2014/08/31

【けんちくのチカラ】作編曲家 渡辺俊幸さんとシンフォニーホール(米国・ボストン

人生の転機は24歳。場所は米国のボストンだった。作編曲家の渡辺俊幸さんは既に、日本でフォーク・グループ「赤い鳥」のドラマー、歌手・さだまさしさんのアレンジャーとして活躍していたが、オーケストレーション及びジャズを学びたいという思いと、米国の映画音楽に強く魅かれたことから、24歳の時にバークリー音楽大学に留学した。そこに偶然が重なった。ボストンに着いた翌日、たまたま買い物に行った店の人が、「昨日のテレビで見たんだけど、ボストン交響楽団のセイジ・オザワ(小澤征爾)はすばらしかったね」と言う。渡辺さんは「日本とは違う。市民に愛されているオーケストラ?」と思った。クラシックの生のコンサートはそれまで聴いたことがなかった。ポップスを学びに来たボストンで、「シンフォニーホール」に足を運んだ。それは、小学4年生でビートルズに魅了され、クラシックをあえて遠ざけていた青年の決定的な転機の瞬間だった。 (写真:(c)Tneorg, CC 3.0)

渡辺俊幸さん
渡辺さんが初めて生のクラシックコンサートを聴いたボストンの「シンフォニーホール」は、音楽ホールの伝統的なスタイルであるシューボックス型で、1900年完成の世界でも有数の名門ホールだ。渡辺さんはこのことを後で知る。
 「初めて聴いたときは、極端なほどの驚きと感動でした。いま、そこで弾いているバイオリニストの音が、楽器から直接自分の耳に飛び込んでくる。それは想像以上の美しい音だったですね。ストリングスの音は、天空に舞い上がっていくようでした。これまでに耳にしたことのない美しさで、とにかくものすごい感動を覚えました」
 渡辺さんは作編曲家として、目の前での演奏は何度も経験していた。
 「仕事ではストリングスの演奏を何度も聞いていましたが、それはスタジオの空間。音がほとんど響かない場所で録音し、後で電気的に響きを足す。それを当たり前のように思っていたのですね。シンフォニーホールのオーケストラを聞いた時、『あっ、今まで自分のやってきたことは、この生の音を再現することだったのか』と気付きました」
 これが大きな転機の時だった。ポップス中心だった世界に、クラシシカルな音楽が加わり両方を表現することに。

コンサート風景(c)mooogmonster,CC 2.0
「シンフォニーホールは、定期会員になり、毎週のように見に行きました。自分の生涯で、音楽を聞いて涙があふれてきたという経験をしたのもこの時でした。ラヴェル作曲の『ダフニスとクロエ』の第3部で、指揮者はシャルル・デュトワでした。演奏そのものも美しかったのですが、あの音響空間でなければ経験できなかったと思います。いつもの2階席から見ていたら、演奏している女性バイオリニストが隣りの男性奏者に『美しいわね』と横向きになってシグナルを送っていたのです。それに男性もうなずいていました。生だから経験できるすばらしい時間でした」
 こうした体験を積むうちに自分の目指すべき音楽が明瞭になった。
 「これからの自分の音楽は、ステージの上で完成させよう。クラシカルな音楽にも目を向けて、生のコンサートホールで、フルオーケストラで、自分の音楽を完璧に表現する、と決意しました」
 コンサートホールは響きと明瞭さが両立しているのが理想だ。
 「16分音符のような細かい音符が明瞭に聞こえていて、かつ残響も十分に感じることができる、ふくよかな空間がベストだと思います。その意味では、経験上、サントリーホールは良くできているのではないでしょうか」

5歳のころ、家族旅行でのスナップ
父親の渡辺宙明さんが作曲家だったこともあって、幼稚園のころから音楽とピアノの英才教育を受けたが、それになじめず2年間で断念。
 「小学4年生の時、テレビから『ジャーン』というあのビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』のイントロが聞こえてきたとき、何だこれは、と驚きました。当時の言葉で表現すると『しびれた』という感じですね。それから、ビートルズのレコードに合わせて、毎日のようにドラムの代わりに板を叩いていました。おこづかいを貯めてドラムを買ってから、楽器店のドラム教室に通いました。この時、学校ではビートルズを聞く生徒は不良というレッテルが貼られ、この反発から学校教育で勉強するクラシックをあえて遠ざけました。クラシックは決して嫌いではなかったのですが」
 ドラムの腕が見込まれて、赤い鳥のメンバーになり、同じ事務所のさださんとも縁ができた。
 「現在も、さださんのCDのプロデュースを手掛けていますし、彼とともにフルオーケストラによるコンサートも行っています。フルオーケストラを使える数少ない機会ですね。映画音楽ではなかなかありません。ことしで6回目になりますが、日本フィルハーモニー交響楽団と一緒に『シンフォニック・エンタテインメント』というコンサートを続けています。ボストン交響楽団が夏の間、ボストン・ポップス・オーケストラとして軽音楽などを演奏することに刺激を受けた試みです。編曲では、フルオーケストラを使う時はいかにゴージャスなサウンドにするかが最も大切です。それによって、私たち音楽家の使命である喜び、感動、幸せをお届けすることができると思っています」

◆装飾を省き音響機能を最優先 設計=チャールズ・フォレン・マッキム


外観(c)Digfarenough,CC 3.0
ボストン・シンフォニー・オーケストラは1881年に慈善家のヘンリー・リー・ヒギンソンにより創設された。創設当時から利用されていたミュージック・ホールの防災並びに空調の問題と、その敷地が道路計画用地に指定される可能性が生じたために、新しい敷地に現在のシンフォニー・ホールが建設されることになった。新シンフォニー・ホールの建設計画が提案されたのは1892年秋のこと。しかしさまざまな事情から、設計開始は翌1893年末まで延期となった。設計者はチャールズ・フォレン・マッキム。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカ合衆国に本格的な様式建築を導入するという、建築史上重要な役割を果たした建築家の一人である。
 設計にあたってヒギンソンは、座席数やその配置、舞台の広さ、外観計画など、さまざまな条件をマッキムに突き付けた。それらの要求に応えるべく、建築家の意図に反して装飾要素も極端に省かれた。またヒギンソンは、音響を第一優先とし、マッキムが提案した3案(楕円形型、半円形型、長方形型)のうち、最も単純な長方形の箱型デザインを採択。これらの結果、この建物は、マッキムが同時期に設計していたボストン公共図書館やニューヨークのコロンビア大学のような壮麗さを醸し出すものというより、機能優先型のシンプルなデザインに収まった。
 音響はワラス・クレメス・サビンが担当。物理学者で音響学を専門とした彼は、当時ハーバード大学講堂の音響改良計画を任されてはいたものの、若手の学者で、彼が提唱する理論はまだ立証されてはいなかったので、歴史的考察に基づいて綿密に計画されたマッキムの案に対して変更を求めたサビンは、一見傲慢と思われたに違いない。しかし結果的に、彼の音響設計は完璧なものに落ち着いた。
 シンフォニー・ホールの竣工は1900年。百年以上が過ぎた現在もなお、有数なミュージック・ホールとして名を連ね、またボストンの重要なランド・マークのひとつとなっている。

(米国議会図書館司書・建築アーキヴィスト 中原まり)

 (わたなべ・としゆき)作曲家としてクラシックから軽音楽まで幅広いジャンルの音楽を手掛ける。代表作にNHK大河ドラマ「利家とまつ」「毛利元就」、NHKドラマ「大地の子」、NHK連続テレビ小説「おひさま」「どんど晴れ」「かりん」「ノンちゃんの夢」、東宝映画「モスラ」「サトラレ」「解夏」「UDON」、愛・地球博 開会式テーマ曲「愛・未来」、防衛庁・自衛隊50周年記念曲「祝典序曲 輝ける勇者たち」などがある。
 「リング~最終章~」で第20回ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー賞、劇中音楽賞を受賞。平原綾香の「おひさま~大切なあなたへ」で第53回日本レコード大賞編曲賞を受賞。近年、指揮者としてポップスオーケストラのコンサート活動にも力を注いでいる。洗足学園音楽大学教授(音楽・音響デザインコース責任者)。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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