「数え切れない名演奏を越えてきた空気を感じます。空間に身を置くだけで、ここには本当に音楽の神様がいるのではないかと思えます」。ハープ奏者の吉野直子さんは、オーストリアの「ウィーン楽友協会(ヴィーナー・ムジークフェライン)」大ホールにそんな感慨を持つ。指揮者・小澤征爾さんらと6回ほどこの舞台に立った。築140年余を経たいまもクラシック音楽界の「聖地」といえる場所だ。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、19世紀には名作曲家ヨハネス・ブラームスも協会メンバーに名を連ねている。全世界にニューイヤーコンサートがTV中継されるホールとしても有名だ。大ホールはその荘厳な装飾から「黄金ホール」とも呼ばれる。ホールの構造は伝統的な「シューボックス型」で、演奏される音は豊かでかつクリアという絶妙のバランスを持つ。吉野さんにムジークフェラインの魅力などを聞いた。
ウィーン楽友協会 |
初めてその舞台に立ったのは、水戸室内管弦楽団のヨーロッパツアーに参加した1998年。指揮者は小澤さんだ。「この時は、武満徹さんの『海へII』で、ソリストとしての演奏でした。その後、小澤さんとは同じ水戸室内管弦楽団やサイトウ・キネン・オーケストラとのツアーでも、オーケストラの一員として、ムジークフェラインで共演させていただきました」
2001年には、オーストリアのベテラン指揮者・ニコラウス・アーノンクールさんが率いる古楽器のオーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」とムジークフェラインで共演、モーツァルトの『フルートとハープのための協奏曲』を演奏した。
「この曲はハープのレパートリーではかなりポピュラーな曲ですが、使った楽器がモーツァルトの時代の古楽器を復元したものでした。それがとてもいい経験になりました。当時のハープは、現在のものと比べて小さくて弦の数も少ないんです。音の響きも少し違って、よりフォーカスされた音がホールの空間にパーンと飛んでいく感じです。絶対音量は小さいですが、後ろの席まで音がはっきりと届くんです。この楽器は、コンサートの2年前に同じメンバーでレコーディングをした時に初めて借りて使ったのですが、とても気に入って、後日同じ型のハープを手に入れました。日本のコンサートでも時々使っています」
ステージに立ってみて「聖地」を実感する。
◇聴衆の顔が見えるホール
「いろいろな名演奏を見てきたホールなんだという、空気が伝わってきました。数え切れない名演奏が続けられてきた歴史を感じますね。ステージに立つ前も聴衆として何回も演奏を聴きに行っているのですが、特別なホールだと思います。空間に身を置いただけで、本当に音楽の神様がいるというような感じがします」
演奏した時の音の響きをこう話す。
「全体として柔らかい音がするという印象でした。程よい響きで、細かい音もしっかりと聞こえるので、バランスがとてもいいと思います」
ほかに印象に残っているのが客席がよく見えること。
「客席の前の方は意外に明るくて、お客さまの顔がとてもよく見えるんです。私はお客さまが身近に感じられるそういう雰囲気がとても好きです。もし気に入っていただけなかったら……という怖い面もありますが、ある種のコミュニケーションの場。ヨーロッパでは顔の表情や身振りなどでコンサートが良かったか悪かったかを表現するお客さまが多いので、気持ちがストレートに伝わってきます」
ウィーンは大好きな街だと言う。
「古いものをとてもいい形で残しているのが好きなんです。ムジークフェラインもまさにそうですね。街が大き過ぎないのもいいです。1区と呼ばれる中心部がコンパクトなので、文化施設などを歩いて移動できます。昔から街がそれほど変わっていないので、モーツァルトもここを歩いていたのかな、などと想像できるのも楽しいです。夜の照明もそれほど明るくなくて、特別な雰囲気があります」
◇東京文化会館
国内で印象的なホールは上野の東京文化会館。
「子どものころからよくコンサートを聴きに行った場所ということもあって、落ち着きます。コンクール優勝後の最初の正式な『デビューリサイタル』を、この舞台でやらせていただき、それからもたびたびお世話になっています。新しくできている日本のホールの原点ともいえる建物ですよね」
自身の考え方のベースを形づくったのが9歳から中学を卒業するまで通った東京・麻布のインターナショナル・スクールだと言う。
「西町インターナショナル・スクールという学校で、ロサンゼルスから帰国後、5年間通いました。当時は幼稚園から中学まで全部合わせて300人くらいの小さな学校でした。中学を卒業する時のクラスは、たったの12人だったので、本当に家族のような感じでした。日本人のほか、いろいろな国の子どもがいて、日本の文化を大事にしながら、さまざまな国の文化に触れて、違う価値観を知ることができました。少人数でしたのでどこへ行くのもみんな一緒。多感な時期にこのような貴重な経験ができ、それがいまの自分の考え方のベース、そして自分のルーツにもなっています」
今後はできるだけ多くの人にハープを身近なものとして知ってもらえるような演奏活動を続けたいと話す。
「自分の基本を大切に保ちつつ、いつも新しいアイデアにオープンな心と精神を持ち続け、バランスよく柔軟に音楽家としての幅を広げていきたいと思っています」
『コンサートホール 巨大な楽器づくり』 AmazonLink
0 コメント :
コメントを投稿