2016/01/23

【けんちくのチカラ】現地に足運び支援 内閣総理大臣夫人・安倍昭恵さんとミャンマーの寺子屋校舎


 安倍晋三内閣総理大臣夫人の安倍昭恵さんは、ミャンマーで公立学校に通えない貧しい小中学生らのために、財団法人やNPO法人との共同寄付によって寺子屋校舎を3校建設した。初めての校舎がミャンマー第2の都市、マンダレー市での「オーボ寺子屋(小中学校)」だ。生徒400人の8教室2階建てで、2007年1月に開校した。「寺子屋支援のきっかけは04年、作家の曽野綾子さんによるアフリカの貧困現場視察への参加でした。この現場視察で、近隣のアジアで子どもの教育支援ができないかと考えるようになりました。主人の薦めもあってミャンマーでと思っていたところ、とても良いご縁をいただき、寺子屋建設に結びつきました」と振り返る。開校から1年後に現地に行った際、生き生きと勉強する子どもたちを見て、感慨深さと同時に、この寺子屋から国の力になれる人材が育ってほしいとの思いを強くしたという。

開校から1年後に訪れた校舎の前で子どもたちに囲まれて(2008年、ミャンマー・マンダレー市)
アフリカの貧困現場視察は04年当時、日本財団会長の曽野綾子さんが、ジャーナリストや若手官僚などを対象に実施していた。昭恵さんはそこに自費で参加、「現場に赴く重要性を実感」した貴重な経験だったと話す。
 帰国してから、貧しい国の子どもたちに何かできないかという思いが募った。そして身近なアジアで学校をつくりたいと考えていたとき、「親日的で未来に前向きなミャンマーが良いのではないか」と夫の安倍首相が提案してくれ、情報を集め始めた。
 「06年ごろの日本とミャンマーは、政治的には必ずしも良好な関係ではなかったので、民間レベルでの支援を探りました。主人も『アジアの子どもたちに学校を作る議員の会』会長として既に実績があったので、そんなつながりも合わせて、いろいろなところで話をしていたらとても良い出会い、ご縁をいただきました。その縁の一つがミャンマーへの寺子屋支援を活動の柱にしている「NPO法人メコン総合研究所(GMI)」でした。曽野さんとの視察で実感した現場主義のようなこともあって、まずはミャンマーに現状を見に行こうと決めました」

昭恵夫人らの寄附で2011年2月に開校した「ミャイン尼寺子屋」(ヤンゴン市郊外)。
13年に訪問した時の教室での様子
 
06年5月、GMIの岩城良生副所長兼事務局長の案内で昭恵さんは初めてミャンマーを訪れた。いくつかの地域で王朝時代から現在も続く寺子屋の現状を視察。最後に、点在する寺子屋を一つの校舎に集約する候補地をマンダレー市に決めた。
 「現在の寺子屋は、貧しいなどの理由で公立学校に通えない小中高生のために機能しています。公立学校は学費は無料ですが机やいす代、弁当などを負担しなければならないため通えない子どもがかなりいます。寺子屋の建物は決して立派なものとはいえず、屋根があるだけの吹きさらしの教室、僧院の僧侶が生活する一部を使った教室などが普通です。先生も僧侶や一般のボランティアです。それでも子どもたちは友達のいる寺子屋に元気に通っています。いくつか視察した中で、マンダレー市のある地方で、小中学生を400人ほど受け入れられる寺子屋校舎をつくることにさせていただきました」

◆足を運んで「直接見守る」
 昭恵さんと財団法人が寄付し、GMIの代行で建設された。NPOやNGOなどに寄付金を渡して任せることもできるが、昭恵さんは「自分の目で確かめたい」と思ったと話し、現地に行って候補地選びからかかわることにした。完成してからも何度か足を運び、運営も見守っている。

完成後も何度か現地を訪れている(オーボ寺子屋校舎内。2010年)
最初の寺子屋が開校した07年1月、残念ながら政治的な理由で開校式には出席できなかった。そして1年後の08年に訪問が叶った。
 「うれしかったですね。子どもたちが歌や踊りで歓迎式を開いてくれました。楽しそうに生き生きと勉強している様子を見て、支援をさせてもらって良かったと思いました。建物はそれなりのものになったわけですが、あとは子どもたちが無事に卒業して、国の力になれる人材が育ってくれたらと願うだけです。支援は、その国の文化や歴史に見合う、押しつけがましくないものであることと、自立できる内容であることが大事だと思います」


◆思い出に残る日本建築「東山旧岸邸」(岸信介邸)と祖父母宅


旧岸邸(御殿場市)
建築が取材テーマだと聞いて思い浮かんだのが「岸信介邸」だと話す。
 「今は御殿場市に寄贈されて『東山旧岸邸』となっています。吉田五十八という人の設計なんですね。私がそこに初めて行ったのは岸信介の葬儀の時でした。病院で会ったことしかない主人の祖父がここで暮らしていて、さまざまな人が来られたと聞いていましたので、建物に入ると、祖父の生活がわかるような気がしました。本人がとても好きな家だったとも聞いていました。建築のことはよく分からないのですが、日本建築の美しさがあったように思います」
 小さいころは東京都内の優しい祖父母(祖父は森永太平森永製菓第3代社長)の家に泊まりに行くのが大好きだった。
 「日本建築でして、和室で寝るんです。ちょっと怖いんですが、障子や襖があって自宅のマンションでは経験できない新鮮さがありました。ご用聞きさんが来たりもして。独居老人が増えている今、ご用聞きさんに代わるシステムがあるといいのではないかとも思いますね」
 
(あべ・あきえ)1962年東京生まれ。聖心女子専門学校卒業。電通勤務を経て87年、第97代内閣総理大臣・安倍晋三氏と結婚。その後立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科を修了。
 ライフワークとしてミャンマーの学校支援、無農薬有機の食材を使った居酒屋経営、農場運営など教育と食の振興に力を入れている。
 2014年からは女性の社会進出を支援する講座型スクール「UZUの学校」を開校、多方面に活躍の場を広げている。

■施設の概要 メコン総合研究所副所長兼事務局長 岩城良生さんに聞く


NPO法人メコン総合研究所(GMI、玉置彰宏所長)の副所長兼事務局長の岩城良生さんは、月に1、2回ミャンマーに出かける。研究所の主要活動になった寺子屋支援が年々広がって、日本の民間寄付で建てた寺子屋が約30校になり、そのフォローアップなどをするためだ。
 安倍昭恵さんとの出会いは共通のある友人の紹介。昭恵さんがミャンマーでの教育支援を考えていた2006年、友人と3人で初めて会って、寺子屋のことを説明した。
 「4月にお会いして、5月にはミャンマーに行きました。寺子屋と呼ばれる僧院などをいくつか見学しました。公立学校に行けない貧しい子どもたちのセーフティーネットとして機能する教育施設で、地域に点在しています。このうち、昭恵夫人がマンダレー市のかなり貧しい地域を選ばれまして、そこで昭恵夫人らの寄付でGMIが代行し、400人規模の『オーボ寺子屋』を建設することになりました。GMIの正式な設立もこの年で、昭恵夫人には名誉顧問になっていただいています」
 岩城さんはミャンマーの生まれ。日本に来て27年になり、日本国籍を取得している。
 「若いころからミャンマーの教育支援、人材育成を考えていました。寺子屋は今後、メコン流域のほかの国にも拡大したいと考えています」

完成当時(2007年)のオーボ寺子屋
支援してきた約30の寺子屋は僧院が運営しており、いずれも大切に使ってもらっているという。
 「昭恵夫人が初めてつくられた『オーボ寺子屋』に昨年末行ってきたのですが、周辺環境も整備されてすばらしい教育施設になっています」
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