2013/05/31

【けんちくのチカラ】「慶應義塾幼稚舎新館21」 金子郁容慶應大学教授が語る

「一つの建物によって周りの風景がよみがえったんです。目の前を流れる『古川』そのものや植生していた木々も建物を通して再生され、昭和の古き良き時代を彷彿させると同時に新しい時代を予感させる風景がよみがえった。建築家の構想力に驚嘆するとともに素晴らしい体験をさせていただきました」。慶應大教授の金子郁容さんが慶應義塾幼稚舎長だった2002年、「幼稚舎新館21」建築で建築家・谷口吉生さんの設計に触れた時の印象である。とりわけ半地下(周りを掘って一段低くした「サンクン(sunken)」スタイル)の食堂という発想にびっくりした。自然に囲まれ、太陽の光が降り注ぐ屋外のような大空間は、「緑の中のレストランという感じでした」と話す。

金子 教授
金子さんは、谷口さんとの幼稚舎建築をさまざまなインパクトとともにいまでも鮮明に記憶している。
 「『新館21』は慶應義塾幼稚舎の創立125周年記念事業として計画されました。完成が2001年度で128年目に当たる年でした。本館がその64年前、谷口さんのお父さまの吉郎さんによる設計でした。モダニズムの代表的な建築で、教室に床暖房を取り入れたり、テラスを設けるなど、今でも新鮮で先進的なすばらしい建物でした。この時ちょうど、吉生さんがお生まれになった。そして、64年後、すなわち64歳の時にお父さまの本館の並びに新館をつくられた。谷口さんご自身も『不思議なご縁を感じます』とおっしゃっています」

◇細部へのこだわりに感激


1937年に完成した本館
東京・恵比寿にある同幼稚舎校舎は、1937年に完成した本館がグラウンドに面してコの字型に配置され、その東側に幼稚舎新館、新体育館(87年完成、谷口吉生さん設計)と並ぶ。幼稚舎新館21は、本館と新体育館の間に空いていた敷地に建設された。
 「この場所は、実は幼稚舎の敷地の中では、『裏』のイメージがある場所でした。今はきれいになりましたが、昔は決して美しいとは言えなかった『古川』に面しています。私は、建てるのならここしかないと思い、教員たちにも相談して、『ここにつくってください』と谷口さんにお願いしました」
 必要な床面積を計算すると、4階建てとなり本館よりだいぶ高くなってしまう。そこで谷口さんは1階の食堂を半地下にすることを考えた。
 「とても制約の多い設計だったと思いますが、即座に『やりましょう』という答えが返ってきた。当時谷口さんは、ニューヨーク近代美術館(『MoMA』)新館建設のコンペで選ばれ世界的に注目されていました。お忙しい中でスタッフの方に任せるのかなと思っていたところ、とんでもない。頻繁に一人でカメラを持って敷地の周辺の撮影をされていたようです。守衛さんに『また、谷口さんがいらっしゃってますよ』と言われ、『すばらしい建築家は細部にこだわるのだな』と感激しました。これしかないという建築ができたと思います」

◇必要なのは「おおらかな空間」


新館21の正面
新館にはサンクンスタイルの食堂、上層部に理科室、ミュージアム、高学年教室などが設置されている。食堂は半地下だが、西側と南北の3面がガラス張りで外部に開かれており、スパンを巧みに使った吊り天井と壁上部の開放部があいまって、緑に囲まれた自然光の降り注ぐ、おおらかな学びの空間に仕上げられた。谷口さんも「今の子どもに必要なのはおおらかな空間です。金子さんがおっしゃる伸びのびとした教育のため」と言っている。
 「幼稚舎新館の向きについて、私は本館と同じになるのかと思っていましたら、新体育館と同じ並びにして、コの字型の本館と合わせてグラウンドを取り囲むような配置になりました。これがすべての建物のバランスをとり、安定感を与えている。この配置も感心しました。場所が『裏』だったので、多くの木々が残っていました。谷口さんはそれを景色として利用しようと思ったとおっしゃっていました。『緑の中のレストラン』の発想の原点でしょう。古川を臨む階段には窓が設けられ、そこからの景色が額縁に入った絵画のよう見えることにも感心させられました。古川がセーヌ川のようにも見えました」
 竣工当時、金子さんとの雑誌の対談で谷口さんは、建築の設計というものは、制約があればあるほど反対に発想しやすくなるものだと述べている。幼稚舎の設計は、狭いところに大きなボリュームを入れるという難しい課題があったが、半地下に食堂をつくるアイデアが出て、新しい風景を加えることができたとプラス方向への転換を語っている。
 金子さんは「谷口さんと新館建設プロセスをご一緒できたことは、夢のような体験でした」と話す。
 専門のネットワーク論の本質は、親しくしている編集者・松岡正剛さんの言い方をすれば「エディティング」。本を編集するようなものだという。「細部の一つひとつだけではうまくいかないが、全体だけを見るのでは動かない。建築もまさにそのようなプロセスだなと思った。ただ、やり直しがきかないという点で建築は厳しいですね」

◇子ども、舎長、先生が一堂に 設計=谷口吉生氏


加藤 舎長
喧噪の中、どの子もみんな元気で楽しそうだ。慶應義塾幼稚舎新館21の食堂は半地下になっていて、南北と西側の三方のガラス開口部が木々に囲まれ、森林浴をしているような空間だった。新館の設計は谷口吉生さん(谷口建築設計研究所)。
 加藤三明幼稚舎長と一緒に食堂で給食をとる貴重な機会を得た。食堂のキャパシティーは約350人。毎日、2学年が交代で30分ずつ食事をする。先生も、加藤舎長もいつもここで子どもたちと一緒に食べるのだという。当日は、小学3、4年生の食事の時間で、大空間の中に元気な声が弾んで、とにかくにぎやかだった。加藤舎長は「きょうはいつもより静かですよ」と笑う。

◇食の大切さを具現化

 新館ができるまでは給食は教室で食べていた。食堂がほしいという話は以前からあったが、優先順位としては後回しだった。きっかけは20年近く交流のある英国の小学校の視察。英国のいくつかの小学校を見学して、食事は食堂でとるのが当たり前だった。さらに新館が計画されたころ、O157の食中毒が問題にもなっていた。この2つが契機で食堂建設が具体化した。
 「食堂はとても雰囲気がいいです。私は食というのが教育の中でもかなり重要だと思っています。ですからこうした大らかな空間で、大人数で食事ができることはすばらしいことですね」
 本館は完成してから76年になる。東日本大震災でもまったく被害はなかった。テラスに開かれた開放型教室になっているほか、先進的なボイラーによる床暖房を採用するなど近代建築の先端技術は現代建築に比べても遜色はない。

◇光と風

 「設計した谷口吉郎さんのコンセプトは『光と風』です。発育不足だった時代背景もあるのかと思いますが、子どもの健康を第一に考えてつくってあります。開校当時は照明なしで授業をしていたと聞いています。新館を設計したご子息の吉生さんにもその思想が引き継がれていると思います」(施工=竹中工務店)。 (かねこ・いくよう)慶應義塾大学政策・メディア研究科教授/SFC研究所所長。慶應義塾大学工学部卒、スタンフォード大学にてPh.D.を取得。ウィスコンシン大学准教授、一橋大学教授などを経て1994年から現職。99年から2002年まで、慶應義塾幼稚舎長兼任。09年10月からSFC研究所長兼任。専門は情報組織論・ネットワーク論・コミュニティー論。近年は、10年1月より内閣府「新しい公共」円卓会議座長、文科省「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」座長、同年10月から内閣府「新しい公共」推進会議座長、12年11月から総務省ICT超高齢社会構想会議WG座長など。著書に、『ボランティア もうひとつの情報社会』、『ボランタリー経済の誕生』『新版 コミュニィ・ソリューション』(共著)、『日本で「一番いい」学校 -地域連携のイノベーション-』、『コミュニティのちから “遠慮がちな"ソーシャル・キャピタルの発見』(共著)など多数。

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