2011/12/05

元JIA会長、元日建設計副社長の林昌二氏が逝去

 半世紀にわたって日本の建築界をリードしてきた建築家の林昌二(はやし・しょうじ)氏が11月30日、病気のため死去した。83歳だった。妻は建築家の故林雅子さん。
 1953年に東京工大卒業後、日建設計工務(現日建設計)入社。77年常務東京本社代表、80年副社長に就任。93年からは副会長、最高顧問などを務めた。日本建築学会・作品賞を受賞したポーラ五反田ビルを始め、三愛ドリームセンター(東京都中央区)、パレスサイドビル(千代田区)、中野サンプラザ、新宿NSビルなど、半世紀にわたって日本を代表する建築を数多く手掛け、同社の発展を支えた。
 また、JIAで建築家資格が議論されている中、第3代会長(90、91年)として欧米各国の建築家資格制度や設計監理法人の正確な状況、実態をJIAが自ら調査、把握するための調査委員会を設立した。建築家資格制度は、この成果をベースにして具体的な検討、議論が始まることになる。現在のJIA建築家資格制度を振り返ると、大きなエポックとなる取り組みだった。また、国際交流基金を創設し、国際活動のための財政基盤を確立した。
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 20年近く前に林氏にインタビューした際、建築家が一般の人たちがわからないような言葉を使うのはおかしいと強く批判していたことをおぼえています。
 そうした林さんが「子どもからお年寄りまで誰でも、遠くから一目でわからないといけません」と説明してくれたのが交番です。林さんが設計した交番は、円柱に 警察帽をかぶせた〝警官〟をイメージしたものでした。「三愛ドリーム・センタ ー」(63年)の前にあった銀座4丁目交番が建て替えられてしまったことをとて も残念がっていました。ただ、同じデザインの交番がパレスサイド・ビルの入口にはまだ残っています。近くを通った時にはぜひ観てください。

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