約40枚のガラスを使用したカーテンウオールが特徴的な外観 (写真提供:大和ミュージアム) |
◇大きな重圧
ミュージアムは、呉市が歴史と近代化の礎となった造船・製鋼などの科学技術を、当時の生活や文化に触れながら紹介し、さらに歴史と平和の大切さを認識して未来に夢を抱ける「呉らしい博物館」を目指して計画されたもので、構想から完成まで25年程度の期間を要した。呉市は、戦艦大和が建造された場所であるとともに、1896年に4代目の水野甚次郎により五洋建設の前身である水野組が創業された場所でもある。
施工現場を任された肝付氏は、「施設がまちおこしの一環としても計画されており、社の発祥の地でもあることで、失敗は許されないというプレッシャーを感じていた」と話す。事実、施工中にもかかわらず、全国から非常に多くの見学者が訪れ、関心の高さを示していた。
ミュージアムの目玉、10分の1大和 (写真提供:大和ミュージアム) |
ミュージアムのシンボルとなるのが10分の1サイズの戦艦「大和」だ。全長は26.3m。呉市にある山本造船が設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに可能な限り詳細に再現した。船体下部は造船所で建造され、進水式も行ってクレーン付台船による海上輸送の末に建築中のミュージアムに搬入された。
その後「大和」は完全に養生され、建物の内部を施工する足場も門型移動式を採用し、飛来落下に細心の注意を払いながら躯体や内装工事を進めた。
大和の搬入風景(写真提供:山本造船) |
「大和の艤装制作作業を見ていると、数人の職人の方が甲板の板を1枚1枚手作業で貼り込んでいた」のが印象に残っているという。
展示スペースとなる「大和ひろば」の仕上げに使用されている石の一部は、実際の戦艦大和が建造された旧呉海軍工廠ドックの石が使われている。
この建築の最大の特徴は、3階まで吹き抜けの大和ひろばと、大型資料展示室に設置された高さ14.2m×スパン21mのカーテンウオール(CW)だ。高さ12m、幅1.2m、厚さ19mm、重量700㎏のガラス板を両側から方立て(60×300×1万2000mm)で挟み込み、上部鉄骨梁からつり下げる構造である。CW1台の総重量は約35tになる。
施工中のカーテンウォール(写真提供:五洋建設) |
◇カーテンウオール
「これだけの重量があると鉄骨梁がたわむし、ファサード自体がアールを描いているので、取り付け精度の管理もシビアになる」(肝付氏)のが課題だった。
ファサードは海側に面しているので、強風にあおられ、大きな内向きの力を受ける構造となっている。梁からつり下げたCWは、大和ひろば内のブリッジとも接続して、その力を支えなければならない。
「これらの課題を克服するため、施工、設計、サッシ、ガラスメーカーで編成するプロジェクトチームを立ち上げ、8カ月かけて計画した」。ガラスのつり上げや取り付けのために特殊な治具も製作して、無事施工を終えることができた。
また、外壁の仕上げも、レンガ風タイルではなく本物のレンガを職人が手で積み上げた。こうした細部へのこだわりが、呉という歴史ある街との一体感を生み出している。
現場の最盛期には、1日200-300人を超える入場者が出入りした。また大和ひろばのように高所足場を組むことも多く、事故防止には最大限に留意した。
「現場の基本は、整理・整頓・清潔・清掃だ。これにより施工性、生産性の向上につながるとともに、危険個所、危険要因の発見が容易になる」
工事も終盤となった05年秋、大和ひろばの足場の撤去解体とともに、外部足場の撤去も完了した。「足場の撤去・解体が完了し、外装・内装が見えてくると“1つの工事の山が終わったな"という気持ちが生まれる」のだという。
肝付氏は6年前、大阪に住む妻と2人の娘を連れて、大和ミュージアムを訪ねた。父が具現化した呉市のシンボルを見た娘たちは、施設各所でカメラのシャッターを切っていたという。
いまもにぎわいが続く施設に肝付氏は「この工事に携わることができた喜びと誇りを感じている」と感慨深く語った。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)2013年7月5日
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