乾久美子氏 |
◇ビル群と公園「境界の解」
乾久美子建築設計事務所 乾 久美子氏
「フラワーショップH」(日比谷花壇日比谷公園店)
フラワーショップH・撮影:阿野太一 |
受賞作「フラワーショップH(日比谷花壇日比谷公園店)」は、都市公園と都心ビル群との間にたたずむ5棟からなる店舗。5棟の床面積は合計しても約100㎡と小さいが、高さは7・5mに統一され、日比谷公園越しに見える霞が関の高層ビル群を縮小したような外観となる。一方で、細長い棟が狭い敷地の中にまとまっているため、見る場所によっては1つの塊となる。「日比谷はずんぐりした建物が多いエリアで、そのプロポーションを継承した」。これがまちに対する1つの答えだった。
公園に対しても「開口部を大きく、天井を高くとることで、木の下にいるような雰囲気をつくった」と、緑と建物群の境界という特殊な場所で、いくつもの解を用意した。「敷地の中だけで完結しないことが基本的な考え方であり、いかに敷地の概念を広げていくかが重要」と考えている。
ファサードの石張りは、日比谷通りを挟んで向かいに建つ日生劇場の外観に合わせるため、似た御影石を中国から調達し、ランダムな張り方まで意識するなど「周辺の建物との親和性を高めた」
周囲とのマッチングを重視し、あまり主張しない建築を心掛ける。「現状を否定して自分だけの新しいものをつくるというのは近代的な考え方。いまの豊かさを受け入れ、より豊かなものへと継承していくことが、建築の重要な役割ではないかと思っている」と、近代が終わったことを強く認識した上で、柔軟にこれからの時代に対応していくかを考えている。
同賞の受賞発表とほぼ同時に、宮城県七ヶ浜町の七ヶ浜中学校改築設計プロポーザルで最優秀提案者に選ばれた。建物の周囲に「リトルスペース」と呼ぶ構造物を配し、植物をからみつかせて繁殖させることで緑の回復をねらう。「精神的な部分を含めて、震災の傷をどのように埋めるのかを考えた場合、ある程度シンボル性を考える必要があった」と考え、建物以外の部分に特徴を持たせた。
「フラワーショップHは、周りに反応してつくったものであり、周辺環境は変えていない。一方、七ヶ浜中学校は、建物をきっかけに周りの環境を変えていこうと働き掛けるもの」と、能動的な部分が出てきたことを実感している。「ただ、震災を受けて考えたものだから、状況に対して反応したという点では変わらない」とも。
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いぬい・くみこ 1992年東京藝術大学美術学部建築科卒、96年イエール大学大学院建築学部修了、96年青木淳建築計画事務所勤務、2000年乾久美子建築設計事務所設立、11年から東京藝術大学美術学部建築科准教授。69年生まれ、大阪府出身。
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◇思いもしない使われ方を
オンデザインパートナーズ 西田司氏 中川エリカ氏
「ヨコハマアパートメント」
西田司氏 |
中川エリカ氏 |
受賞作「ヨコハマアパートメント」は、1階に約70㎡の共用広場を設けた。高さ5mの広いスペースに、2階に住む4組の居住者が集う。「専有部をグッと縮めた分、共有部を広くした。70㎡を一人で使えば十分な広さがあり、融通し合えば同時に別の住民が使うこともできる」と西田司代表は新しい共同住宅のかたちを説明する。
広場と2階につながる階段を戸数分設けたことで、専有感がアップした。「4つの階段によって1階の共用部と2階の専有部のメリハリがついた。広場のイベントを見下ろせる客席にもなり、みんな活用している」。共同設計者の中川エリカ氏は、階段が共有・専有の両方で機能したと実感している。
竣工直後、石けんアーティストが水槽と泡を使った展示を行ったときのこと。近所中に「あの新しい建物は怪しいことをしている」という噂が一気に広まったが、西田氏は慌てるどころか「まちの距離感はずいぶん近い」と感じた。
趣味の楽器の演奏会など、公民館で行うには大げさと感じることでも、ここなら地域の人々は気楽に発表できる。「このような肩肘を張らない場所から、まちの人とのコンタクトが始まる」(西田氏)と、まちに開かれた共同住宅という新しい解に手応えを感じている。
2009年の完成後、入居者連絡会を立ち上げ、住民とともに広場の使い方を考えてきた。中川氏は「これまで見たこともない半外部の広場がどう使われるのか、一概には言えない。思いもしない使い方をしてほしいという思いが、わたしたちにはあった。そのためのフォローをしてきた」と、完成後も建築物と付き合い続けてきた理由を説明する。
お正月には書き初め大会が恒例となり、夏には階段を利用して流しそうめん、2カ月にわたって劇団の公演が行われたこともある。近隣住民だったおばあさんが生前に趣味で続けていた刺繍の展示会など、使われ方もさまざまだ。
広場と2階につながる階段を戸数分設けたことで、専有感がアップした。「4つの階段によって1階の共用部と2階の専有部のメリハリがついた。広場のイベントを見下ろせる客席にもなり、みんな活用している」。共同設計者の中川エリカ氏は、階段が共有・専有の両方で機能したと実感している。
竣工直後、石けんアーティストが水槽と泡を使った展示を行ったときのこと。近所中に「あの新しい建物は怪しいことをしている」という噂が一気に広まったが、西田氏は慌てるどころか「まちの距離感はずいぶん近い」と感じた。
趣味の楽器の演奏会など、公民館で行うには大げさと感じることでも、ここなら地域の人々は気楽に発表できる。「このような肩肘を張らない場所から、まちの人とのコンタクトが始まる」(西田氏)と、まちに開かれた共同住宅という新しい解に手応えを感じている。
2009年の完成後、入居者連絡会を立ち上げ、住民とともに広場の使い方を考えてきた。中川氏は「これまで見たこともない半外部の広場がどう使われるのか、一概には言えない。思いもしない使い方をしてほしいという思いが、わたしたちにはあった。そのためのフォローをしてきた」と、完成後も建築物と付き合い続けてきた理由を説明する。
お正月には書き初め大会が恒例となり、夏には階段を利用して流しそうめん、2カ月にわたって劇団の公演が行われたこともある。近隣住民だったおばあさんが生前に趣味で続けていた刺繍の展示会など、使われ方もさまざまだ。
ヨコハマアパートメント・撮影:鳥村鋼一 |
オンデザインパートナーズでは、西田氏を頂点とするのではなく、共同設計者とフラットな関係を保って設計を手掛ける。「一人で考えられる範囲は狭く、成功体験が増えるほど、逆にそれが足かせになる。共同設計者と組めば、一人では考えられなかったアイデアが出てくる」と西田氏は、共同設計のねらいを説明する。
受賞作は、7歳年下の中川氏と組んだ。「建築や環境に対する若い人の視点は自分とは異なる。キャリアの違いはあるが、フラットな関係でぶつかれば、必要なものにたどり着けると思った。ヨコハマアパートメントは、試行錯誤を始めるタイミングにぴったりの案件だった」
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にしだ・おさむ 1999年横浜国立大工学部建築学科卒後、同年スピードスタジオ設立(共同主宰)、2004年オンデザイン設立、02-07年東京都立大(現首都大学東京)大学院助手、07-09年横浜国立大大学院(Y-GSA)助手。76年生まれ、神奈川県出身。
なかがわ・えりか 05年横浜国立大工学部建築学科卒、07年東京藝術大大学院修士課程修了後、オンデザイン入社。83年生まれ、東京都出身。
受賞作は、7歳年下の中川氏と組んだ。「建築や環境に対する若い人の視点は自分とは異なる。キャリアの違いはあるが、フラットな関係でぶつかれば、必要なものにたどり着けると思った。ヨコハマアパートメントは、試行錯誤を始めるタイミングにぴったりの案件だった」
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にしだ・おさむ 1999年横浜国立大工学部建築学科卒後、同年スピードスタジオ設立(共同主宰)、2004年オンデザイン設立、02-07年東京都立大(現首都大学東京)大学院助手、07-09年横浜国立大大学院(Y-GSA)助手。76年生まれ、神奈川県出身。
なかがわ・えりか 05年横浜国立大工学部建築学科卒、07年東京藝術大大学院修士課程修了後、オンデザイン入社。83年生まれ、東京都出身。
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