奥山 仙台市長 |
--発災からこれまでを振り返って 「私たちは1978年の宮城県沖地震を教訓としながら、その再来に備えて防災計画をつくり、さまざまな訓練もしてきた。ところが今回の震災は、私たちが考えていた地震の規模を何倍も上回るものだった。今、津波を止めた(盛土構造の)仙台東部道路に立って海岸までのまったく何もない状況を見ると、かつてここにあったすべての暮らしが流されてなくなったのだという、日常とのつながりの中にこの土地があるとは思えないとても隔絶したものを感じる。改めて津波に対する計画の不備は否めないと思っている」
--現状について 「震災直後は人命救助が最優先となるが、その次の段階として生活基盤を失われた方の住まいの確保がある。一時は10万人の避難者がいたが、応急仮設住宅として民間賃貸住宅の活用が認められたこともあって7月末にはすべての避難所を解消できた」
「がれきは恐ろしいほどの量だが、そもそも政令市として自前で清掃工場を稼働し、職員にも廃棄物処理のノウハウがあるのだから、市内の建設業や解体業の方々と協力して市独自で取り組んできた。6月末には公道上のがれき除去が終わり、被害が大きかった宮城野区と若林区の宅地内がれきも7月末に撤去が完了した。農地内のがれき撤去をいま一生懸命やっている。現在までに重量ベースで約50%まで処理は進んできた。今年度末にはおおむね処理が終わる見込みだ」
--一気に処理のスピードがアップしたようだが 「がれきを一度運んで山積みにし、それをまた運んだ先で分別処理するということは二度手間になる。われわれは1次処理せず、市内の被災地から直接2次処理・分別リサイクルに入る方式を採用している。最初から分別すると(がれき撤去の)スピードが上がらないので仙台市の処理水準が低いという時期が何カ月か続いたが、最初のうちは遅くても全体のシステムをいかに構築できるかが肝心なことだ。また早い時期から分別することで廃棄物の腐敗進行といった衛生上の問題も一定程度防ぐことができた」
「市にごみ処理に関する知見を持った職員がいることに加えて、今回各地からさまざまな分野の方々が支援に来て頂いた。その中に神戸市で阪神・淡路大震災の時に震災ごみの処理を担当した人が当時の記録を持って発災直後から来てくれた。安全に作業するための前提条件としてどんなチェックが必要か、経験した人でなければ分からないことを教えてもらった。そういうノウハウ面での支援はとてもありがたく、記録をとることは後世のために大事なことだと改めて思っている」
--今後の防災対策は 「前回の宮城県沖地震では多くの建物が倒壊したり傾いたりしたが、今回は構造自体が崩れたという建物は老朽化したものを除いてほとんどなかった。その意味で宮城県沖地震をきっかけに制定された新耐震基準は見事に目的を果たしたと言っていい。市内の高層マンションでは免震や制振のシステムが機能し、室内ではこけし一つ落ちなかったところもあると聞いている。ただし、電気や水道といったライフラインが途絶してしまうと高層マンションには住めなくなる。特に水は絶対に備蓄しておくことが必要だということを再認識させられた」
「建物被害で目立ったのは大規模施設の天井崩落。公共施設ではホール、民間施設は映画館やショッピングセンターなどで被害が発生した。天井は構造でも内装でもないという微妙な位置付けのようだが、きちんとした安全基準ができればいいと思っている」
市内の丘陵地区では2000件もの地滑りが発生。 大畠国交相も視察した |
「ただ今回の震災があったからといって都市像として仙台市が目指していくべきものに変わりはない。いま交流人口を高めようと国際会議の誘致攻勢をかけている。8月1日から3日間、震災後では初の政府系国際会議となるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の防災ワークショップが市内で開かれたほか、12月に東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3財務相会議の次官級協議、来年4月には世界旅行ツーリズム協議会の総会開催も決定している」
「こういう状況だからこそ、国際会議を誘致して被災各地に世界の注目を集め、風評によらない正確な状況を見てもらい、復興を加速させていくことが仙台市の役割だと考えている。仙台の都市力というものがあるのだとすれば、いままでいろいろなことをやって経験を積んできたこと。それをパワーアップすることによってこれからの復旧・復興の加速度がさらに出てくるのではないかと思っている」
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