2014/04/13

【建築3団体】新国立競技場コンペで浮上した課題 3会の会長が語る(上)

左から時計回りに三井所氏、藤本氏、芦原氏、三栖氏
『JIA MAGAZINE』に建築家・槇文彦氏が寄稿したエッセー「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」は、国際コンペを勝ち抜いたザハ・ハディド氏が提案したデザインそのものの是非というより、コンペの前提条件となるプログラムの決定プロセスに疑義を示したものであり、これを契機に建築設計界のみならず、数多くの有識者や市民団体などからも建設計画の見直しを求める声がわき起こった。そこで問われたのは、良質な社会資産を形づくる上で本来あるべき手順・ルールであり、その欠如が改めて問題提起されたとも言える。新国立競技場を巡る議論の本質と、そこで浮かび上がった課題について、藤本昌也日本建築士会連合会名誉会長、三井所清典日本建築士会連合会会長、三栖邦博日本建築士事務所協会連合会会長、芦原太郎日本建築家協会会長に語ってもらった。

◇槇氏からの封書

 藤本 昨年9月に槇さんの事務所から封書が届いた。日本建築家協会(JIA)の雑誌に寄せた論説のコピーだったわけですが、書かれている趣旨には全く同感でした。と同時に、この問題にわたしたち建築家は残念ながらちゃんと向き合っていなかったのではないか、今後どう向き合えばよいのか、忸怩(じくじ)たる思いで読ませていただいたことを覚えています。
 芦原 古市徹雄JIA MAGAZINE編集長から槇先生の「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を載せたいとの相談があり、話をよく聞くとこれは大事なことだから載せようという判断をしました。ただ、僕らは参加資格を満たしていなかったので、あのコンペのプログラム内容を細かく見たわけではなかったですね。
 三栖 建築士事務所の協会としては、既に設計者が決まり動き出しているプロジェクトについては設計者の主体性に任せるのが原則で、発言を控えるということが基本にあります。この件についても協会内部でそのような強い意見もありました。
 ただ、一建築プロジェクトを超え、社会問題化してきているこの問題について、事務所協会としてのスタンスを表明しないほうがむしろおかしいということ、そして、事務所協会、JIA、建築士会の設計3会が共同で諸課題に取り組み、提言していこうという機運が高まっている中で、この問題についても、一緒に議論し、設計3会が1つの声で意見表明をする、ということにも意味があると考えました。
 三井所 うかつだったということを最初に反省しなくてはいけないなと。建築の専門家も、巨大な建築や面的な開発行為に本来もっと意識的になっていなくてはいけないだろうと思います。今までにも大規模な開発に対して「しまった」というような苦い思いはしてきました。今回もまた同じ轍(てつ)を踏んで、後出しでしか抗議できなくなってしまった。本来、わたしたちは感性で受け止めたものを一般社会に伝えて、市民をリードするような役割を果たすべきなのですが、その役割を果たし切れていなかったと反省しています。
 芦原 適切な情報が適切な場所に流れて、みんなの思考回路が機能することがなかった。建築家も専門家とはいえ、ちゃんと勉強しないとコンペの設計条件の中にどういう背景や問題が潜んでいるかはなかなか分からない。日ごろからきちんとチェックしていく、あるいは分かりやすく伝えていくという作業を、僕ら専門家がやっていかないといけないのだろうなと。後出しという意味では確かに反省しています。

◇公共建築は市民と一緒に考える責任がある

 藤本 以前、京都会館をめぐる議論(藤本昌也「真のクライアントは誰なのか」『住宅建築』2013年4月号)をしたことがあります。京都市が前川國男さん設計の会館を大幅に改修して、オペラハウスとして機能できるような建物に建て替えることを進めていたわけですが、一番問題なのは、そういうプログラムは市民の意見も反映できるような形で進められるべきなのに、オペラハウスが本当に必要なのかという議論が市民に周知されないまま計画が進められた点にあります。これは、槇さんが提起する東京の問題とかなり似ていると思いました。
 三井所 今回は世界的にスーパーな人しか応募できないこと、審査委員もしっかりしているという状況もあって、ある意味、安心もしていたし、その結果としてどうなるのかということまでは想像していなかった。
 しかし、建築士は大規模な開発や公共建築について、市民と一緒に考える責任のある職能と思っていますので、そういう意味でもやはり反省しなければいけないわけです。
 藤本 結局、われわれは日ごろ都市計画やまちづくりは大事だと言っているのに、そういうものがどういう社会的仕組みの中で日本では決まっているのかを、市民だけではなく、われわれ建築家もよく分かっていなかった。
 今回、東京都がかなり形式的なやり方で決めてしまった側面もありますが、調べてみると肝心な情報はすべて公開されていて、少なくともコンペの要項が出たときにはああいうものができるというのはわかっていたのです。
 これはわたしも含め、多くの建築家があまり関心を払わなかったために気がつかなかったということです。そこは反省点として、むしろ国立競技場のデザインをどうするかというよりも、組織的な活動をしている団体の役割として、今後われわれが都市計画にどうかかわっていくかを、ただ運動論としてではなく、制度論としてもきちっと議論していく必要があると思います。そうでないと、また同じようなことが起きるだろうと思います。
 三栖 建築設計者には、発注者の意向が本当に妥当かどうかを専門家の立場で吟味し、発注者の果たすべき社会的責任が適正に履行されるようアドバイスをする、という重要な役割があると思います。
 今回、敷地、景観、規模、費用などについて、問題が顕在化してきてから言うのは遅きに失した感はありますが、設計者が発注者の意向やプログラムをどのように受けとめ、どのように対応したか、などについて疑問は持ちます。
 藤本 好き嫌いはあるにしても、手続的に言ったら国際コンペで変なものが出るということはあまり考えないでしょう。わたしが制度論が大事だと言うのは、どういう手続きで制度が運用されたかという事実・実態がしっかりと分かっていないと有効な議論ができないからです。それを今回わたしたちは見過ごしてしまった。そのツケは深刻に受け止めなければならないでしょう。
 三栖 設計を提案するときには、その建物が置かれる環境、歴史、文化、いろいろなことを十分に調べ、研究し、読み取った上で案をつくるのが、一番大事なことだと思います。特に今回の敷地は、都心では数少ない象徴性のある地域にあり、奥深い設計作法が要求されるところです。
 しかしながら、国際コンペの場合、そこまで要求するのも無理があるかもしれませんし、発注者が設計条件として提示するにも限界があるのは理解できます。敷地があっての建築ですから、その敷地にあって意味を持つ建築でありたい、ということだと思います。
 三井所 特に、スケールと公園の関係はすごく重要なことだと思います。競技場はデザインする要素の単位が大きいじゃないですか。公園の中を気持ちよく歩くヒューマンな感じと、なかなか合わないですよね。それを合わせるというのはすごく難しいと思うのだけれども、それは設計の力でできるかもしれない。それを期待したいです。あそこをジョギングとか散歩だとかサイクリングだとか、いろいろな人が多様なスピードで回るとするならば、その感覚に合うような外側のデザインがすごくほしいと僕は思うのだけれども。

◇発注者は誰なのか

 芦原 今回の場合、もう1つ問題なのは、建築主あるいは発注者、そして責任者が誰なのかが非常に見えにくいことです。もちろん制度上はスポーツ振興センターに責任者はいるわけですけれども、国、文部科学省、東京都、日本オリンピック委員会(JOC)と関係者がいろいろいて、責任者の顔が見えてこない。その時代、歴史の中で語られるような建築が、発注者の姿が見えないままで果たしていいのだろうかとの思いはあります。
 三栖 公共事業では、民間の場合とは違って、プロジェクトのいろいろな段階で行われる意思決定のプロセスの透明性とその結果に対する説明責任が特に重要になると思います。このことは、敷地の選定や規模の設定などの事業企画についても、設計案の選考についても言えることです。
 特に、このような50年に一度の大事業であり、国の顔になるべき役割を持つ大変重要な施設であるだけでなく、建設にもその後の運用にも多大な国民負担を要する施設の建設にかかわる意思決定ですから、決定にかかわる方々には、その過程が国民に見えるようにすること、そして、その結果について丁寧に説明する責任があると思います。
 藤本 公共建築の場合はすべからく真のクライアントは「スポンサー・クライアント」ではなく、「ユーザー・クライアント」(国民)だという概念で考えないとだめだと思います。京都会館の場合も、スポンサー・クライアントは市長になりますが、真のクライアントはユーザー・クライアント(市民)と考えるべきでしょう。
 芦原 おっしゃるとおり、「ユーザー・クライアント」の概念はすごく大事で、僕はそれは国民だと思うのです。
 丹下(健三)先生の代々木のプールが当時の日本の元気な姿と日本の持つ技術、あるいは感性を世界に示したように、新国立競技場も国民がクライアントなのだという観点から、誰が責任を本当にとるのかを問いたい。
 ただ、社会は突然「ユーザー・クライアント」と言われても、それが何なのか分からないのですよね。だから、まずは社会に市民意識を持ってもらうことが大事だと思うのです。俺たちがクライアントなのだと。
 三井所 実はJIAの文章を見せてもらったときに、すぐに士会の会誌に再録させてくださいと槇先生にお願いしました。槇先生の文章は新国立競技場の問題を扱ってはいるのだけれども、実はこれは公共建築の発注において各地で起こる問題を扱っています。
 地域貢献をモットーとする団体としては、会員にこの問題についてもっと意識的になってほしかった。槇先生の文章の後半を読むと、ヨーロッパの社会の中で市民が公共建築に対してどう言っているかということが書いてある。わたしはそれを読んでくれた建築士の人たちが、それぞれの地域で改めて頑張ってくれるのではないかと期待しています。
(17日掲載の〈中〉に続く)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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