2014/05/27

【復興版】復興の陰で失われる歴史的建造物 保存・活用で研究会

歴史的建造物調査・保存・活用研究会を設立した高橋恒夫東北工大教授
震災以降、東北地方沿岸部では、無名だが地域の重要な文化資産として継承されてきた歴史的建造物が失われつつある。公費で修復できる指定重要文化財とは異なり、民家などは、所有者が財政的負担や公費解体制度の期限という時間的制約もあって、解体という苦渋の選択に至るケースも多い。こうした状況からの脱却を図るため、高橋恒夫東北工大教授は、歴史的建造物調査・保存・活用研究会を設立。その設立記念シンポジウムでは、文化資産の保存・活用に取り組む3人の研究者が地域の現状や事例などを紹介した。

【民家調査は日本建築史の根幹/国立歴史民俗博物館名誉教授 玉井 哲雄氏】

玉井哲雄国立歴史民族博物館名誉教授
シンポジウムでは、はじめに玉井哲雄国立歴史民俗博物館名誉教授が、明治以降の日本近代建築史をひもときつつ、「日本建築史の中で最も重要な部分を占めるのが民家調査だ。建物そのものを調べることで、歴史や文化、風土などさまざまな特徴、地域や時代の移り変わりが分かる」と指摘。その上で、「歴史的建造物を“凍結”して保存するのではなく、時代に応じた活用方法を考えることが、結果的には良好な保存にもつながる」と語った。
 一方、玉井氏や高橋氏のような民家調査そのものの担い手が減少していることを踏まえて、「長期にわたって取り組むべき問題であり、若者の積極的な参加を促し、後継者を育ててほしい」と同研究会の取り組みに期待を寄せた。

【痕跡で創建当初の姿明らかに/風土建築文化研究室代表 伊藤 則子氏】

伊藤則子風土建築文化研究室代表
事例報告では、宮城県村田町の伝統的建築群の保存活動に取り組んでいる伊藤則子氏(風土建築文化研究室代表)が、同県塩竈市にある松亀園(旧えびす屋)の保存・活動運動を紹介した。
 明治初期に建てられた松亀園は、1876(明治9)年に明治天皇の東北御巡幸に随行した大隈重信が宿泊するなど、まちの歴史を伝える数少ない建物の一つとして、市民に親しまれてきた。震災の津波で一部が浸水し、解体の危機にあったが、地元のNPO法人みなとしほがま(菅原周二理事長)が保存・活用へと動き出している。
 伊藤氏は、「かつてあった部材の跡などを丹念に読み取り、創建当初の姿を図面に落とし込む」という痕跡調査の手法を紹介しつつ、「何世代にもわたって住み続ける間に埋もれた姿を引き出すことで選択肢を増やし、より良く使い続けられるあり方を考えたい」と語った。

【津波乗り越えたスレート民家/東北工業大学准教授 大沼 正寛氏】

大沼正寛東北工業大学准教授
大沼正寛東北工大准教授は、石巻市雄勝地区のスレート民家の建築・歴史・地理に関する研究成果を報告した。雄勝地区で産出される天然スレートは、明治末期から大正にかけて造られた東京駅や北海道庁旧庁舎などの洋風近代建築の屋根などに高級建材として使われた。一方、明治三陸と昭和三陸、チリ地震という3度の津波に襲われた同地区は、地域の基幹産業である天然スレートが復興資材として使われたスレート民家が普及している。
 大沼氏は、「雄勝地区には、屋根や壁にスレートが使用された民家が目立ち、独特の建築様式が広がっているものの、東日本大震災以降、公費解体制度で、こうした貴重な建物が消滅の危機にある」と警鐘を鳴らした。
 こうした建物の中には、所有者が保存を望んでいるものの、災害危険区域に指定されたことで、住みながら保存することを断念しなければならないケースもあるため、「地域産業を生かして、津波からの復興を成し遂げた災害遺構群として、従来の文化財保護や景観論を越えた継承のあり方が必要ではないか」と、地域の歴史や文化を伝える民家の新たな保存・活用方法のあり方を訴えた。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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