2013/09/29

【丹下健三】生誕100年で父を振り返る 丹下憲孝社長

建設通信新聞社が企画していたラジオ番組に出演した丹下氏
国内外で偉大な業績を刻んだ昭和の大建築家、丹下健三の生誕100年の9月4日、丹下都市建築設計の丹下憲孝社長は父・健三の墓前で「何とかここまできた」と事務所を続けることができた感謝の気持ちを報告した。広島平和記念公園、国立代々木競技場、香川県庁舎、赤坂プリンスホテル新館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京都新庁舎など、数々の名建築を世に送り出した天才--。しかし、憲孝社長によると、超人的な努力をした人だった。それを見せないのが丹下健三の美学だったのだという。憲孝社長のインタビューと、日刊建設通信新聞社の企画制作で1961年にラジオ放送された『建築夜話』出演の丹下の語りから、生誕100年を振り返ってみる。




◇「ありがとう」感謝の気持ち 憲孝氏に聞く
 「父から学んだことの大切な一つが『ありがとう』という感謝の気持ちを持つということ」。丹下都市建築設計の丹下憲孝社長は、父・丹下健三氏から、意識をせずにそんな心の持ち様を受け継いでいたという。憲孝社長によると、健三氏はどんな人にも、どんな小さなことでも世話になれば「ありがとう」と必ず口にした。一方で仕事の無類の厳しさは有名で、人より長く頑張れという意味の「72時間集中しなさい」とよく言われた。自身も超越した努力家で、それを人に見せないのが美学だと考えていたという。9月4日の生誕100年の日には、墓前で「なんとかここまでやってこられました」と報告した。
 憲孝社長が2年前に出版した『七十二時間、集中しなさい。-父・丹下健三から教わったこと』(講談社)は、健三氏の知られざるエピソードが数多く紹介されている。タイトルについてはこう話す。

◇七十二時間、集中しなさい

 「この言葉は父がよく口にしていたものです。72時間という数字はあまり聞かないと思います。父自身、普通の人とは違う粘り強さ、こだわりを持っていたのでこの数字を使ったのでしょう。人よりもっと長く頑張れという意味。それだけ1つのことに集中すれば物事がまとまっていくということです。父は世間で言われるように天才的なところもあったが、努力に努力を重ねた人というのが正しいと思います。でも人様にその辛さは絶対に見せない。あたかもひらめいたかのごとく振る舞うスタイルの人でした。それが父の美学、ダンディズム」
 旧都庁舎の解体の時などは、完成した建物には「淡泊」だとも言われましたが、「そうではなく人一倍こだわりをもっていたはず。解体が決まったことを人前でぐずぐず言うのは、自身の美学にかなっていないということだと思います」と話す。

◇ありがとう

 公私を通じて学んだ大切なことの1つに「ありがとう」という感謝の気持ちがあるとも言う。
 「あまり知られていないことかもしれませんが、父はどんな人にも、どんな小さなことにも、世話になったことには自然に『ありがとう』という人でした。そしてよく気配りをする人でした。意識していなかったが、自分も自然にそんな心を少し持てるようになっています。父を見て育ったからなのでしょう」
 生誕100年で改めて思うのは「いろいろな方との出会いの積み重ねの中で父があって、それが今の私たちの基盤になっている」ということ。
 父の墓参りは憲孝社長にとって、語らいの場なのだという。「こんなことで困ったとか、今はこういう仕事をやっていますとか。4日の生誕100年の日は、『ここまで何とかやってこられました』と報告しました。父がだめ出しでよく使った言葉『もう少しやってみましょう』と言われなくてよかった」

◇50年前に語った建築の原理・原則

 小説家や漫画家など文化人と建築家の対談『建築夜話』が1960年から、日刊建設通信新聞社の企画制作によって日本短波放送(現ラジオNIKKEI)で茶の間に届けられた。この中で、61年2月には「20世紀の建築について」のタイトルで、丹下健三と小説家の有吉佐和子が対談した。丹下はこの時48歳。無口な丹下が、有吉の屈託のない、しかし洞察力のある質問にいつになく雄弁だ。約50年前に語られた人と都市、建築のあり方の原理・原則論が興味深い。
 有吉がニューヨークに滞在した時の感想として、近代建築について「なんだかちっとも落ち着かなくて、寒々しい感じが強いですね」と指摘。平面的で直線的で感心しないとし、それとは逆に人間には「ごちゃごちゃしたものにしたいという本能があるような気さえする」と言う。
 丹下はこれに同意しつつ、第二次大戦後に、当初の画一した近代建築の考え方から少し多様な考えが出てきたと話す。

◇リージョナリズム


 「それぞれの国の特質とか伝統とか、住んでいる国民の気持ちといったものをよく生かした建物をつくっていかなくちゃいかんのじゃないか」という考えが一部に起きてきたという。リージョナリズムとか地域主義といわれる動きだ。しかし、その考えを建築の本筋の問題としてしまうと、大きな意味の建築の問題が解決できないと主張する。
 「だいたい建築というものは原則的にいってそれぞれの個人が、もっとも直接につながっている問題から始まって、都市全体のオーガニゼーションというものに至るまで、非常に広範な意味を含んでいるわけです」
 この時代の大きな問題として自動車の急激な増加があり、都市のオーガニゼーション全体から見て、駐車場をどうするかなどを考慮した建築を考えなければならないなどとした。バランス感覚を常に忘れない姿勢が伝わる。

◇丹下のバランス感覚

 有吉の「実際に言って環境(建築)というものが人間をいろいろと支配してくるでしょう」との指摘にも丹下はバランス感覚を発揮する。
 建築が人の感情などを規定するのではなく、その逆で「現代は現代の持っているいろんな技術とか、生活感情とか、そうしたもの全体が反映してこそ初めて本当の建築が出てくるものです」と話し、一般の芸術が人間の中にある感情と諸条件を表出しているのと同じことだろうと説明する。
 有吉が日本風が好きだとし、「畳のほうがいいんです。それでいてベッドのほうがいいんです」と言うと、丹下は「私の家がちょうど有吉さんがおっしゃった話には理想的な家なんですよ」とするやり取りが軽妙だ。丹下は「全部畳で、それにベッドといすです」と「期待」に応える。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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