伊東氏、アドバイザーの曽我部昌史氏(左から) |
熊本駅白川口(東口)駅前広場(2011) |
大屋根が連続する白川口駅前広場の設計を手掛ける西沢立衛氏は、同プロジェクトについて「駅前を交通処理だけに終わらせるのではなく、人が来たくなる公園のような空間にしたかった」と、駅前の活用策として多目的空間を提示している。
最近は、学校プロジェクトが増えてきた。「オープン化、小中一貫校への対応などの難しい課題にKAPが活用されている」と、KAPアドバイザーの末廣香織氏は現在の主な役割を説明する。
◇みんなの家に熊本からタマネギ
磯崎新氏、高橋●(青に光)一氏に続き、2005年から3代目のKAPコミッショナーを務める伊東豊雄氏は、KAP初の熊本県外プロジェクトとして仙台市宮城野区に建設した「みんなの家」について「これまでわれわれは、東京の建築を熊本や被災地でつくる、あるいは持っていくことを考えていたが、地元の人を前にして、そんなことはできなかった」と振り返った。
完成したみんなの家には、熊本県の農家からたくさんのタマネギが送られてきたり、募金で買ったモニターが設置されたり、地域の交流が増えた。「形はどうでもいい。“建築家"を捨て、心を通じあわせるためにどうすればいいのかを考えた」(伊東氏)結果、地域同士の心が通じあう。
この経験を踏まえ、伊東氏は「経済万能主義の社会が人間を個に解体することを考えると、東京でコミュニティーなんてできるわけがない。東京から物事が起こるという時代はそろそろ終わる。建築家は、東京抜きの建築を徹底的に考えなければならない」と訴えた。
これに対し、KAPアドバイザーの桂英昭氏は「どれだけ地方で活動していても、外部から違う空気をもらわないといけない。逆に東京の人は地方にアイデアを持ってきてほしい。東京がおもしろくない理由は、大きな資本が動いて建築ができていく様子が見えてしまうからだ」と指摘した。
熊本県営保田窪第一団地(1991)撮影:清島靖彦 |
KAPで保田窪第一団地の設計を手掛けた山本理顕氏は「建築はある種のシンボル。建築家の固有性でシンボルをつくることができると考えていたが、違った。実際は、時間や住民がシンボルとしてつくり上げてくれている。KAPがこれほど長く続くのは、シンボルに住民と時間が深くかかわっていることを証明している」と評価した。
同団地は、完成当時こそ従来の生活スタイルとの違いから批判を浴びたが、「熊本駅白川口駅前広場とともに注目され、現在は韓国などから年間500人が見学にやってくる」(熊本県土木部建築住宅局建築課)ほど地域に根付き、シンボルとなっている。
伊東氏は「空間のデザインから時間のデザインへ、建築家の役割が変わる。どのようにつくり、どのように育てるか、時間の中での建築へのかかわり方がはるかに重要」と、建築家が考え方を変えるべきだと強調した。これに呼応し、山本氏は「KAPは、いま儲かるかどうかしか考えられない経済主義とは違う。25年経っても、人々がまたそこに帰ってこられる記憶装置である」と、未来につなげるべき活動となるよう、期待を込めた。
「現在の大きなテーマは『学びつつ創る、創りつつ育む』だ」(桂氏)。ゆっくりだが伸びやかに、未来づくりの芽は大きな木になろうとしている。
今後、10月6-8日に熊本城城彩苑で記念展覧会を開催後、11月23、24日の記念国際シンポジウムを皮切りに熊本市現代美術館でアートポリス展覧会が始まる。
建設通信新聞 2012年9月20日10面
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