2013/08/03

【復興版】なぜ福島・広野町のインフラは早期復旧できたのか

被災直後の広野町
原発事故の影響で復旧・復興が思うように進まない福島県沿岸地域にあって、下水道を始めとするインフラの復旧を驚くほどの早さで成し遂げた自治体がある。広野町(山田基星町長)だ。放射能汚染など2次被害の拡大が懸念される非常事態の中、いかにして実現したのか。発災時に建設課長として復旧の陣頭指揮を執り、退職後の現在も建設課復興建設グループの参事兼専門官として復興に取り組んでいる賀澤正氏の行動を軸に、同町における発災後の対応を振り返る。

 広野町はマグニチュード9・0の地震とそれに伴う津波で甚大な被害を受けたが、災害による混乱に拍車をかけたのが原発事故だ。相次ぐ水素爆発などで全町民に避難指示が発令され、小野町を始めとする周辺自治体に避難したが、賀澤氏は発災6日後の3月17日に再び放射線量の高い危険な状況の町に足を踏み入れ、他の職員らとともに町に残った住民に避難を促したという。

◇真っ先に上下水道

 その後も自衛隊の案内などで何度も町内に入り、4月には自宅に戻ったが、生活を始めて一番困ったのがトイレだった。「帰って来ても汚水を流せず、ぞうきんすら洗えない」と、真っ先に復旧すべきインフラが上下水道であることを体感した。
 その後の対応は迅速だった。4月5日、小野町の避難所に広野町内の建設会社と測量会社を招集し、今後の対応について初めての会合を開催。この中で、1日2時間以内および週3回以内で、作業後にスクリーニングを受けることを条件に、参加全企業から復旧工事とがれきの片付け作業をすることへの同意を得た。
 発災から1カ月となる同11日には建設課職員と業者が現地に乗り込み、がれき仮置き場の整地作業、12日にはがれき処理作業に着手。さらに下水道仮復旧などの作業を順次本格化させていった。たび重なる大規模な余震や見えない放射能被爆に対する恐怖など、さまざまな難題を克服し、6月下旬には下水道の仮復旧にこぎ着けた。


処理施設も大きな被害を受けた
◇指名入札の効能

 同じような条件下にある周辺地区にあって、なぜ広野町だけがわずか3カ月という短期間で復旧への道筋をつけることができたのか。「何より町と建設会社が強い信頼関係で結ばれていた」と分析するのは、元建設省(現国土交通省)河川局長で現在、福島県の任期付職員として広野町に派遣されている尾田栄章氏。「いざ、という時に優良な地元企業が存続していたから非常な早さで復旧し、結果として住民が戻れる条件をつくった」と指摘しつつ、地場企業を育成する上で指名競争入札の効能を説く。
 「建設業の実情にも詳しく、復旧に当たる作業員に町施設をすべて開放するなどした、山田町長のリーダーシップと決断力が何より大きかった」と振り返る賀澤氏に、尾田氏は「町を知り尽くした建設行政マンが町長の右腕となり、身体を張って取り組まれたことが大きい」と、その存在を高く評価する。
 トップの英断とそれを支える行政職員の行動力、さらに優良な地場建設会社を育成するための施策と、それを基軸に構築された受発注者間の信頼関係--。今後、南海トラフ巨大地震などの発生が予測されている中、広野町の取り組みに早期復旧へのヒントが隠されていると言えそうだ。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)2013年7月30日

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