2011/09/22

けんちくのチカラ!演ずるプロが語る/俳優・エッセイストの黒田福美さん

 大阪のクラシック専用ホール「ザ・シンフォニーホール」の構想から完成まで、建築主、設計者、施工関係者らの人間模様を描いた著書『残響2秒』をご存知だろうか。同ホールは、朝日放送の創立30周年記念事業として1982年に竣工した。竣工から1年後に出版されたこの本の著者は、当時朝日放送プロデューサーで、建設委員会事務局員だった故三上泰生さん(1934-94年)。87年ごろ、三上さんプロデュースの番組に出演していた女優・黒田福美さんは、三上さんから何気なく渡されたこの本を読んで、深く感動した。「完成後のテストコンサートで、楽曲の主題が高らかに演奏された時、三上さんは不意に涙が出てきて、こみ上げる涙が次から次へと溢れ出たと言うのです。それが胸に響きました」。苦労を重ねて最高の音響を獲得した喜びの涙。黒田さんは当時、日韓交流活動を続ける中で日本人の韓国に対する無理解に悩み、孤独感に苛(さいな)まれていた。そんな時に読んだこの本は、勇気をもらえる応援歌だった。
 何気なくプレゼントされたその本に元気をもらい、約30年にわたる日韓文化交流を今まで続ける原動力になった。「いまでも天国から三上さんが応援してくれているような気がします。不思議な因縁を感じています」と黒田さん。
 ザ・シンフォニーホールは87年ごろ、毎週1回の大阪でのテレビ番組で、東京から新幹線で朝日放送に着くたびに外観をいつも見ていた。でもいまだに中に入ったことがない。
 「実際に自分が演じたり、聞いたりしたホールではないのに、ご紹介することがいいのかどうか迷ったのですが、感動と不思議な縁をどうしても伝えたいと思い、お話しさせていただくことにしました」
 『残響2秒-ザ・シンフォニーホールの誕生』。改めて読み返したというその本を語る声と目から、受けた感動が生き生きと伝わってきた。
ザ・シンフォニーホール

 本の中では生々しい苦労話は出てこない。立ちはだかる難題も、カラッとしたユーモアで表現して見せる。しかし、現実にはただならぬ苦労が積み重なっていたはずだ。「残響2秒」という究極の音響を獲得するため、夢を追い続けたからだ。それは、建物が完成した後のテストコンサートについて、本の終盤で表現される三上さんのとめどない涙が物語る。
 《約10分の演奏がほとんど終わり、再び最初の主題が高らかに演奏されたとき、2階バルコニーにいた私の目から不意に、本当に不意に涙が出てきた。誰もいないので、壁の方を向いた。こみ上げる涙が次から次へと溢れ出て、なかなか止まらなかった》(同書から)。
 黒田さんはこの本を読んだ87年のころ、女優として活躍する一方で、88年のソウルオリンピックを前に、日韓文化交流を本格的に展開しようとしていた。
 「当時は今の『韓流』などは想像もつかないほど、在日問題など、日本人の韓国に対する無理解が当たり前の状況でした。それをどうしたら分かってもらえるかと胸を痛めていました。何も私でなくてもとも思いました。それなのに、なぜか自分がやらなければならないと思い立ったんです。周りの人たちの反対もありました。でも、ほかに誰がやるんだろうかと思いながら、信念を貫いたのですが、ほとんどの人が理解してくれませんでした。孤独のまっただ中でした」
 そんなある時、いつものようにテレビ出演のために大阪に向かう新幹線に乗った。
 「関ヶ原の辺りに差しかかった時、すごくきれいな夕陽が落ちるのを見たんです。その時になぜか、涙がボロボロ出てきました。自分でも意外でした。これが三上さんの本の中の『次から次と涙が……』という思いと重なりました」
 三上さんは持てる力を可能な限り発揮して、集大成として残響2秒のすばらしいホールを造った。その苦労したであろう過程が、いまの自分に似ている。そんな思いだったのではないだろうか。三上さんが60歳の若さで急逝したこともあって、黒田さんにとって三上さんの印象はより強烈なものとなっていった。
 ことしの5月には、黒田さんの日韓の文化交流活動が韓国政府から高く評価され、「修交勲章 興仁章」が叙勲された。
 ザ・シンフォニーホールが、東京のサントリーホールより前に、日本初の本格的なクラシックホールとしてオープンしたことはあまり知られていない。『残響2秒』の巻頭では、ホールの完成に寄せて、指揮者の岩城宏之さん、ピアニストの中村紘子さんらが「夢のような音がする」などと絶賛している。これは関係するすべての人々が、残響2秒という究極の音響空間造りを妥協せずに追求し続けたからにほかならない。設計施工は大成建設が担当した。
 黒田さんは、いつかはこのホールで三上さんを思い起こしながらコンサートを聞いてみたいと話す。「こういう事業を成し遂げられた方とご縁があったことを誇りに思います」

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