2015/06/07

【けんちくのチカラ】アニメーション作家・小野ハナさんと旧石井県令邸

「風に揺れる木の葉1枚だけを描いていても、触感や匂いも含めて記憶が総動員されて、自分の『正体』があぶり出されるんですよ。俯瞰した間取り図とそこで動くキャラクターを描いていたとき、現実にはあり得ない空間が記憶によって生まれてきました」。アニメーション作家の小野ハナさんはそう話し、心象風景をモチーフの中心とする自らの作品づくりが、描くことで意識にない記憶が明らかになる過程でもあると分析する。そんな小野さんの印象に残る建物は、出身地でもある盛岡市の「旧石井県令邸」だ。去年の5月に6人のアーティストで展覧会を開いた。約130年前につくられた知事の自宅兼迎賓施設で、現在はギャラリーとして活用されている。小野さんは「日常性を備えた美術館という雰囲気で、建物の佇まいが作品を包み込んでくれました」と振り返る。

◆作品包む日常性備えた美術館

「旧石井県令邸」は、1886年に完成したとされ、当時の県令(県知事)、石井省一郎の屋敷である。和館+レンガ造洋館で、自邸のほか来客接待の迎賓施設を兼ね備えていた。2006年から本格的なギャラリーとして運用されている。
 小野ハナさんが昨年5月、この旧石井県令邸で上映した作品は約11分の短編アニメーション『澱(よど)みの騒ぎ』と6分ほどの『魚のいうことを聞く』の2本。絵画、版画、写真など岩手県にゆかりのあるアーティスト5人といっしょに展覧会を開いた。
 『澱みの騒ぎ』は、ことし1月発表の第69回毎日映画コンクールでアニメーション部門の一つ「大藤信郎賞」を受賞した。同賞は62年創設で、第1回を手塚治虫さん、その後宮崎駿さん、大友克洋さんらが受賞している権威ある賞。『澱みの騒ぎ』は小野さんの東京藝術大学大学院の修了作品(2014年)。学生作品で女性監督の受賞は、同コンクール史上初の快挙だ。

『澱みの騒ぎ』の一場面
「家の中には二人きり。父の死体と二人きり。記憶も理想も現実も、澱みの下に沈んでる。みんな独り、みんな孤独」
 小野さんは作品をそう紹介する。
 「この作品では、俯瞰した間取りのカットがあって、そこでキャラクターが動くのですが、描き出したとき、匂いや触感、光など自分の生きてきた記憶が無意識に明らかになってきて、実際には見えない空間、現実にはあり得ない空間が絵になっていきました。自分で描きながら、自分じゃないものと対話して、ぶつかっている感じです。その過程で自分の正体があぶり出されてくるんです」

◆記憶が描くあり得ない空間
 昨年の展覧会は、屋根裏部屋も含めて6人のアーティストが各部屋に展示。小野さんは二重扉の金庫室で作品を上映した。秘密文書を破棄する時に焼却する部屋でもあったという。

屋根裏部屋
「4人ほど入れる小さな部屋で、壁に直接照射したのですが、空間の大きさや暗さが作品のイメージにぴったりでした。建物全体は、美術館としての作品性を反映してくれる面と、日常にアートを飾る生活空間の面の両方があって面白かったですね。いろいろなタイプの作品が集まったのですが、すべて建物の佇まいに包み込まれていました。とてもいい場所を提供していただいたと思っています」

6人の展覧会でのスナップ(14年5月、旧石井県令邸前)
130年を経た木の色や板ガラスの趣、階段の手すりの柱が1本の木をくり抜いた芸術品であることに感動したとも言う。
 「新作の『惑星オノハナは死ぬのに良い場所』もここで上映させていただければとてもうれしいです」
 小学生のころから漫画家を目指して物語をつくり絵を描いていた。その後、漫画家の道は断念したが、それが伏線にもなって、東京藝大の大学院に進む少し前、ボーカロイドをつくった人に投稿用の動画を頼まれて、この時初めてアニメを手がけた。
 「小学生の時に県民会館の見学会に行って、奈落や舞台裏を見たのですが、ステージのそでで待機しているスタッフの方が魅力的で、そうした縁の下の力持ちのような言ってみると影の部分がとても好きになりました。アニメーション作家になったのもそんな影響があると思いますね。描くときに記憶が強く滲み出てくると言いましたが、小学生の県民会館の見学会などの印象も記憶がよみがえって再認識しました。これからも記憶との関係性などを作品づくりで探していけたらと思います」

【建物の概要】明治の洋館をアートスペースに 旧石井県令邸管理人・画家 千葉幸子さん

千葉幸子さん
「夏から秋にかけて外壁のツタが緑から紅葉に変わるころが好きです。見どころは屋根裏部屋です」
 明治初期の洋館として、盛岡市の住宅街に現存する「旧石井県令邸」の魅力についてそう話すのは、この建物の管理人で、画家でもある千葉幸子(雅号・早坂幸子)さんだ。ことしは暑いため、ツタも例年より10日ほど早く新緑を迎えているという。
 「旧石井県令邸」は1886年に完成したと伝えられ、当時の県令(県知事)、石井省一郎の私邸である。近年では2002年まで遠山病院准看護学校として使われたが、閉校によって03年からアートスペースに生まれ変わった。06年には地元建築家の渡辺敏男さんが中心となって創建時の県令邸に復元・修復し、本格的な展覧会スペースとして定期的に企画展を開くようになった。
 「03年、准看護学校が閉校後、アートスペースとして初めての展覧会を開くということで、ご縁がありまして私に声をかけてもらいました。友人の陶芸家と2人で作品を展示させていただきました」

外壁のツタの色も四季で変化する
06年には、創建当時の姿に復元するとともに、ピクチャーレールや照明設備などを整えて、本格的なギャラリーとして運営されるようになった。昨年、BSフジの番組で取り上げられたこともあって、訪れる人もずいぶん増えたという。企画展も定期的に開催している。
 「私が一番好きなのは、外壁のツタが夏の深い緑から秋の紅葉に変わっていく季節です。ぜひお出かけください。建物の見どころは屋根裏部屋ですね。全部で11部屋あるのですが、屋根裏部屋が一番広いんです。赤い屋根の部分が全部屋根裏の空間になっています。窓も2つありまして、ここから城跡の岩手公園などが見渡せます。中に入ってみると分かりますが、とても不思議な建物ですよ」

 (おの・はな)1986年生まれ、岩手県育ち。2009年に岩手大学教育学部を卒業後、VOCALOID楽曲にPVを付け動画投稿サイトで発表する活動を始める。約50本の動画を制作した後、本格的にアニメーションを学ぶため、11年末に活動を停止。翌年の春、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻に入学する。14年に同専攻を修了。修了作品『澱みの騒ぎ(英題:Crazy Little Thing)』が、Ottawa International Animation Festival 2014(OIAF 2014)の修了制作部門でHonorable Mention(佳作)を受賞。また、第69回毎日映画コンクールで大藤信郎賞を受賞した。映像作家ONIONSKINにも所属しながら、個人でも制作を続けている。
 本名は佐々木さやか。両親が名前のさやかに「小野花」の漢字を当てようとしていたことを聞いて、ペンネームを小野ハナとした。
 〈イベント〉
 ▽アニメ上映会・新作『惑星オノハナは死ぬのに良い場所』『澱みの騒ぎ』『魚のいうことを聞く』ほか=名古屋市の「シアターカフェ」(名古屋市中区)、15日、17-19日午後7時から。原画展示=5日-28日。本人解説を交えてのトーク上映会は14日午後3時から。問い合わせはシアターカフェhttp://www.theatercafe.jp/。

【建築ファイル】
▽名称=旧石井県令邸
▽建築主=石井省一郎(創建当時)
▽所在地=盛岡市清水町
▽構造規模=レンガ造半地下地上2階建て屋根裏部屋の4層。延べ床面積約500㎡。外観材質は砂漆喰塗
▽建築年=1886年(推定)
▽設計・施工=不詳。北欧民家風の外観のため、設計者としてお雇建築家のムンドル(オランダ人)の名前も挙がっている
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