2014/07/25

【けんちくのチカラ】「松井建設営業部長で俳優」の 直江喜一さんと劇場HOPE


「まさか当社(松井建設)の施工した劇場で、自分が主役の芝居をするとは思ってもいませんでした。『3年B組金八先生』の役者仲間が結んでくれた縁です。うれしかったですね」。松井建設北陸支店営業部長で俳優の直江喜一さんは、一昨年11月から12月の2週間、東京・中野の「劇場HOPE」で、主役を演じた劇団JAPLINの公演『でんすけ』を振り返ってそう話す。同劇団所属の俳優、大仁田寛さんが『金八先生』の「同窓生」で、大仁田さんに声をかけられ客演した。「劇場HOPE」は劇団とのつながりはあったが、直江さんにとっては偶然。「70人ほど(72席)のキャパでして、お客さんが本当に間近で一体感を持てました。『でんすけ』のような芝居にはちょうど良い大きさではないでしょうか。住宅街の中にある異空間という雰囲気も魅力的です」 


4つの劇場が並ぶ「ポケットスクエア」
「劇場HOPE」は、中野駅から徒歩5分の住宅街にある。この一角にはほかに「ザ・ポケット」「劇場MOMO」「テアトルBONBON」と計4つの劇場が隣接していて、いずれも司(笠原一将社長)が運営する。ポケットスクエア(笠原玲子支配人)と呼ばれ、演劇関係者、演劇ファンにとって人気のスポットだ。ザ・ポケットが1998年、劇場MOMOが2000年に完成、施工を清水建設が担当。テアトルBONBONと劇場HOPEが一つの建物で2009年に完成、松井建設が施工した。設計はいずれも真澄建築設計社。
 直江さんは、劇場HOPEと松井建設のかかわりをこう話す。
 「8年ほど前、司さんの運営するライブハウスと共同住宅などの複合施設『カームステージ高円寺』(東京・高円寺)の仕事を松井建設にご下命いただきました。この時、私は工事長で携わりました。そのご縁もあって、5年前に完成した劇場HOPEの時には、私は営業職に異動になっていましたが、現場代理人は高円寺の時と同じ者が担当させていただきました」
 高円寺の建築は難易度がかなり高かったようで、その実績が施主と設計事務所に評価されて、劇場HOPEの受注につながった。
 一昨年の年末、偶然にもその劇場で主役で芝居をすることが決まった。
 「話があったとき、えっ、うちで施工した『HOPE』で、と驚きました。まさか、当社が建築した劇場で主役の芝居をするとは思ってもいませんでした。ありがたかったのと同時に、うれしかったですね」
 偶然のきっかけは、1980年から出演したTVドラマ『3年B組金八先生』。直江さんが加藤優役の「腐ったミカンの方程式」の回で大ブレークした人気ドラマだ。ファイナルとして11年3月に放送されたスペシャル番組で、「同窓生」と再会。その一人に劇団JAPLIN所属の俳優、大仁田寛さんがいた。
 「大仁田君から『優、うちの芝居に出ない?』と誘われまして、『サラリーマンだから1シーンか2シーンで』ということで、2本出ました。そして3本目に、劇団の座長で作・演出家の桑原秀一さんがぼくのために『でんすけ』を書き下ろしてくれたのです。自閉症の息子を持つ父親の悲喜劇で、子どもを持つ父親が見たら号泣しちゃう話です」

2012年11月から12月に上演された『でんすけ』
JAPLINは08年の旗揚げ公演をザ・ポケットで行っていたこともあり、ポケットスクエアとは縁があった。それで桑原さんが『でんすけ』の公演場所を劇場HOPEに決めたが、偶然にもそこが松井建設の施工だった。
 2週間で16回公演した。演じた感想をこう話す。

舞台から見た客席。72席の小劇場だが、高い安全性と品質を確保している
「合計で正味800人ほど入っていただきました。良かったですよ! 本当に間近にお客さんを感じることができます。70人のキャパはやりやすいですね。『でんすけ』のような内容の芝居は、大きいところよりこのくらいの規模がちょうど良いと思いました。小劇場なのに、楽屋が上手、下手の両脇に2つそろっていて便利でした。周辺が住宅街なので、公演後にお客さんとごあいさつするスペースも中にあって、よく考えられた空間だなと思います」
 ポケットスクエアは、芝居を見に来たことも何度かある。
 「中野は最近、小劇場の聖地のようになってきて、かなり知れわたっています。この4つの劇場はどれもとてもすばらしい。中野の駅から歩いて住宅街の中に入って行くと、ポケットスクエアは一つの異空間としてとてもいい雰囲気を持っています。それも魅力的ですね」
 小さいころは東京の西落合に住んでいて、中野はよく遊びに行く場所だったという。
 「中野のアーケード街にブロードウェイという東京出身の人はほとんど知っている雑居ビルがありまして、両親とよく行っていました。昔はブロマイドを売っている店がありました。懐かしいですね」
 29歳で役者をやめて建設業の道に入ってから、1級建築施工管理技士、2級建築士の資格を取得した。35歳で松井建設に入って、現場の技術者として活躍。45歳から営業に進み、「仕事を取るのはこんなに大変なのか」と実感させられたと言う。この4月に東京支店の副部長から北陸支店(金沢市)営業部長に。
 北陸支店について「来てみたらすばらしいところで、定年までにサンセットが望めるところに家を持ちたいと考えています」と笑って話す。

【空間をすべて使い切る 真澄建築設計社代表・細井眞澄氏】


細井眞澄氏
東京・中野で1998年から2009年にかけて、4つの劇場が隣り合い、向かい合って生まれ、その小さな劇場街が「ポケットスクエア」と名付けられた。今は、演劇界のホットなスペースとして高い人気を誇る。劇場の運営会社は司(東京都千代田区)。
 4つの劇場を設計した真澄建築設計社の細井眞澄代表は「司さんの笠原寛会長とは、絵画仲間でして、劇場づくりの夢は以前からお聞きしていました。それが現実になって、ぼくに設計のお話をいただいた時は、もう飛び上がるほどうれしかったですよ」と振り返る。細井さんは、大学(北海道大学)時代に絵画部と演劇部に所属。4年生の時と、卒業後、連合設計社市谷建築事務所に入社してから、故遠藤周作氏が主宰する劇団「樹座(きざ)」で舞台装置の計画から制作までの仕事を3年間手伝った。
 「学生時代はアングラ演劇が盛んで、唐組などをよく見に行きました。演劇部と『樹座』の経験で舞台の裏回りに興味を持つようになりました。ポケットスクエアの設計ではこの経験を生かすことができたと思います」
 設計で重視した点をこう話す。
 「4劇場に共通することですが、空間をすべて使い切るということを考えました。裏回りに興味があったので、72席という一番小さい『劇場HOPE』にも奈落を設けて、役者さんが走り回って使い切れる劇場にしています。まるで忍者屋敷のようなつくりです。客席については小劇場ながらもゆったりと寛げる空間と席にするというのがお施主さんのコンセプトでした。さらに安心してご覧いただけるよう、廊下や階段、避難経路も確実に、わかりやすくそして広めに設置することで、安全性の上でも大劇場と変わらない施設になっています」
 こうした重要事項をクリアしたうえで、考えなければならなかったのが採算。
 「民間の劇場ですので収支が合わなければ困ります。このため、敷地を一杯に使い切って建てているので直角のところはありません。ミリ単位での図面でしたので施工はたいへんだったと思います」

地上部がテアトルBONBONで地下が劇場HOPE
外観も落ち着いた雰囲気を心掛けた。「『劇場HOPE』の建物は少しどっしりとした感じにしました。外壁に設置した彫刻は笠原さんがファンでもある彫刻家、堀内有子さんに依頼した『虹の神話』というオリジナルです。メルヘン的で建物の象徴にもなっています」

【劇場HOPE建築データ】

▽建築主=司
▽規模=RC造地下2階地上2階建て延べ476㎡
▽所在地=東京都中野区中野3-31-20
▽客席数=72席
▽設計=真澄建築設計社
▽施工=松井建設
▽竣工=2009年

 (なおえ・きいち)1975年児童劇団「こまどり」入団。1980年TBS第2シリーズ『3年B組金八先生』オーディションで加藤優役に抜擢され好演。その後レコードデビュー、TVドラマや映画に出演。1983年劇団青年座研究所の研究生となり舞台も経験。1991年芸能界を引退し、建築の道に進むが、持ち味のトークを生かしバラエティー番組出演を機に復帰。雑誌や新聞の取材も多い。以来、勤務に支障のない範囲でテレビ・映画・舞台等、芸能活動を続けている。
 勤務先の松井建設では「現場の所長になれればと思っていたら工事長にもなれ、今では営業部長になってしまった。責任重大です」と素直な気持ちを話す。営業は大変だが、自分に向いている気がするという。現在は同社北陸支店に勤務。
 東京都出身。51歳。
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