昨年12月に逝去した建築家、菊竹清訓氏の追悼の集いが12日、東京都新宿区の早稲田大学大隈講堂でしめやかに執り行われた。川添登発起人会代表による追悼の辞、長女の菊竹雪さんによる謝辞などのあと、800人を超える参列者が献花して最後の別れを惜しんだ。また、会場をリーガロイヤルホテル東京に移して、偲ぶ会も行われた。
追悼の集いでは、菊竹清訓建築設計事務所OBの内藤廣氏が進行役を務め、ビデオで生前の菊竹氏を偲んだ後、同事務所卒業生の会を代表して仙田満氏があいさつ。川添氏が「菊竹君は、建築・都市・文化について語り合ってきた仲間だった。わたしはあなたの純粋さが大好きだった。わたしより若いのに先に亡くなり、悔しくてたまらない。あなたは優れた建築を次から次へと創った。また、多くの優秀な建築家を育て、その遺志は引き継がれると思う」と追悼の辞を捧げた=写真。
さらに、早大時代の同級生だった穂積信夫氏、同事務所OBの伊東豊雄氏が弔辞を述べ、雪さんが「愛してやまない学びの宮の早大で、しかも大隈講堂でこのような会を催していただき、父はさぞかし喜んでいると思う」とし、菊竹氏が設計した自邸「スカイハウス」の思い出を語りながら「父が生涯をかけて、建築家としてのビジョンを実験した場だったと思う。その遺志を継ぎ、これからも実験を続け、守っていきたい。皆さまの教えを真剣に受け止め、未来を考えていきたい」と謝辞を述べた。
また、偲ぶ会では、メタボリストとして菊竹氏と同志の槇文彦氏が「菊竹さんの作品は、仏像師が自分の理想の姿を追い求めて仏像を彫り続けるように、削り出すような感じがする。すばらしい建築を残してこられたことに感謝と哀悼の念をもって献杯したい」と名残りを込め発声をした。
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