2012/11/30

【けんちくのチカラ】フォークシンガー細坪基佳氏と九段会館

九段会館のホール
「感動の波動のようなものを受け続けている場所だと思います」。元フォークデュオ・ふきのとうのボーカルで、現在ソロのフォークシンガー、細坪基佳さんは、音楽ホールや劇場などの空間をそう考える。「コンサートや演劇に足を運ぶ人で、いやなエネルギーを持ってくる人はそういません。ですからホールや劇場は、幸せや優しさなど感動のエネルギーで包まれる『箱』です」。デビュー38年、今でも全国で精力的にコンサートを続ける細坪さんが「おじいさんのよう」と慕うホールが東京の「九段会館」だ。昭和初期の建物で、その古さとどっしりした構えに惹かれたと言う。


◇感動の波動が染みこんだ空間

細坪基佳さん
九段会館は1934(昭和9)年に完成。軍人会館の名称で在郷・退役軍人などの訓練や宿泊に使われた。53年に国有化され、九段会館に改称、日本遺族会が運営してきたが、昨年の東日本大震災の事故で廃業。3階まで1112席を持つホールではさまざまなコンサートやイベントが開かれてきた。
 細坪さんは、ふきのとうがデビューして間もない35年ほど前、初めてこの九段会館で歌った。
 「35年前にもうすでに古くて(笑)。正直、きれいだとは言えませんでした。でもよく見ると、こげ茶色の太い柱、大理石の階段などどっしりとした昭和の建物なんですね。故郷の北海道ではこれほどの建物を見たことがなかったので、新鮮でした。おじいさんのような頼もしさを感じました。1月の『謹賀新年コンサート』で使わせてもらって、ソロ時代も含めると十数回ステージに立ってます」

◇幸せや優しさのエネルギーに包まれて

 3階席まであってそれなりの大きさのホールだが、緊密な空間なのだという。
 「ある程度のキャパシティなのですが、ステージから3階のお客さんの顔が見えるんです。とても身近で、安心感のようなものがあります。お客さんが近いと、息づかいがわかります。『ふっ』と笑ったり『ほーっ』と感心したりするのが伝わってくる。歌い終わって拍手をいただくまで一瞬の間といいますか、静けさがあるのですが、この瞬間は近い方が一体感があって、気持ちがいいんです。聞いてもらえたんだなあ、という喜びがじわっとわいてきます」
 音響的には歌いやすいと言う。「音が自然にはね返ってくるんですよ。新しいホールは吸音設備が整っていて、自分たちのモニターに『リバーブ』を足したりすることもあるのですが、ここはとてもナチュラルな音の返りがあるので、それがなくても歌いやすいんです。おじいさんのような頼もしさと一体感もあって、九段会館でまたやりたいね、とよく言っていました」
 ホールや劇場は感動のエネルギーで包まれる「箱」だと言う。
 「ホールなどの建物はそこに集まった人の拍手を毎日のように聞いています。マイナスのエネルギーを持ってコンサートや演劇に出かけてくる人はそういません。ですから、ホールの空間はそこに集う人の幸せや優しさの波動を受け続けていると思うんです。九段会館のような歴史ある建物は感動が染みこんでいる。感動のエネルギーで包まれる『箱』といえます。古い音楽ホールには音楽が大好きな『座敷わらし』がいてもおかしくないですよ」

◇不思議なチカラ

 そんなホールの不思議な力のようなものに出会ったことが何度かある。
 「アンコールでもないのに拍手が鳴りやまないんです。『ありがとうございました』と言えば拍手はやむのですが、とめない方がいいと思いました。感動の空間の中にぼくもいっしょに身を委ねようという気持ちです。ホールの空間からなのか、別の力がぼくの脳に作用して、感動の場をつくったのかもしれません。いつもこうなればいいのですが、ここ20年くらい体験してません。はははっ」
 生まれは北海道沼田町。雪深い暑さ寒さのはっきりした内陸の小さな町だ。
 「祖父が営む駅前の旅館で生まれました。遊ぶ場所は穀物などがたくさん積んである駅前の大きな倉庫です。米などの入った袋をずらした空間に『秘密基地』をつくって、兄弟と従兄弟の4人で毎日のように遊んでました。外に出ると大きな建物もなく大自然が広がっていました。これまでつくったり歌ってきた詩を見て思うことは、季節の言葉の多さです。枯葉、雪、雷などなど。言葉だけで雪を降らすのではなく、頭の中では完全に雪が降っています。こうした季節を含めて山や川など、生まれ故郷の原風景が歌に強く影響していると思いますね。歌手のイルカさんからは『ずるいよねー、どんな季節でも流れる曲があるよねー』と言われましたが(笑)」
 10月26日に60歳になった。ここのところ「大人の歌」について考えることが多い。「酸いも甘いもかみ分けたシンプルさじゃないかなと思います。シンプルな言葉に人生が凝縮されているような歌ですね。ぼくの歌を聞きたいという方のためにこれからも全国を回ります。還暦コンサートは10年後に延期です」

◇1930年代流行の「日本趣味建築」 設計=川元良一


 九段会館(東京都千代田区)の旧称は軍人会館。退役軍人らの社交場として1934(昭和9)年につくられた。歴史的には「2・26事件」の戒厳司令部が置かれたことでも有名。戦前からダンスホールやコンサート会場としても広く使われてきた。西洋建築(洋館)に日本瓦の屋根を載せたいわゆる「帝冠様式」のデザインとして知られる。
 87年に『アート・キッチュ・ジャパネスク』(青土社)でこの様式の意味などを著した建築史家で国際日本文化研究センター教授の井上章一さんは、こう話す。
 「帝冠様式といわれる建築が流行したのは30年代。なぜこうした様式が生まれたかと言いますと、18世紀のヨーロッパで確立していたギリシャ、ローマの古典様式が徐々に崩れモダニズムに移行するのですが、古典様式が崩れる最終段階で多様なものが取り込まれたためです。そのピークに出てきた様式です」
 30年代当時は帝冠様式という言葉がなく「日本趣味建築」と言っていた。
 「今は帝冠様式と日本趣味建築は同じものとして定着していますが、本来は別のものです。10年代に米国帰りの建築家で下田菊太郎という人が、将来の国会議事堂はこうあるべきだと提案したのが帝冠併合式(帝冠様式)です。実現しませんでしたが、違いは日本趣味建築が日本瓦の屋根になじむように洋館に細工を施しているのに対して、帝冠併合式にはそれがありません。九段会館は典型的な日本趣味建築です。50年代になってあいまいな記憶をさかのぼって帝冠様式と名付けたものです。屋根が似ているというだけで」
 九段会館が日本趣味建築になったのは退役軍人を対象にしていたからだと指摘する。
 「明治時代は軍隊で初めて靴を履いたり洋服を着たりする人が多かった。西洋化を推進する場所ですね。高級軍人は駐在武官として西欧的な教養を求められることもあった。だから現役の軍人施設には『正統派』の西洋建築しか許されなかったのだと思います」
 設計は川元良一。コンペでは建築技師の小野武雄が1等だったが、当時のコンペは1等案を基にほかの建築家が変更を加えることもあった。

1 件のコメント :

  1. 震災の後に廃業と聞いて、とても寂しく思いました。
    客席側からもとてもステージが近く、一体感が感じられ、転げ落ちるような3階席が実は一番「あたり」の席だったようにも思います。
    建物自身はまだ残るのでしょうか?
    建築の歴史として残していただきたいと思いますが…。

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