2014/07/08

【復興版】幸せな帰町に向けて本音話そう 福島・広野町で国際シンポ

「あらゆるステーク・ホルダー(利害関係者)が本音で話し合える場が必要」--。福島県広野町で開かれた国際シンポジウム「広野町から考える~避難先からの“幸せな帰町”に向けて」では、中学生と子育て世代、シニア世代の代表が避難先から帰町するために必要な施設や、帰町後に感じていることなどについて意見を発表した。また、海外研究者らとの議論を踏まえて“広野からのメッセージ”をまとめ、世界に向けて発信した。写真は9月の完成に向けて整備が進む災害公営住宅。
 広野町の人口は6月25日現在、震災前の約3割に当たる1486人となっている。同町が2013年12月に実施した町民アンケートによると、町外に避難している住民のうち、町に「もどる」と答えた人は62.8%にのぼった。
 その判断材料として挙げられた条件は「医療や福祉、買い物など日常生活に関するサービスが元どおりになったとき」が27.6%で最も多く、「仮設住宅や借り上げ住宅の入居期間が終了したとき」22.4%、「福島第一原子力発電所の状況が安定した状況となったとき」20.9%などと続いた。

◆インフラ施設整えて開校を

シンポジウムでは、町民代表者が“幸せな帰町”に向けてそれぞれの思いを語った。近隣のいわき市から広野中学校に通学している渡邉金四郎くんは、多くの人が帰町しない理由について「放射線量が高いとか、治安が悪いという人もいるが、それは違うと思う。一番の理由は便利か否かではないか。避難先のいわき市には、広野町にない便利さがある」と率直な感想を述べた。また、同町で中高一貫校の開校準備が進んでいることに触れ「スーパーマーケットや病院などのインフラ施設を先に整えてから開校させた方が良い」とも指摘した。

◆役場任せではなく住民も一緒に

12年8月の学校再開を機に帰町した子育て世代代表の阿部理恵さんは「帰町してから間もなく2年になるが、家族全員、元気に楽しく暮らしている。子どもたちには口癖のように『大丈夫、なんとかなるよ』と呼び掛けているが、それは『なんとかしてあげるよ』ということ。わたしたち父親、母親には、それを可能にするパワーがある。行政の皆さんには、そのパワーと多くの声を漏らさずに受け止めてほしい」と要望した。その上で「幸せな帰町は誰かに準備してもらうものではなく、わたしたち自身がどのように生活して、どのように感じていくかが大切だ」と強調した。
 同じく避難先の神奈川県から4月に帰町した馬上直子さんも「自宅でのびのびと遊び、楽しそうにしている子どもたちの笑顔をみると、便利な生活にしがみついていたのは、自分たち親だったと気付かされた。子どもたちがもっと笑顔になれるよう、わたしたちの本音を聞いてもらえる場を設けてほしい」と訴えた。

シニア世代を代表して猪狩明子さんは「広野には海も山もあり、季節とともに風景も変化する。帰町して約2年になるが、特に不便さは感じていない。近くに住む孫たちとのおしゃべりに幸せを感じている」とした上で「それでも仕事の場や図書館、公園など、ほしいと思うものはある。役場にお任せではなく、住民が一緒になってつくっていければいい」と語った。

会場には約130人が詰め掛けた
一方、海外研究者からは、廃炉や除染などのために全国から集まった技術者や作業員らとの交流を提案する声が上がった。カール・ブルック氏は「作業員の中には10年、20年と広野町にとどまり、生活を送る人たちもいる。彼らが結婚すれば、町に住み、子どもが生まれ、学校にも行くようになる。アウトサイダーとして見続けるのではなく、コミュニティーで歓迎する考えも必要ではないか」と述べた。

◆子育て世代の視点取り入れる

メッセージを読み上げる出席者
こうした議論を踏まえ、最後にシンポジウムの出席者全員で「“幸せな帰町”と復興を図るためには、子育て世代の視点を取り入れていくことが極めて重要と改めて学んだ。その実現には“子育て世代の女性”が主体的に参加し、活発に活動されることが肝要であり、それを可能とする環境を整えることの重大さを知った。シンポジウムを機に広野町が内外の“知の交流の場”となるよう、文化豊かで感性にあふれたまちづくりを目指し、FUKUSHIMA(福島の原発事故の被災地)全体の復興に向け、世界の英知を結集できるように全力を尽くす」としたメッセージを読み上げた。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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