2013/05/04

【けんちくのチカラ】ブルーモスクと庄野真代さん(歌手)

『飛んでイスタンブール』の大ヒットから2年後の1980年、思い立って世界一周の旅に出た。弱冠25歳。バックパッカーで廉価な宿を回る冒険旅行だった。80日間世界一周の予定が、回りたいところがどんどん出てきて米国での創作期間も入れて2年に。「私は思った時には足が一歩前に出ているんです。そして周囲に波を起こしているみたいです(笑)」。そんな行動派が世界一周の旅でヒット曲の当地、イスタンブールで見たブルーモスクには心を揺さぶられた。「本当に美しい建物で、時空を超えた空気が伝わってきました。歴史的に重要な遺産が、庶民の自由な祈りの場になっているところが素晴らしいですね」と語る。庄野さんの起こす波は、主に途上国支援で2001年に創設した「国境なき楽団」、東日本大震災のチャリティーコンサートの呼び掛け人などを通して、さまざまな音楽家に広がっている。


ブルーモスク 撮影:日高健一郎

◇バックパッカー

 世界一周は「地球を歩く」を地でいく旅だった。バックパッカーでぼろぼろの格好をして、宿は一泊1000円以内と決めていた。お金は音楽を聞いたり、異文化に触れる費用に回した。
 「当時はネットも普及していませんので、見るもの聞くものすべて新鮮でした。行ってみて初めてわかることがたくさんありましたね。例えば日本ではまだ重視されていなかった環境問題が、世界のあちこちで発信されていました。80年4月、タイから入ってアジア、ロシア、ヨーロッパと回って翌年の2月にトルコに行きました」
 このとき見聞した環境問題のメッセージは、後の法政大入学のきっかけとなり、ロンドン留学、早大大学院での「開発人類学」の学びへとつながっていった。

◇ステンドグラスから降り注ぐ青い陽光

 初めてのトルコ・イスタンブールはとにかく寒かったという。
 「着いたときは、2月の真冬に水シャワーがちょろちょろ出る程度の宿で、寒さに震えていましたね。歌のイメージとは少し違うなぁ、なんて思いながら。翌日、町に入ってみると実にエネルギーに満ちあふれていて、民族衣装の人がいれば、ミニスカートの人もいたり、高級車と馬車が通行していたり、多様なものが入り交じって、ものすごく活気がありました」
 ブルーモスクを初めて見た印象をこう話す。
 「なんて大きな建物なんだろうと思いました。中に入るとタイルの青い色がきれいで、本当に素晴らしい建物でした。向かい合わせで建っているアヤソフィアも大好きなのですが、ブルーモスクは今も庶民が足を運ぶ祈りの場であるところがすごくいいなあと思うんです。あんなに立派な歴史的建物が日常の祈りの場、集いの場になっている。天井のステンドグラスから差し込むブルーの光をじーっと眺めていると、時空を超えた空気を感じます。歴史の深さを思わせ、さまざまな人々の語り声が聞こえてくるようです」

◇時空を超えた空気に聞こえてくる語り声

 モスクの背後に沈む夕陽は感動的だったという。
 「世界を旅して、このモスクと夕陽のような素晴らしい色のコントラストを体験しました。この時、色を感じてもらえる歌をつくりたい。そして歌声でもそれを表現していこうと思いました。東京でもきれいな夕陽を見ますが、モスクにコーランの祈りが流れる中での夕陽ですから、これ以上完璧なシチュエーションはないですよね」
 その後、テレビの仕事、観光、チャリティーコンサートなどで何度かイスタンブールを訪れた。
 「テレビの撮影の合間にまちを歩いていると、日本語の話せるトルコ人に『飛んでイスタンブールという曲を知っているか』と聞かれたこともありましたね。『知っているよ』と笑って答えたんですが、一緒にいたスタッフがこの人が歌ってたんだよと言うと『うそー』とびっくりされたなんていうこともありました」

◇ユーラシアマラソン

 一昨年からは、30数年続く国際マラソン「イスタンブールユーラシアマラソン大会」に参加している。
 「私は15㎞のコースを走るのですが、車だけしか通行できないボスポラス橋を走るなど、周りの景色を見ているだけで楽しいレースです。そしてなんと素敵なことに、ゴールがブルーモスクの前なんです」
 大阪市の生まれ。母の影響を強く受けた。小学生のころ、給食費が払えない同級生を自宅に呼んで昼食を一緒に食べたり、近所にあった丸池公園をほぼ毎朝清掃したりと、行動的で相互扶助の精神が強い人だった。
 「公園の清掃は5、6年生の2年間、母に連れられ私も一緒に手伝っていて、そのうち区から表彰されちゃったんですよ。丸池公園は、フォークバンドを組んでいた高校生のころ、厳しかった父が決めた門限を超えると、母がいつも迎えにきてくれた場所でもありました。懐かしいです。そんな母の影響なのか、初詣などでは最後に『世界が平和でありますように』と祈るんです」
 01年に発案・創設し、06年にNPO法人になった「国境なき楽団」は、途上国などの子どもに日本で使わなくなった楽器を送り、音楽交流を続けている。
 「この活動も子どもの時に芽生えていたものなのかもしれませんね」

モスク内部

◇感動と神秘の空間、「ドーム」型モスクの傑作

 「スルタンアフメト・モスク」(通称・ブルーモスク)は、オスマン帝国の建築を代表する傑作といわれる。17世紀初頭、7年の歳月をかけて建築された。設計者は、オスマン帝国第一の宮廷建築家として名を知られたシナンの弟子、メフメト・アー。
 西洋建築史が専門で、中東のモスク建築にも詳しい日高健一郎東京芸術大学客員教授は、「ブルーモスクの1000年以上前に建てられたハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂を強く意識した建築だと思います。この先例を見たシナンもアーも、ドームという構造が人間の感動を呼び起こす空間だということを強く意識したのです。緯線と経線の両方に曲がる建築的に難しい球面の空間は、時を超えて神秘的な感動を与え続けるということです」と話す。
 ハギア・ソフィアをいかに超えるか、シナンはこの難題に挑戦することで美しいドーム型モスクを設計した。弟子のアーもそれを受け継いだ。

◇空間構造に違い

 ハギア・ソフィアは、古代ローマのドームと空間構造で大きな違いを持っていた。
 「ローマにある有名な『パンテオン』のドームは、円筒形の厚い壁体にドームを載せていますから、壁はそのままドームにつながります。しかし、使い勝手を考えると教会堂は平面的には正方形か長方形がいいので、ハギア・ソフィアでは、堂内中央の正方形の平面形状に丸いドームを載せる工夫が必要でした。ドームと正方形の平面をつなぐために『ペンデンティブ』という構造が工夫されました。構造的に強くしなければならないドームの基部に窓を設けるのもハギア・ソフィアの大胆な試みです。ブルーモスクは、ペンデンティブ形式のドームとその基部に開く窓をハギア・ソフィアから学んでいます」
 ブルーモスクの名称は、中に入ると大空間の空気の色がブルーに染まって見えることからその名が付いた。これはトルコのイズニクという都市でつくられた鮮やかなブルーのタイル、ドームに設けられた青いステンドグラスから降り注ぐ太陽光のため。礼拝時刻を告知する塔「ミナレット」が6本もあるのはこのモスクだけだ。
 「近くで見るとハギア・ソフィアはいくつも歪みがあって、年月を生きぬいた老人の面持ちです。一方でブルーモスクは、直線、曲線すべてが精緻で、人が作ったのだからどこかに失敗があってもいいのでは、と思うほど完璧ですね」

 (しょうの・まよ)1978年『飛んでイスタンブール』『モンテカルロで乾杯』などが大ヒット。その後28カ国をめぐる世界旅行に。そのときの体験をもとに、音楽を通じたボランティア活動を国内外で行う。現在は歌手活動とともに、NPO法人「国境なき楽団」代表理事として施設などへの訪問コンサートや家庭で不用になった楽器を集めて途上国の子どもたちに送る活動、平和への思いを音楽に託す市民活動「セプテンバーコンサート」を毎年9月に全国各地で開催中。東日本大震災にあたっては日本全国をステージトラックでまわって、各地からの応援メッセージや楽器、音楽教材を集めて被災地へ届ける活動を継続的に行っている。
 2011年にリリースしたデビュー35周年記念盤CDアルバム2タイトルがロングセラー中。地球を音楽でいっぱいにできたらと、ますます多方面に活発に動いている。
 代表曲『飛んでイスタンブール』『モンテカルロで乾杯』『アデュー』『HeyLady優しくなれるかい』。趣味はチャレンジ!

◇コンサート

 ▽5月24日「庄野真代Live at Bar QUEEN」(福島県いわき市)=Bar QUEEN。午後7時開演。前売4000円 当日4500円(1ドリンク代付)▽5月26日「ポラーノ音楽祭」ゲスト出演(岩手県紫波町)=ビューガーデン芝生広場。午前11時開演。前売1000円、当日1200円▽6月22日震災復興支援チャリティコンサート「Sharing~シェアリング~2013in新宿」(東京・代々木)=西岡たかし、細坪基佳、五つの赤い風船他出演。庄野真代さんは呼び掛け人、出演。全労済ホール/スペース・ゼロ。午後4時開演。全席指定。前売3500円、当日4000円。
 HPアドレス http://shonomayo.com/
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)2013年4月26日

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