2011/08/25

けんちくのチカラ・演ずるプロが語る・ピアニストの清塚信也さん


 リサイタルだけでなく多彩な演奏活動を積極的に続ける若手ピアニスト・清塚信也さんは、これまで国内外で数多くのホールに接してきた。テレビドラマ、映画音楽のほか、病院でのボランティア演奏、ピアノ講座とまさにマルチ・ピアニストだ。東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートも前向きに取り組んでいる。5年前の人気テレビドラマ『のだめカンタービレ』では、指揮者・千秋が弾く曲の吹き替え演奏で脚光を浴びた。5歳からクラシックピアノの英才教育を受け、研ぎ澄まされた耳と五感でそれぞれのホールの違いを敏感にとらえる。インタビューではホールの役割や特徴をとても論理的、明快に分析してくれた。中でも東京都千代田区にある「紀尾井ホール」は、「自分の出している音が客観的に聞こえ、お客さんとの呼吸まで一体感を味わえる繊細なホール」だと高く評価する。

 「本当にうまくいっている時は、客席がぴたっと止まるんですよ。それこそ息を飲むというか……。それができていない時は『つじつま』が合っていないと思うんです。その意味でお客さんとの呼吸まで一体感を味わえる演奏ができたときは最高です。紀尾井ホールはそれがとてもよくわかる繊細なホールですね。それだけに怖いホールでもあります」
 ピアノを弾いている時に何を考えているかとよく質問を受けるが、「いま弾いている演奏をお客さんがどう感じてくれているかをいつも考えている」という。
 紀尾井ホールがお客さんの反応を細やかに感じられるのは、壁と天井を固い素材で造り、床をやや柔らかめにした建築空間構造が影響している。固い壁や天井にぶつかった「一次反射」と呼ばれる間接音は緊密で速度が早く、お客さんの耳に素早く届く。床には木を使い、その下に空気層を造って低音を響かせるようにした。
 「お客さんにいい音が届いているかどうかがとても大切なのですが、演奏する音楽家にとっては出している音が自分自身にクリアに聞こえることが重要なんです。つまりは、自分がいまどういう音を出しているかが客観的にわかることが、いいホールの重要な条件だといえます。大きい音を出していると思っていても、物足りないんじゃないかとか、自分の音が聞こえないと不安になって、余計な心配をしてしまいます。音楽家はみんな思っていることですね」
 お客さんに聞こえる音とほぼ同じ音が聞こえてくれば、調整がしやすい。聞こえない場合は、経験や勘に頼るしかないと言う。
 「紀尾井ホールは、自分の出す音はクリアに聞こえ、客席の一番後ろの話し声も緊張感を持って伝わってきて、とても繊細なホールだと思います。800席という中ホールにしたことも良かったのかもしれません。クラシックのように緻密さが求められる音楽には非常にいい空間です。音の一つひとつの伸び、奥深さを表現するにはすばらしいホールだと思います」
 ヨーロッパの留学経験から思うのは、本場のクラシックを演奏する会場が、「お客さんが聞く準備ができている場所にある、あるいはそういう環境が整っている」ということだ。
 「演奏会場が、視覚的にも音楽的で、芸術的。たとえば教会での演奏は残響があり過ぎて良くないのですが、その雰囲気とともに、お客さんが仕事などの忙しさからリセットされて、音楽を聞くことに最高の幸せを求めてやってくる。お客さんに聞く準備ができているんです」
 日本でもそういうホールがいくつかあり、中から「横浜みなとみらいホール」(日建設計)と「八ヶ岳高原音楽堂」(吉村順三設計事務所)を挙げてくれた。
 「みなとみらいホールは、視覚的な内部空間、土地の雰囲気がいい。駅からホールに行くまでの通りも演出され、とても素敵です。標高1500mにある八ヶ岳高原音楽堂は、ロケーションが最高。中の空間は、天井も高く広いのですが、150席ほどしか客席をつくりません。スペースが随分ある特別な空間です。でもヨーロッパでは宮廷や貴族のサロンでの演奏がそういう生い立ちを持っていますので特別ではないんです」
 印象深い演奏は、ギリシャ・クレタ島の野外で弾いた時のこと。
 「お城の後ろのコロシアムのようなところで演奏しました。たとえば1700-1800年代を生きたベートーベンを弾く時はその時代の雰囲気を出すのですが、演奏会場がそのはるか昔にできた建物(場所)。すごく不思議な感覚で、ピアノがとてもモダンなものに思えた。音なんかあってないようなものです。建物の持つ力は音響などの科学的なものだけではないですね。人の感動は、奥は深いけれど結局はシンプルなもの。人間は一度にはそんなに情報を処理できない。見た目や表面的なことが大きく影響します」
 子どものころに身近だった教会は、厳しさを感じるとともに、パイプオルガンの弾き手が見えないなど、演出の行き届いた芸術ではないかと後から思ったという。
 「教会にはどういう用途で音楽が使われるべきなのかということも啓示されていた。そこに神秘性が生まれます。建築の持つ力は大きい。それにはどんな芸術表現も勝てません。共存することです。音楽家は、その空間に最もふさわしい演奏を考えなければならないと思います。建築家の方々にはぜひ、ヨーロッパのように自分たちが発する美しさを表現した建築を造ってもらいたい」
   ※   ※
 (きよづか・しんや)5歳からクラシックピアノの英才教育を受ける。中村紘子氏、加藤伸佳氏、セルゲイ・ドレンスキー氏に師事。桐朋女子高等学校音楽科(共学)を首席で卒業。1996年、第50回全日本学生音楽コンクール全国大会中学校の部第1位。2000年、第1回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA 第1位、04年、第1回イタリアピアノコンコルソ金賞、05年、日本ショパン協会主催ショパンピアノコンクール第1位など国内外のコンクールで数々の賞を受賞。
 人気ドラマ『のだめカンタービレ』、映画『神童』の吹き替え演奏を担当し、一躍脚光を浴びる。知識とユーモアを交えた卓越した話術と繊細かつダイナミックな演奏で全国の聴衆を魅了し続け、演奏活動は年間100-150本にも及ぶ。

Related Posts:

  • 【けんちくのチカラ】慶大の地震学者、大木聖子さんと東京大学地震研究所1号館 東大地震研究所1号館(免震棟) 地震学者としていま、防災の本当の意味がわかってきたような気がしている。ことし4月、東京大学地震研究所助教から慶應義塾大学環境情報学部(SFC)准教授に転籍し、本格的に防災に取り組み始めた大木聖子さんは、そんな手応えをつかみ、学校の防災教育に奔走する。「3・11」の辛い経験が転機だった。一人ひとりの命の重さへの希求。わかっていたつもりだったが……。膨大な犠牲者を前に、地震学者としての後悔と無念。だからいま、講演… Read More
  • 【けんちくのチカラ】新しい歌舞伎座と日本舞踊家の麻生花帆さん 日本舞踊家、邦楽演奏家、俳優として伝統芸能を拠り所に新しい総合芸術を実践している麻生花帆さんは、11歳の時に数回だけ立った歌舞伎座の舞台が表現活動の原点だ。女性は子役だけが出演できる。「伝統芸能の魂が宿る『板の上』に自分も乗ることができたんだと、すごく感動したのを覚えています」。その感動のエネルギーが、歌舞伎公演にはもう立つことができないであろう女性として、後に新たな伝統芸能の表現を考える契機になった。演じた長唄舞踊『春興鏡獅子』の胡蝶が、獅… Read More
  • 【けんちくのチカラ】 サーカスの叶正子さんと銀座博品館劇場 博品館劇場の内部 「メンバー4人の声をしっかりと聞いていただく貴重な経験になりました」。ことしデビュー35周年を迎えたボーカル・グループ、サーカスの中心メンバー・叶正子さんは、東京の「銀座博品館劇場」で、1996年から5年間続けたピアノ伴奏だけの公演をそう振り返る。バックの演奏は通常5、6人のミュージシャンが受け持つが、初めてピアノ伴奏1本にした。ハーモニーに、より焦点を当てた試みで、構成・演出をサーカス自らが手掛けた。「音合わせで侃々諤々… Read More
  • 【けんちくのチカラ】生田流箏曲演奏家 榎戸二幸さんが語る国立劇場 「日本文化は世界をけん引できる」。生田流箏曲演奏家の榎戸二幸さんは、古典楽曲のほか自ら作曲した箏曲を積極的に海外で演奏し、そんな可能性を実感している。箏曲を軸に、食や工芸品など日本文化全ジャンルを新たな手法で世界に発信すべきだとして、多方面にアイデアや提言を投げかけている。昨年は文化庁の文化交流使としても海外で演奏を重ねた。榎戸さんは、箏(琴)とは思えないスピードと迫力で演奏するスーパーテクニックを持つ。その源泉は、箏曲家・宮城道雄に師事した… Read More
  • 【けんちくのチカラ】「慶應義塾幼稚舎新館21」 金子郁容慶應大学教授が語る 「一つの建物によって周りの風景がよみがえったんです。目の前を流れる『古川』そのものや植生していた木々も建物を通して再生され、昭和の古き良き時代を彷彿させると同時に新しい時代を予感させる風景がよみがえった。建築家の構想力に驚嘆するとともに素晴らしい体験をさせていただきました」。慶應大教授の金子郁容さんが慶應義塾幼稚舎長だった2002年、「幼稚舎新館21」建築で建築家・谷口吉生さんの設計に触れた時の印象である。とりわけ半地下(周りを掘って一段低く… Read More

0 コメント :

コメントを投稿