礼拝堂内部 |
礼拝が行われるのは午前なので、東方を持ち上げ縦長の窓を設けた。ガラスで拡散された朝日が講壇後部に集まり、くり抜かれた十字架を透過して礼拝室へ差し込む。光る(神の宿る)空白を近くて届かぬ位置に掲げ「神の尊厳」を演出した。
もうすっかりデジタルやシステムが闊歩(かっぽ)する時代になった。施工精度は上がり工期の短縮化が進む。それは良いことだとは思うが、一方で建築に手作り感が薄れてきた気もしている。最近のエッジの効いた建築には、一瞬の大きな感動をもらいつつも長居は遠慮したい、そんな状況が増えた。
以前、「バカの壁」で有名な養老先生が、講演で苦言を呈されたことがある。建築家の皆さまには、寒暑の厳しいときに金属の手すりを握らされ、脳にストレスを与えられていると。そんなことが頭に残っていたので、この教会は手作り感や生理的に馴染む触感を優先した。
建築は衣食住のひとつで、本来は人に優しい存在である。これからもずっとアーキとテクチャーの美しい二人三脚であってほしい。(代表 田川尚吾)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!) 2012年11月7日5面
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