東日本大震災からの復興やまちづくりの機運の盛り上がりに伴い、コミュニティ・アーキテクトに対する認識・関心が高まりを見せている。こうした中で、日本建築士会連合会は「コミュニティ・アーキテクツにかかわる研究、活動を本格的に、また継続的に行っていきたいと考えている。このシンポジウムはその記念すべき第一歩にしたい」(藤本昌也会長)として昨年のUIA(国際建築家連合)東京大会では「コミュニティ・アーキテクツ」をテーマに公開シンポジウムを開催した。建築士・建築士会が取り組むべきテーマとして明確に打ち出したコミュニティ・アーキテクツの概念や方向性などを藤本会長に聞いた。
士会連合会がコミュニティ・アーキテクトの検討を本格化させたのは2010年。UIA大会での公開シンポジウムに向け、数回にわたる「勉強会」を公開で行った。アーキテクトという名称を使用したのは、「国際会議なのでアーキテクトという言葉を使った方が分かりやすいと考えたから。建築士会は地域が主役であり、地域の建築士をどう考えるかということが基本」という前提は変わらないという。
建築士とコミュニティ・アーキテクトはどう結びつくのか。「コミュニティーからの問題と建築士側からの問題を合わせたもの。だから、われわれはアーキテクトではなくアーキテクツと言っている」とする。
◇コミュニティー側からのアプローチ
団塊の世代が65歳以上の後期高齢者になり社会保障給付費の総額が144兆円に達すると試算されている「2025年問題」などを説明しながら、「まず、コミュニティー側からのアプローチを考え始めた」。少子高齢や人口減少が進み、「コミュニティーや日常的な生活空間は弱いところから壊れてくる。これからは福祉が問題になるということだ。そのときに、いまの延長線上で考えてはこの問題は解決しない。生活・空間のあり方を構造的、総合的に再編せざるを得ない状況にある。こうした問題に対し建築士は、地域の専門職能者として貢献していくべき」と考えたという。
建築士側からのアプローチでは、「建築士が責任を果たすことができる分野を社会に開示しようということで専攻建築士制度を始めた。これは言わば専門分化対応。しかし、専門分化対応の次のステップも考えなければならない。統合しなければ建築にはならないということだ。古典的な意味でのアーキテクトではなく、構造も設備もまちづくりも基本的な素養を身につけるべきであり、統括設計建築士がその役割を担うのがふさわしいと思う」との考えを示す。
さらに一歩進め、“大"と“大"の組み合わせや“大"の下に“小"が一元化されていく状況が進む建築生産システムをあげるとともに、他の業種では技術力のある中小企業が連携して海外から仕事を受注する動きなどを説明。「とくに地方では、設計だけ、構造だけ、設備だけ、まちづくりだけ、維持管理だけ、リフォームだけというようにある分野だけについて責任を持ちますでは、施主はとても対応できない。統合してやって欲しいとなる。これは社会の要求だ」と社会状況を読み解く。また、地域の疲弊が問題になっていることも上げ、「地域が疲弊しているからこそ、設計監理だけで食べていくのは難しい」とも指摘する。
◇計画論、空間論、事業論、串刺しにした素養必要
その上で、「社会やクライアントのニーズが変わってきている中で、設計を自分の土俵、中心に置きながら、よろず相談的な幅広いコンサルタント業務もする職能者にならなければならない。また、“小"が連携してコンソーシアムをつくり、全部やれますといういうようにならなければならない」と強調する。
さらに、公共では財政難により建築やまちづくりの事業が減少し、民間も市場原理的にもうかるところしか事業に参加しなくなった。このことは、建築士会としてこれからは“福祉"が問題になるとの認識を持ち、地方のコミュニティーのような場所を何とか事業として空間再編していこうにも、それを担う事業主体がなかなか見当たらないという状況を意味する。
「まさにクライアント不在という状態になり、地域のまちづくりを進めるとしたら、何らかの形で新しいクライアントを登場させないとどうにもならないところまできている」とし、これからの建築士は、「社会・地域のニーズを的確に把握する“計画論"、専門である“空間論"、そして事業につなげていく“事業論"を串刺しにした素養をもたなければならない。それがコミュニティ・アーキテクツ。そのためにも、モノ・コトを欲している人たちの近くに座っていなければならない」ともする。
「相手が悪いと言っているだけでは状況は改善しない。建築士は危機感が足りない」としながらも「40歳前後から下の世代の多くはこういう状況に気付き、応えていこうという動きがある」と期待を寄せる。
『大地性の復権―集住空間づくりの戦略』 藤本昌也 著 AmazonLink
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