2013/09/05

【建築】伊東氏が講演、丹下の世界も再読 1万3000人が参加した日本建築学会大会

日本建築学会(吉野博会長)は8月30日から9月1日まで、札幌市北区の北海道大学を主会場に「2013年度日本建築学会大会 北海道」を開いた。114回目の開催となる今回は、東日本大震災を経験し建築の原点を問い掛けた昨年の東海大会を受け、原点からの出発の方向性を創るという趣旨から「創(つくる)」をテーマに設定した。延べ1万3000人を超える参加者が、過去最高となる7039題の学術講演発表や研究集会(研究協議会・研究懇談会・パネルディスカッション)39題などを通して研究成果発表や議論、意見・情報交換を展開した。


伊東氏の特別講演

◇伊東氏が感じる抽象

 記念講演会「創―建築の可能性」は、講師に建築家の伊東豊雄氏、モデレーターに三宅理一藤女子大副学長を招いて共済ホールで行われた。
 伊東氏は、「抽象は人々の日常の中に入りきっている。そのことをもう一度考えたい」とし、都市に生きる人々が、“スーパーフラットな”“サランラップに覆われた単なる記号化された”“並列でヒエラルキーのない生活”を送っている現状と、「みんなの家」における具体の比較などを通して、「抽象をめぐる近代主義の問題」を取り上げ、建築や都市、人々の生活における「具体」の大切さを説いた。
 「大震災後に体育館に避難しているおばあちゃんが、私たちは仮設住宅に行きたくない。ここなら皆と話ができ、皆と食事ができる」という言葉で近代の問題を取り上げることになったとし、これまで手掛けてきた「みんなの家」の何がどう具体であるかを説明した。
 また、東京の現代建築を見せながら、現代都市の建築も「抽象的で、均質な、キューブになっている」とするとともに、「均質で抽象的なことを推し進めていくとエントロピーの飽和状態に行き着くのではないか。それは美しいかもしれないが、元気な日本はよみがえるのだろうかと思う」と問題提起した。
 さらに、「大きなテーマとして建築を自然に開きたいと考えている。しかし、抽象的にものを考えてしまい、意識として考えていることと実際・現実との間にギャップを感じている」と悩みを吐露。東日本大震災の被災地を訪れてみると、「人々は、都会の人とは違って発想がすべて具体的。そして、一緒に考え、一緒につくり、一緒に喜んでくれる。それを経験して、もっと新しい美学があるのかもしれないと考えるようになった。現在、近代の中に取り込まれてしまっている状況から、自分を解き放していくプロセスにある」と自身の状況を説明した。

丹下健三を振り返る藤森氏

◇丹下健三の世界再読-生誕100年

 「世界の丹下」はどのようにして生まれ、何をなしたのか--。建築歴史・意匠委員会は「丹下健三の世界再読-丹下健三生誕100年記念-」の研究協議会を開き、丹下健三の作品、歴史、思想について振り返った。
 建築史家・建築家の藤森照信氏は「丹下健三によって、20世紀前半には果たされなかったソビエトパレスというコルビュジエの夢が実現した」とその仕事を評価。「ソビエトパレスの夢を追求した人は、丹下のほかにブラジルのニーマイヤーらもいる。記念碑として優れた作品はあるものの、建築として最も優れているのは国立代々木競技場である」とも。
 ソビエトパレスの夢とは、鉄とガラスとコンクリートを使いながら、伝統とダイナミズムを取り入れた建築を作ることだったという。「モダニズムはヨーロッパで生まれたという誤解があるが、あれはどこの地域の文化や伝統にも属していない。モダニズムは国や文化が生み出したものではなく科学技術・数学の建築的表現が結晶化したもの」と藤森氏。ソビエトパレスの背景にはそういった「白い箱を白く塗ってガラスをはめた建築の抽象性への違和感」があったのではないかと指摘し、それはコルビュジエの打ち放しコンクリートやミースの大理石にもつながっていると語った。
 また、丹下健三がコルビュジエの夢を実現することができた理由について藤森氏は「伝統」との関係を上げる。「戦前の段階で丹下はヨーロッパの建築を見たことはなかった。しかし、戦争中に法隆寺や神社といった日本の伝統建築とモダニズムの関係を考えることで、コルビュジエ的原理やモダニズムを深く理解し、戦後の丹下が生まれたのではないか」と語った。

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