「ぼくが音楽を始めた20代のころ、2000人ほど入る渋谷公会堂は『音樂の聖地』だったですね。ここを一杯にすることが成功の証で、一つのステータスでした」。シンガーソングライターの伊勢正三さんはそう話す。20代初めにメンバーとなったフォークソンググループ「かぐや姫」でその夢を叶え、すぐに成功を収めた。次に結成した「風」やソロ活動でも武道館公演を成功させるなど不動の人気を誇ったが、その間も渋谷公会堂での公演はほぼ毎年のように続けてきた。伊勢さんは、「ステージに立つとホームグラウンドに帰ってきたように落ち着く原点の場所です。ホールでのコンサートはライブハウスとは違う共有空間で、『小屋』の持つ響きがとても大事。ここはたくさんのミュージシャンの心地良い波動がホールの天井、壁、客席に吸い込まれて、素晴らしい響きをつくっているように思います」と特別なホールへの思いを語る。
◆「小屋」の感覚を味わえる独特の空間
舞台に立つと客席との共有感が強く伝わってくる空間 |
渋谷公会堂は、ミュージシャンとして成功を夢見ていたころの憧れの場所であり、成功を収めてから自分の帰る原点でもあった。
「正直に言って、『かぐや姫』や『風』で成功したころは、数万人規模のスタジアムなどでも一杯になるくらいお客さまが入っていただけたのですが、渋谷公会堂は何というかちょうどいい一つの共有空間でした。ホールでのコンサートは独特の空間で、『小屋』の持つ響きがとても大事なんです。ぼくの個人的な考えですが、渋谷公会堂はミュージシャンがとても心地良く演奏できる空間なので、いろいろなミュージシャンが最高の音を奏でることができる。だからその波動が天井や壁、客席に吸い込まれて、小屋の持つ素晴らしい響きになっていると思うんです」
楽屋は決してきれいではないが、建物に一歩入っただけで落ち着くとも言う。
「ステージに立つと『帰ってきたな』という気分になれます。そういう意味で、ここは一番思い入れが強い原点といえる場所ですね」
80年代終わりから90年代初めに表だった活動を控えていた時期に、渋谷公会堂とこんな縁も生まれた。
「音楽づくりは続けていたのですが、一番凝っていたのが草野球で、毎日のようにユニホームに着替えて野球をやっていました。その時によく試合をしたのが渋谷公会堂の職員の皆さんのチームでした」
改修前の渋谷公会堂 |
渋谷公会堂は建て替えられることになり、2018年のオープンに向けてことし10月でいったん閉館した。10月までにゆかりのあるミュージシャンらがファイナルコンサートを繰り広げ、伊勢さんも5月、これまで40本ほど全国で続けてきた「『風』ひとり旅」をファイナルとして公演した。
「公演のトークでことしで渋谷公会堂も最後ですがと話し始めたとき、ふと、昔ここで流れていた渋谷川の歴史を思い出したんです。支流があの有名な曲『春の小川』のモデルです。そんな話が思わず口から出たのがきっかけで『やなわらばー』というアーティストに書いた『渋谷川』という曲が生まれました」
閉館は寂しいが、生まれ変わる渋谷公会堂も楽しみにしていると話す。
長野県の軽井沢大賀ホールも伊勢さんが大切にしている場所だ。ここ7年ほど夏の終わりに「ほんの短い夏」のタイトルで定期的にコンサートを開催している。
大賀ホールでのライブ |
「クラシックのホールですので、生の音の響きを考えてつくられています。いわゆる残響が長いのですが、ぼくらのようにポピュラーをやるミュージシャンには苦手な人もいます。でもぼくは大好きで、PA(音響拡声装置)も使うのですが、自然の響きと融合させるととてもいい音になります。PAのエンジニアがその響きを生かすのがすごく上手なんです。クラシックホールの品格と、軽井沢というリゾート感もあるので、とても気に入っていて、続けさせていただいています」
◆自宅スタジオにこだわりの「ピラミッド」
伊勢さんは自宅にスタジオをつくって、「プリプロダクション」というレコーディング前の事前録音を必ず行っている。引っ越しのたびに、アイデアを考えて、多様なスタジオをつくってきた。なかでも圧巻といえるのが東京都世田谷区の自宅庭に建てた「ピラミッドスタジオ」だ。
ピラミッドスタジオ。30代初めに自宅庭につくったもので、頂上に純金で彫金した黄金比率のピラミッドを載せた |
「30代のはじめのころです。庭は大家さんの敷地で、交渉してスタジオをつくらせていただきました。大家さんもまさかピラミッドができるとは考えていなかったと思いますが、大らかな方でどうぞって。ピラミッドパワーをもらおうと思ってつくりました。大工さんには、ピラミッドの黄金分率(黄金比)は難しかったので正四角錐にしましたが、彫金を制作する人に純金の小さな黄金分率のピラミッドをつくってもらって、屋根の頂点に付けました。ぼくは、良い曲ができたときは目に見えない力が働いて、そのお手伝いをした結果だと思っています。スピリチュアル系だと言われますが(笑)、音楽をやっているとそういう思いは大切ですね」
(いせ・しょうぞう)1951年大分県津久見市出身。シンガーソングライター&ギタリスト。「かぐや姫」「風」という70年代を代表する両スーパーグループで一時代を築く。80年にはソロとして、武道館コンサート等も成功させるが、その後、表立った活動は控えるようになる。93年本格的に再始動。かつて8枚のアルバムでチャート1位を記録したその楽曲は、さまざまなアーティストにカバーされ、時を経た今もなお多くの支持を受けている。現在はソロのLIVE、他のアーティストとのコラボレーション、コンサートプロデュースなど、幅広く活動している。代表曲に『なごり雪』『22才の別れ』『海岸通』『ささやかなこの人生』『君と歩いた青春』『海風』『ほんの短い夏』など。
〈リリース情報〉
▽『あからんくん』=松本一起(作詞)、伊勢正三(音楽)プロデュース。「あ」から「ん」までの50音で始まる、普遍の愛を歌った「童謡詞」に、バラード、ロック、ラップ、ボサノバ、AORから混声合唱曲までの「新童謡」ワールド。10月28日発売。
▽『やなわらばー/Windfall』=伊勢正三初プロデュースアルバム。アーティストは、やなわらばー。11月4日発売。
Officialホームページはこちら
◆利用者に加え裏方の安全、利便性向上も 改修設計者・福西浩之さんに聞く
福西浩之さん(日本設計建築設計群主管) |
東京都渋谷区の「渋谷公会堂」は、隣接の渋谷区役所総合庁舎と一体で整備され、1965年2月に開館した。2318席の多目的ホールとしてオープンしたが、前年には先行して東京オリンピックの重量挙げ競技の会場としても使われている。設計は建築モード研究所。
立地や知名度からフル回転で稼働し、老朽化が進んでいたため2005年7月から1年かけて大改修された。改修設計者は日本設計。
当時、設計・監理を担当した日本設計建築設計群主管の福西浩之さんは「稼働率が高かったので毎年夏休みに、短期間で緊急的な修繕をしていた程度で、建て替えを含め今後の方針を検討する期間の確保のためにも、抜本的な改修が必要となっていました」と振り返る。
改修直後の渋谷公会堂 |
改修で工程的に解決すべき課題として、屋根部分断熱材や客席天井の吹きつけアスベストの撤去、外壁のタイル剥落防止、耐震強化などを挙げ、内外装を思い切ってイメージ一新した。
「設計目標として、まず利用者の利便性向上を挙げ、合わせて舞台裏方作業の安全性の向上と効率アップも設定しました。具体的には客席やホワイエまわりの内装一新、回り舞台撤去に伴う倉庫新設、舞台天井すのこの改修などです。さらに天井への大型ブレース設置や壁への鉄筋補強などによる耐震改修、外壁タイル剥落防止や正面開口部改修に合わせて施設の顔づくりも重要な目標としました。舞台近くの客席内壁は、音の乱反射を目的にしたタイルでしたので、剥落がないことを確認してモノトーンに塗り替えて対応しました」
イメージ一新に関しては「コストを考慮して、大壁のタイル撤去ではなく金属パネルなどでカバーする処理とし、正面はカーテンウオール改修に合わせて外部スクリーンを設けた。客席は木質系の材質を取り入れ、華やいだ内装を計画しました」と話す。
【建築ファイル】
▽名称=渋谷公会堂
▽建築主=東京都渋谷区
▽所在地=東京都渋谷区宇田川町1-1
▽構造・規模=SRC一部S造地下1階地上4階建て延べ8150㎡(2006年の大改修後も同規模)
▽客席数=2084席(リニューアル前は2318席。座席の幅を広げて2084席に)
▽オープン日=1965年2月(リニューアルオープン=2006年10月1日)
▽オリジナル設計者=建築モード研究所
▽改修設計者=日本設計
▽施工者=鹿島・守谷建設共同企業体(当初施工者は鹿島)
▽2015年10月閉館、建て替え。2018年オープン
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