70 建長寺(臨済宗建長寺派大本山建長寺)境内
▽用途=供養塔
▽設計期間=2013年7月-15年5月
▽工期=15年5月20日-15年6月4日(オープン日6月4日)
▽規模=敷地面積1078㎡、建築面積57㎡、最高高1600mm
▽構造=ステンレスメッシュ構造
▽設計=隈研吾建築都市設計事務所
▽構造=江尻建築構造設計事務所
▽監理=アトリエ ノア
▽施工=ミスミ建設(外構・基礎)、エイチケーテクノス(金網制作・溶接)、秀平組(挾土秀平、左官)
▽開館時間(建長寺)=午前8時30分-午後4時30分
▽入館料(同)大人300円、中小生100円
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