陸上競技、サッカー、ラグビーなどスポーツの“聖地”として親しまれてきた国立競技場。半世紀にわたるその歴史に幕が下りる。2020年開催の東京五輪のメーンスタジアムとなる新国立競技場整備に向けて、7月から解体工事が始まる。1958年に完成し、64年の東京オリンピックの主会場として、また、さまざまなスポーツ競技で数々の名勝負を産み、コンサートなどの“夢の舞台”にもなった競技場内には、数多くのレガシー(遺産)がある。日本スポーツ振興センター主催の施設見学ツアーの来場者は1万人を突破し、4日には過去最高の7000人が足を運んだ。憧れの“国立のピッチ”から普段は目にすることのない貴賓室、ロッカールームなどまで、人々を魅了するレガシーの一部を、その歴史やエピソードを交えて紙上見学してみる。
【執筆者から:併設の博物館には、約半世紀前の設計図面も残っていて、当時の現場の息吹を感じた。建設当時も、第3回アジア大会をめざしわずか14カ月で完成させた。その後開催が決定した五輪のために、さらに大規模なスタンド増設を行った。当時からその工期にあわせる努力を惜しまなかった建設業には、敬意を表したい】
併設している「秩父宮記念スポーツ博物館」には、図面や完成模型、建設時の写真、落成式典の式次第など、建設関連の貴重な資料も展示されている。
◆“聖地”誕生、世界的な競技場へ
敗戦から数年後、日本は「平和な日本の姿をオリンピックで世界へ示したい」と、オリンピック招致の声明を出す。その国際的なアピールとして、第3回アジア大会とオリンピック東京大会招致のため、旧明治神宮外苑競技場跡地に建設。デザインコンセプトは、「力強さ」「簡潔」「優美」。1958年3月25日に竣工、30日に落成式典が行われた。
建設計画の中心人物は、建設省関東地方建設局(当時)の角田栄と設計・デザインの片山光生。57年1月の着工から約14カ月で完成した。
オリンピックを2年後に控えた62年3月、競技場の拡張工事を開始。バックスタンド増設、聖火台のバックスタンド中央への移設、グラウンド地下道の新設、電光掲示盤や夜間照明設備の改修などを終え、64年10月10日、94カ国が参加した「第18回オリンピック競技大会・東京大会」の開会式が行われた。
落成記念の冊子の表紙には「設計監理 建設省関東地方建設局」「施工 大成建設」とある。
国立競技場の芸術作品や記念作品。アスリートが競う“殿堂”には、数多くの芸術作品群が設置され、スポーツのもつ「力と美」の象徴となっている。
◆東京オリンピック大会優勝者銘板
正面玄関上外壁にある銘板。縦2m、横1mの福島県特産の黒御影石54枚に、東京オリンピックの金メダリストたちの名前が刻まれている。
◆聖火台
バックスタンド中央にあり、高さ・直径2.1m、重さ2.6t。角田栄らが設計し、製作は埼玉県川口市の鋳物職人の鈴木萬之助が引き受け、彼の死後に三男の鈴木文吾が完成させた。表面の模様は波を表している。58年5月、アジア大会の開会式で火がともり、6年後に東京オリンピックが実現。その後、毎年10月10日前後に文吾の手で丹念に磨かれ続け、文吾の他界後も弟や息子らに受け継がれている。
◆野見宿禰像と勝利の女神像
メーンスタンドに向かって左側に国技の相撲の元祖、野見宿禰(のみのすくね)が「力の象徴」、右側には栄光を意味するギリシャの女神「NIKI(ニケ)」が橄欖(かんらん)と月桂冠を持つ「美の象徴」を表した壁画がある。高さはともに4m。作者は長谷川路可。
◆トレーニングセンター
施設内にあるトレーニングセンターは、スポーツクラブの先駆けとして、多くの利用者に親しまれてきた。各種マシーンをそろえたトレーニングセンター。1周650mの回廊走路はスタンドの下にあり雨の日でも濡れずに走れる。
◆サニスタンド
東京オリンピックに向けた増設工事の際にフィールドの地下に整備された女性専用トイレ。トラック競技中にフィールド内の選手がトラックを横切らなくても使えるように作られた。女性が中腰の姿勢で用を足せる形をしていることで評判になった。1920年代に米国の女性がストッキングをはき始めたころに使われ出したのが始まりと言われている。しかし、普及はしなかった。現在は閉鎖されており見学ツアーでも見ることはできない、まさに“幻の女子トイレ”。
◆多目的利用へ
2000年代からコンサートなどに利用されるようになり、現在はアイドルグループ「嵐」のファンにとっても“聖地”に。施設見学ツアーにも若い女性が目立つ。単独アーティストとして初のコンサートは05年の「SMAP」。打診から使用許可までに3年もの期間を要したという。コンサートでは、芝生管理とともに大きな課題が騒音問題だった。周辺環境を考慮した制約が利用頻度充実の妨げの1つ。多目的機能を持たせる新国立競技場に開閉式屋根の設置を強く求めた背景がここにある。
【施設概要】
▽敷地面積=7万1707㎡▽建築面積=3万3716㎡▽スタンド面積=2万5346㎡▽構造=RC一部S造5階建て▽収容人員=5万4224人(身障者席40席を含む)▽芝生面積=7597㎡(107×71m)夏芝・ティフトン、冬芝・ペレニアルライグラスによる二毛作で通年緑化を実施
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
【執筆者から:併設の博物館には、約半世紀前の設計図面も残っていて、当時の現場の息吹を感じた。建設当時も、第3回アジア大会をめざしわずか14カ月で完成させた。その後開催が決定した五輪のために、さらに大規模なスタンド増設を行った。当時からその工期にあわせる努力を惜しまなかった建設業には、敬意を表したい】
併設している「秩父宮記念スポーツ博物館」には、図面や完成模型、建設時の写真、落成式典の式次第など、建設関連の貴重な資料も展示されている。
◆“聖地”誕生、世界的な競技場へ
敗戦から数年後、日本は「平和な日本の姿をオリンピックで世界へ示したい」と、オリンピック招致の声明を出す。その国際的なアピールとして、第3回アジア大会とオリンピック東京大会招致のため、旧明治神宮外苑競技場跡地に建設。デザインコンセプトは、「力強さ」「簡潔」「優美」。1958年3月25日に竣工、30日に落成式典が行われた。
建設計画の中心人物は、建設省関東地方建設局(当時)の角田栄と設計・デザインの片山光生。57年1月の着工から約14カ月で完成した。
オリンピックを2年後に控えた62年3月、競技場の拡張工事を開始。バックスタンド増設、聖火台のバックスタンド中央への移設、グラウンド地下道の新設、電光掲示盤や夜間照明設備の改修などを終え、64年10月10日、94カ国が参加した「第18回オリンピック競技大会・東京大会」の開会式が行われた。
貴賓室(左)とロッカールーム |
国立競技場の芸術作品や記念作品。アスリートが競う“殿堂”には、数多くの芸術作品群が設置され、スポーツのもつ「力と美」の象徴となっている。
◆東京オリンピック大会優勝者銘板
正面玄関上外壁にある銘板。縦2m、横1mの福島県特産の黒御影石54枚に、東京オリンピックの金メダリストたちの名前が刻まれている。
◆聖火台
◆野見宿禰像と勝利の女神像
メーンスタンドに向かって左側に国技の相撲の元祖、野見宿禰(のみのすくね)が「力の象徴」、右側には栄光を意味するギリシャの女神「NIKI(ニケ)」が橄欖(かんらん)と月桂冠を持つ「美の象徴」を表した壁画がある。高さはともに4m。作者は長谷川路可。
◆トレーニングセンター
施設内にあるトレーニングセンターは、スポーツクラブの先駆けとして、多くの利用者に親しまれてきた。各種マシーンをそろえたトレーニングセンター。1周650mの回廊走路はスタンドの下にあり雨の日でも濡れずに走れる。
◆サニスタンド
東京オリンピックに向けた増設工事の際にフィールドの地下に整備された女性専用トイレ。トラック競技中にフィールド内の選手がトラックを横切らなくても使えるように作られた。女性が中腰の姿勢で用を足せる形をしていることで評判になった。1920年代に米国の女性がストッキングをはき始めたころに使われ出したのが始まりと言われている。しかし、普及はしなかった。現在は閉鎖されており見学ツアーでも見ることはできない、まさに“幻の女子トイレ”。
◆多目的利用へ
2000年代からコンサートなどに利用されるようになり、現在はアイドルグループ「嵐」のファンにとっても“聖地”に。施設見学ツアーにも若い女性が目立つ。単独アーティストとして初のコンサートは05年の「SMAP」。打診から使用許可までに3年もの期間を要したという。コンサートでは、芝生管理とともに大きな課題が騒音問題だった。周辺環境を考慮した制約が利用頻度充実の妨げの1つ。多目的機能を持たせる新国立競技場に開閉式屋根の設置を強く求めた背景がここにある。
【施設概要】
▽敷地面積=7万1707㎡▽建築面積=3万3716㎡▽スタンド面積=2万5346㎡▽構造=RC一部S造5階建て▽収容人員=5万4224人(身障者席40席を含む)▽芝生面積=7597㎡(107×71m)夏芝・ティフトン、冬芝・ペレニアルライグラスによる二毛作で通年緑化を実施
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
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