戸田建設社長、代表取締役会長、建築業協会(現日本建設業連合会)副会長を務めた加藤久郎(かとう・ひさお)氏が1日午後3時51分、肺炎のため死去した。84歳だった。既に近親者のみで密葬を執り行った。喪主は長男・久仁(くに)氏。後日、「お別れの会」を執り行う予定。問い合わせは戸田建設秘書部(電話・03-3535-1354)。
1954年4月戸田組(現戸田建設)入社、取締役大阪支店長、常務取締役東京支店長、専務取締役、代表取締役副社長を経て、2003年6月社長。07年6月に代表取締役会長に就き、13年6月に退任。団体も日本土木工業協会総務委員長、日本経済団体連合会監事、日本建設業団体連合会常任理事など歴任。東京都出身。
■抜群のバランス感覚 業界活動で光り放つ
「あなたねえ、人事は業界が決めるものでなく、会社が決めるものです」。2007年3月末、自身が代表取締役会長になり後任社長に井上舜三氏を昇格させた会見の場で、誤報しながら業界情報を言う経済記者にそう言い切った姿が忘れられない。温和で笑みを絶やさぬ方が、きっぱりスジを通した姿だった。
戸田建設では開発事業のオーソリティーで、この畑を切り開き、花咲かせた。オーナーの信任が厚く、最後の「戸田家の大番頭」を自認していただけに、72歳で創業家以外、初の社長に就任した時も「わたしが社長に就任すること自体が次代を担う人材を育ててこなかった証明」と言い切った。人材育成と社業の回復に力を注ぎ、執行役員制度を導入した4年間の社長職であった。
大柄でゆったりした言動、謙虚な人柄と包容力、そして抜群のバランス感覚は、会長就任前後から本格化した業界活動で光りを放った。
長らく日本土木工業協会の総務委員長を務め、当時の梅田貞夫会長に「名委員長の加藤さんに任せておけば間違いない」と言わしめた。葉山莞児会長時代は、「透明性ある入札・契約制度に向けた検討会議」「コンプライアンス特別委員会」のメンバーとして脱談合宣言後の課題解決を担った。日本建設業団体連合会では労働・生産システム委員長として10年に「建設技能者の人材確保・育成に関する提言」をまとめ、職長認定制度と職長年収600万円以上を政策化した。
今日の業界最大課題である担い手確保政策の、先駆的提言であった。
社長時代の言葉がある。「安ければいい、みたいな風潮は間違っている。正すにはわれわれも、なぜこの値段なのか、丁寧に説明して分かってもらうよう努力する必要がある」(05年12月21日付建設通信新聞)。本当に、静かに先を見つめていた加藤さん、安らかに。
合掌
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