2012/02/29

けんちくのチカラ 日本画家の千住博さん「軽井沢千住博美術館」

内覧会での千住氏 撮影:田中和人
 目の前に広がったのは、いままでに見たことがない自然の光に包まれた展示空間だった。長野県軽井沢町に昨秋オープンした「軽井沢千住博美術館」は、入り口に立った時、そんな心地良い光が木洩れ日のように差し込み、森の陽だまりに入って行くような幸せな気持ちにさせられる。日本画家・千住博さんの作品展を中心とするまったく新しいタイプの美術館だ。
 作品は、空間に置かれた壁に展示している。延べ約1500㎡の平屋で外壁はすべてガラス。円柱形をした4つの中庭もガラスでできていて、内外の境界を緩くしている。葉色を楽しむカラーリーフが植樹されている。床は地形に合わせて自然な斜面とした。千住さんは「野の中を歩いていたらたまたま千住の絵があった。そんな、自然と人間のアートが共存できる21世紀型の美術館を建築家の西沢立衛さんと考えました。中庭の木がどんどん育っていけば、建築の存在も『消える』でしょう。それが目指すところです」と語る。

◇光に包まれ「消える」内外

 美術館は、暗くて閉じられた空間だという既成概念を覆した。作品への光の影響は大きな課題だったが、それを克服して光に包まれた展示空間を創出した。
 「ぼくの柔軟な提案を受けて立ってくれる人は、リアリティーの中でぎりぎりのアバンギャルドである建築家、西沢立衛さんしかいないと思いました。世界の建築家を考えた中で西沢さんを選びました。既存の美術館とはまったく違い、21世紀のモデルケースとなるような、自然と人類のアート、文化が共存できる明るい空間にしたいと最初から考えてきた。野の中を歩いていたらたまたま千住の絵があった、というコンセプトを考えそれを現代のテクノロジーで実現しようと西沢さんと話し合ってきました」
 最終的には「消える」建築ということで、美術館、あるいは建築という概念も超えていると指摘する。外壁や中庭の壁をすべてガラスとすることで、内外の境界を限りなく無くすことを試みているとも分析する。

◇未来の自然と人とのあり方提案

 「21世紀のものの考え方はいかに境界を超えるかということだと思うんです。自然と人間との関係も同じです。東日本大震災で現代文明がたどってきた道を見直さなければならなくなった。未来の人間は、自然の側に身を置いて自然とともに生きていくのだというモデルケースにしたい。人と自然のあり方を提案する場としてこの美術館を考えました」
 西沢さんには「やりたい放題やってください」と言った。そうしたら「本当にやりたい放題やってくださった」と話す。「床の傾斜も自然で自由なラインになっています。床がほとんど傾斜している美術館は世界のどこにもないと思います。その意味では西沢さんにとっても画期的な作品ではないかと思います」
 正確にはまだ完成していないとも言う。
 「中庭の樹木がまだ植樹したばかりで、これがうっそうと茂ってくると外光を遮って、本当に森の中にいるような空間になると思います。いまはシェードを使っていますが、それがいらなくなるでしょう。その時が一つの完成形ではないでしょうか。木が茂れば茂るほど建物の存在感が『消えて』いく。内と外がわからなくなる。森の中にカモフラージュしていくカメレオンのように最終的には建築が『消える』ことをめざしています。建築家にとってもそれは、どんなとんがった建築を造るよりも強烈なメッセージになると思います」
 千住さんの絵も同じような考え方で描かれる。
 「ぼく自身の絵は、自然とコラボレーションするという思いが非常に強いんです。要するにいかに無作為に描くかということです。滝、崖、空などを描くとき、例えば雲は自然にできた染みを生かし、崖はくしゃくしゃにした紙を揉んでできたしわを使ったりします。アートが自然と共存するという考え方は太古の昔からあったと思っています」

千住博氏 撮影:田中和人
◇画業のスタートはビルの絵

 画家を志して東京芸術大学に入ったが、最初は何を描いていいかわからなかったという。悩んだ末に至った結論が都会のビルを描くことだった。
 「小学校が電車通学で渋谷だったんですが、学校と渋谷駅の間にある古い空きビルに入って友達とかくれんぼをしたり鬼ごっこをしたりして遊ぶのがとても楽しかった。屋上まで上がってそこから風景を眺めるのも大好きでした。ざらざらとしたアスファルトやコンクリートがまさにぼくの原風景だったんですね。芸大で何を描いていいかわからなくなった時、そうだ、20年見てきた東京のまちだったら描けるかもしれないと思いつきました。小さいころに遊んだビルはどんどんなくなっていっていましたが、そんな中で古い壁が残っているビルを見つけた時には堰を切ったようにいろいろな思いがあふれてきて、よし、これを描こうと思ったんです。ですからぼくの画業のスタートはビルの絵です」
 その後、視野が少しずつ自然に拡張していき、「フラットウォーター」や「滝」にたどり着いたのだという。
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 (せんじゅ・ひろし)日本画家、京都造形芸術大学学長。1958年、東京都生まれ。82年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。87年、同大学院博士課程修了。95年、第46回ヴェネチア・ビエンナーレにて名誉賞受賞。2002年、大徳寺聚光院別院の襖絵制作。第13回MOA美術館岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞。03年、グランドハイアット東京の壁画制作。04年、東京国際空港国内線第2ターミナルのアートプロデュースおよびディレクションを手掛ける。05年、愛・地球博 世界無形文化遺産 能・狂言のすべて「咲きほこる伝統」の舞台美術を担当。07年、フィラデルフィア「松風荘」の襖絵を制作。08年、TBS再開発ビル赤坂Bizタワーの壁画、東京メトロ副都心線「新宿三丁目」駅の壁画制作。09年、ベネッセアートサイト直島石橋プロジェクト 母屋公開。10年、瀬戸内国際芸術祭に出品。東京国際空港国際線ターミナルのアートプロデュースおよびディレクションを手掛ける。APEC2010首脳会議にて現代日本画による会場構成を担当。11年、JR博多駅ビル壁画のアートディレクションを手掛ける。ほか、ニューヨークを拠点に世界各地で個展、ビエンナーレ、グループ展などに出展。著書多数。
 いま最も注目する建築家として紙の建築で有名な同世代の坂茂さんを挙げる。「人の命を救う建築と向き合っているという点で突出していると思います」。神戸の「紙の教会」が好きだという。(軽井沢千住博美術館は国際文化カレッジが運営。館長は品川恵保同カレッジ理事長)

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