2014/09/28

【けんちくのチカラ特別編】シドニーパラリンピック代表・根木慎志さんとロンドン 聞き手・山嵜一也さん

2020年にオリンピック・パラリンピックが開催される東京都は、世界でも有数の「成熟」都市と言われる。さまざまな文化、さまざまな障がいを持つトップアスリートたちが集うこの祭典は、まさにダイバーシティの一大イベントである。東京は、その多様性に応えられる理想の成熟都市として、さらには人口減少・高齢化社会という人類史にない未来都市として、ハード・ソフト両面から進化を遂げるチャンスである。その端緒として、シドニーパラリンピック(2000年)で、男子車いすバスケットボール日本代表キャプテンを務めた根木慎志さんに、障がい者から見た成熟都市のあり方を聞いた。ロンドンオリンピックでグリニッジ馬術競技場の設計を担当し、12年間ロンドンで生活した建築家、山嵜一也さんに自身の経験を踏まえて聞き手をお願いした。

 「ロンドンは、ストレスフリーですね」
 オリンピック開催1年前の2011年、競技施設などの視察で、車いすを使ってロンドン市内を公共交通機関で移動した時の根木さんの感想だ。

◆自然な振る舞いの市民

 「ユニバーサルデザイン、バリアフリーという点で、東京はロンドンより進んでいると思います。でも、ロンドンの方がストレスをほとんど感じません。東京は建物やインフラなどのハード面、あるいは鉄道での駅員さんの障がい者への対応は世界最高水準にあります。それなのにストレスを感じるのは、一般市民の意識の違いだと思います。ハードがいくら素晴らしくても、完璧ではあり得ません。そこに居合わせた人が自然な形で障がい者をサポートできるかどうかが、本物の成熟都市か否かの分かれ道ではないでしょうか」
 ロンドンではそうした一般市民の振る舞いが自然で、特別な視線も感じない。それが障がい者にとってストレスフリーにつながるのだ。
 「極端に言えば、バリアな建物があっても、そうした人、ソフトの仕組みがあればスロープがなくてもまったく問題はないのです。段差のところで、『何か問題はないですか?』『お手伝いしますか?』と自然に言うことができればいい。2人いれば車いすは持ち上げることができます。ロンドンは、車いすに対応していない駅も当然ありましたがパンフレットやサインでの情報もしっかりしていました。ロンドンバスも車いすのスペースが広く取ってあったり、専用の乗降口があるなど、障がい者への対応が社会に浸透しています」

根木さんの車いすは折りたたみ式のコンパクトなものだ
山嵜さんも「建築家は、専門家として人を含めての街並みということを考えなくてはならないですね。ソフトを考慮したハードの計画、設計です。バリアフリーといっても、障がい者の視点が本当にわかっているかというとそうではない。デザインや素材という前に、この人は何を求めているのかということにしっかりと向き合うことが重要ですね」と話す。
 根木さんは一方で、日本人の優しさをこう話す。
 「日本では、こちらから『ちょっとお手伝いしてもらえますか?』とお願いすると、たとえ腰が痛くても必死で手伝ってくれます。ですから、そうした意識をちょっと変えたら、日本人はどれだけすごいおもてなしができる民族なのかと思いますよ」

◆仮設競技場の素晴らしさ

 ロンドンが成熟都市であることにもう1つ気づかされたのが、仮設の競技場の素晴らしさだ。

試合中の根木さん
「オリンピックパーク内で、一部車いすバスケットボールにも使われていた体育館が完全な仮設でした。体育館の横に渡り廊下があって、それがプレハブのような別棟の選手用のロッカールームやトイレ、シャワー室につながっていました。体育館の中にそれらを詰め込まないで、外部につくったことでとてもゆったりしていました。それに動線がとにかく素晴らしかった。ぼくら選手の目線から言うと、試合のハーフタイムなどにトイレに行く動線はとても大切になります。この施設はそこがうまくつくってあるなあと感心しました。仮設だからいい加減につくるのではなく、逆に仮設だから思い切ってつくれるんだなと思いました」
 山嵜さんは「仮設だからこそ自由につくるというのはすばらしいですね。ロンドンではあり得る話です」と言う。「ぼくが設計にかかわったグリニッジ天文台公園の馬術競技場も仮設でした。いろいろな工夫をしてつくっているのですが、何と言っても世界遺産の公園をオリンピックで使ってしまおうというのが、『粋』だなと思いました」
 根木さんは「パラリンピックの仕様にすることは、まちづくりの本来のあり方だと思います」と話す。
 「例えば、パラリンピックの期間だけスロープをかけて終わったら外してしまうということではなく、日本は特にこれから超高齢化社会が来るのですから、こうした仕様は、まちづくりに組み込むことが必要だと思います。パラリンピックが開催されるということは、社会が変わるということ。まちも本来のあるべき姿になるということなのではないでしょうか」

◆Mind the gap/山嵜一也

 “Mind the gap(マインド・ザ・ギャップ)”
 これはロンドンの地下鉄駅構内で繰り返されるおなじみのアナウンスだ。訳せば「電車とホームのすき間にご注意ください」だろうか。2012年夏に開催されたロンドンオリンピック・パラリンピックでこの街を訪れた多くの観光客もこの英国アクセントの低い声を耳にしたはずだ。

山嵜一也さん
シドニーパラリンピック車いすバスケットボール元日本代表主将である根木慎志さんとはロンドンパラリンピック期間中のジャパンハウスで知り合った。その後、12年間の英国での生活を終え、2013年1月に拠点をロンドンから東京へと移していた私は、関西で活動する根木さんが上京するときにパラリンピックや街づくりについてさまざまな意見交換をし、車いすで街を移動するときには同行させていただいたりもした。今回、改めて東京オリンピック・パラリンピックに向けてお話を伺うとロンドンと同じ成熟都市における東京のさまざまなギャップが見えてきた。
 私が英国にいた2000年代は好景気で、世界中から人が集まり、国籍や肌の色の違う多くの同僚たちと机を並べて仕事をしていた。そのような日常では違うこと、ギャップがあることが当たり前であった。それは車いすや杖を突いて街で生活する人たちに対しても同じだった。肌の色が違おうが、車いすで街を移動しようが一人の人間として見られていた。皆が一緒でなければならないという空気はない。しかし、それはすべてが個人の判断に委ねられると言い換えられる。すなわち精神の成熟があった。この土壌があったからこそロンドンパラリンピックは成功を収めたと言える。

大会期間中、地下鉄駅構内などの公共交通機関には車いすでアクセスできる駅の案内と
そこに至るまでのルートの詳細を掲示していた。
ちなみにピンクという色はボランティアのユニフォームや案内板に使用された基本カラーだった
また、ロンドンオリンピック・パラリンピック開催まであと2年になった2010年に私は3年間現場監理を担当したロンドンのキングスクロスセントパンクラス地下鉄駅改修工事の竣工を迎えることができた。この地下鉄駅は欧州最大級のハブ駅の一部を担っているにもかかわらず、この時点でようやくバリアフリー対応駅になった。市内は老朽化が進む地下鉄駅構内のバリアフリー化だけでなく、都市インフラの整備計画が2012年に向けて着々と進められていた。私が携わったグリニッジ馬術競技場も世界遺産のグリニッジ天文台公園をオリンピック競技会場にしたので、敷地内の既存の建物、芝生、樹木の間を縫うように配置された施設群にもバリアフリー対応が求められた。
 「ロンドンと東京ではどちらが活動しやすいか?」。根木さんにそのことを尋ねると、言葉の問題や道路舗装の問題などあったがロンドンのほうが良いと言う。確かにロンドンには石畳の歩道がまだ多く残っている。しかし、それでも活動しやすい理由を私たちは考えなければならない。これから建設業界は2020年の東京オリンピック・パラリンピックという1カ月半の熱い夏に向けて携わっていく。そこに向けて精神の成熟に寄り添う都市を計画していかねばならない。都市インフラ(ハード)とその扱い方(ソフト)である。
 “Mind the gap”
 ハードとソフトのギャップについて注意を払っていくことが2020年だけではなくそれ以降の東京、日本の街並みを生み出す私たちの使命なのだと根木さんの言葉に耳を傾けながら思った。


 (ねぎ・しんじ)奈良県大和高田市在住。高校3年生時、突然の交通事故により脊髄を損傷。以後車いすの生活を余儀なくされる。失意と絶望の中、車いすバスケットボールに出会いその後、持ち前の『ポジティブ精神』と『リーダーシップ』で国内トップクラスの車いすバスケットボールプレーヤーに成長。2000年に開催されたシドニーパラリンピックでは、男子車いすバスケットボール日本代表チームのキャプテンを務める。
 現在は、米国にて車いすバスケットボールのコーチングを学びコーチングプレイヤーとして大阪府内のチームB-spiritsに所属する。また、講演会などを通じて、「出会った人と友達になる」という独自のライフテーマをモットーに人と人との『つながりの環』を通してすべての人たちが友達になり、元気で幸せに生活できる街づくりを目指す活動を行っている。
 活動=日本パラリンピック委員会運営委員、アスリートネットワーク理事、日本パラリンピアンズ協会副会長
 オフィシャルサイト=http://adapted-sports.blog.eonet.jp/
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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