阿曽さん |
◇金沢工業大から小山隆治建築研究所へ
1977年に神戸市で生まれた。小学校2年生の時に自宅の建て替えを経験する。「よく知っている近所のおじさんが設計事務所をやっていて、手掛けてくれた。柱間や階段が書棚になっている変わった雰囲気の家で、『あのおじさんはどういう思いでこれをつくったのだろう?自分ならどうつくるだろう?』と考えるようになった。いま思えば建築家になるきっかけになったのかもしれない」と振り返る。
高校生のころにはすでに建築家になる将来像を描き、金沢工業大工学部建築学科に進学。「1-2回生のころは、空間をいかに面白くするかしか考えていなかった」と話す。転機となったのは、3回生時に自ら申し込んだ小山隆治建築研究所でのオープンデスクで、実務に触れたことだった。「そのころ、実現することがない机上の設計の自由さに閉塞感を感じていた。オープンデスクで実際の住宅計画にかかわり、先輩方とディスカッションすることで、建築の本質や自分の理想と社会との摩擦を勉強することができた。初めて建築を知った瞬間だった」という。
同大大学院を経て同研究所に入所。そこには、オープンデスクで感じた開放感とは違う、経済や法律などの制約に縛られた実社会の厳しさが待っていた。初めて手掛けた新築案件では、トラブルが生じて工事監理にかかわることができなくなり、事務所を飛び出したことも。「その期間、自分を見つめ直し、『もっといろいろなことがしたい』『理想を実現したい』と感じるようになった」。半年後に復帰すると、それまでのオープンデスクの延長のような感覚から、実際に「建築をつくる」感覚に変わったという。
◇「建築物の完成度」
当初、建築家として「建築物の完成度」を追い求めた。2006年に個人事務所を設立した際も「構造をテーマに建築をつくっていた。建築の大部分は構造のシステムであり、骨格の部分で完成すると考えていた」。しかし、独立してさまざまなクライアントと接するうちに、「構造はあくまでクライアントの条件を解決する手法にしかなり得ない。建築の本質的なテーマはハードではなく、ソフトの部分であることに気付いた」という。「クライアントの条件をいかに建築に反映するか」に価値を見出し、「建築は人との関係でつくるもの。建築がもっと人に近い存在、人そのものと感じるようになった」と話す。
◇整骨院『Thouse+clinic』
昨年11月に竣工した『Thouse+clinic』。整骨院として使用する1階はRC造、住宅部の2-3階はS造で構成する。2階の一部にキャンティレバー(片持ち梁)や100mm角H形鋼のトラスを採用し、1階構造物の外に張り出すことで、整骨院用駐車場のスペースを確保するなど、クライアントの要望に応えている。
「打ち合わせでの内容はもちろん、家族の何気ない会話から関係性を読み取り建築に反映することで、建築は一家の一員になることができる。完成した作品は“彼”という人間のような存在」と微笑み、「建築は『ものづくり』でなく『ひとづくり』だと最近、切に感じる」と語る。
現在の仕事は住宅が大半を占めるが、「不特定多数の人が利用する施設に携わりたい」とも。「利用者が漠然とすることで、自分のオリジナリティーが生まれるかもしれない」と、さらなる可能性を探究する。
「Thouse+clinic」 撮影:小川重雄 |
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(あそ・ふみ)2002年金沢工業大学大学院建築学専攻修了後、小山隆治建築研究所に入所。06年阿曽芙実建築設計事務所設立。08年JIA近畿支部「第1回JIA KINKI U-40設計コンペティション『六甲山上の展望台』」で優秀賞を受賞。神戸市出身、34歳。
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