2016/04/09

【けんちくのチカラ】富士山を正面に自然と一体化 シンガーソングライター・イルカさんと河口湖ステラシアター


 幽玄の古のギリシャ、ローマ劇場を彷彿させる可動屋根付きの野外コンサートホールが、人口2万5000人ほどの町のシンボルとして、音響や運営などで国内外から高い評価を得ている。山梨県富士河口湖町の「河口湖ステラシアター」だ。これまでのポップス、クラシックに加えて昨年の海外からの歌劇公演で、その評価を強固なものにした。3000席の収容規模は県内最大。オープンは1995年で、当時の町長のホールづくりへの熱意が設計者とプロデューサーを動かした。毎年夏、ここでコンサートを開くシンガーソングライターのイルカさんはポップスを定着させた一人。公演はことしで12回を数える。「ステージ後ろの壁を開けると、お客さまからは真正面に富士山が見えるという感動的なロケーションです。大きな会場ですがアットホームな空気があり、鳥やセミの声が聞こえて自然と一体になれる素敵なホールです」と話す。

◆建設現場に足を運んだ「生まれる」前から知っているホール

屋根を開けた状態のコンサート風景。客席は傾斜30度で、ステージへの求心力を持つ

 イルカさんは35年ほど前、富士河口湖町にアトリエをつくった縁で、町民とも親しくしている。家族と過ごしたり、曲作りや着物のデザインなど創作活動の場として使うことが多く、富士山の力をもらえる大好きな場所だ。
 「身近な場所にホールができるというのでとても楽しみにしていたんです。建設中の現場にも行ってるんですよ。『生まれる』前から姿を知っている本当に縁の深いホールです」
 河口湖ステラシアターで毎年夏に開催しているコンサート「イルカ with Friends」はちょうど12年前、国際自然保護連合(IUCN)の親善大使に任命されると同時にスタート。外務省での就任記者会見で、「コンサートを通じて歌仲間と環境活動の重要性を分かりやすく伝えていきます」と自分のできることを約束した。その活動拠点として選んだのがここだった。

ことし12年になるコンサート「イルカ with Friends」(写真は2005年)

 「ステラシアターは、こけら落としでも参加させていただきました。『イルカ with Friends』は、富士河口湖町、IUCNなどが主催者になって休むことなく毎年続けて、ことしで12回目になります。町のボランティアスタッフの皆さんに手作りコンサートとして運営していただいています」
 ステージ後ろの壁を開け放すと、客席中央からまっすぐ視線を伸ばした先に雄大な富士山が姿を現す。コンサートでは、ローマ劇場のように、30度近い傾斜を持つすり鉢状の客席から、日没に向かって色を変えていく富士山を見ることができ、やがて星がホールを包み込むのだという。
 「私はいつも富士山が見えるようにステージ後ろの壁を開け放しています。開演は午後3時で、終演のころには富士山の表情も変わっています。室内のホールとまったく違うのは、鳥の声、風の音、そして夕方になると『カナカナカナ』というひぐらしの声などがミックスされて、自然と一体になれることです。それと、かなり大きな会場なのですが、アットホームな空気があります。歌仲間のゲストの方も、気持ちよく歌えたと言ってくださいます」

◆こだわった東京の自宅建て替え

 イルカさんが町民に親しまれているのは、町うた『木(こ)の花の開(さ)く頃に』を作曲したことも大きい。コンサートでは地元の児童合唱団などと一緒に歌う定番だ。
 鉄筋コンクリートだった東京の自宅を11年前、木造に建て替えた。コンセプトは「エコな家」。当時まだ少なかったソーラーシステムを最優先し、北海道旭川市で入院療養していた夫のためにバリアフリーも取り入れた。
 「全部自分でデザインしたいと設計の先生(中堅建設会社)に言いまして、長時間にわたって、何度も打ち合わせて、設計には1年ほどかけました。材料の木は、大分県の佐伯市立宇目緑豊中学校の校歌をつくらせていただいたご縁で、地元からフェリーで運んでもらいました。以前の家のドアの再利用や庭の山モモの大木の保存など、いろいろな方のお世話になりながらじっくりとつくった家なので、愛おしいですね。解体業者さんを通じて偶然いただいた庭石が、主人が小さいころに住んでいた家のものらしいという、びっくりする出来事もありました」
 生まれた東京・中野の古い木造アパートで、2歳半のころのことを鮮明に記憶している。

2歳半のころ。自身の幸福感の原点を意識したという中野のアパートで

 「一間の狭い部屋だったと思います。周りの商店街のことなどをほとんど覚えています。ある晩、一本の葦が薄暗い沼に生えていて、そこに雨が落ちて輪を描いている夢を見まして、なんて寂しいんだろうと思ったんですね。その時目が覚めまして、両隣を見ると布団の中に両親がいました。忙しくしていた父がたまたま帰っていたんです。私は葦に比べたらどれほど幸せなんだろうと、初めて自分を意識した瞬間でした。これが幸福感の原点になったようで、辛いことがあってもあのときの葦に比べたらと、いつも思ってきました」

 東京生まれ。女子美術大学に在学中からフォークグループを結成、シュリークスを経て、1974年ソロデビュー。翌75年『なごり雪』が大ヒットし、シンガーとしての地位を確立する。現在も毎年コンサート活動を続けており、ニッポン放送「イルカのミュージックハーモニー」のラジオパーソナリティーをはじめ、絵本やエッセイ執筆、着物のデザイン・手描き・染め・プロデュースを手掛ける一方、IUCN国際自然保護連合初代親善大使に就任。また、母校である女子美術大学で客員教授を務める等活動の幅を広げている。2014年にIUCN国際自然保護連合親善大使10年目を迎えたと同時に、IUCNの歌『We Love You Planet!~ひびけ!惑星に。』が完成。iTunesで日本を含む世界111カ国へ配信中。
 最新作は2枚組DVD『イルカ映像集ライブ&アーカイブ/イルカwith Friends vol.10(2014)・映像アルバム「風の便り」(1984)』。
 5月にデビュー45周年を迎える。

♪コンサート♪
 「45th Anniversary 2016イルカ with Friends vol.12 ~我が心の友へ~」
 2016年7月23日(土)午後3時開演(河口湖ステラシアター 野外音楽堂)
 イルカ公式HP http://www.iruka-office.co.jp/

◆設計・斎藤 義さんに聞く ローマ劇場を原型に開閉する装飾壁を導入

富士山をバックにした外観

 設計者の元アトリエR代表の斎藤義さん(現環境デザイン研究所所長)は、1993年に設計を依頼された当時の町長、故小佐野常夫さんの熱意と独創力がこのユニークな野外音楽堂(劇場)誕生の端緒になったと話す。
 「小佐野町長は当時『五感文化構想』を掲げていて、『聞く』分野で本物の野外劇場をつくってほしいという最高のコンセプトをまず提案してくださいました。そして富士山の裾野の広大な総合公園に連れて行って、ここにつくってほしいと、富士山の真ん前のこれも最高の場所を選んでくださいました」
 演劇プロデューサーの中根公夫さんのアドバイスで欧州にギリシャ、ローマの古代劇場を訪ね、半円形で装飾壁のある、大自然の中の劇場にたどり着いた。
 「ローマ劇場を原型に、30度の急傾斜を持つ客席をつくり、周囲の恵まれた自然環境も生かすことを考えました。建物と富士山の中心軸をぴったり合わせて、舞台奥の装飾壁が左右に開くと真正面に富士山が見えるよう設計しました。壁を開けるとお客さまがどよめいて、感動していただけるのがうれしいですね」
 雨による公演中止を防ぐために2007年に可動屋根を設置。「音響効果は向上しましたが、野外性を半分捨てることに本当に悩みました」
 舞台芸術の拠点としての魅力と性能を生み・育てることができなければホールの設計はできないという信念を持つ。その恩人の一人が、ステラシアターの運営の立ち上げをアドバイスしてくれたプロデューサーの金子洋明さんだという。公演企画の柱を確立して運営を軌道に乗せた。その志は、ともに立ち上げた同シアターマネージャーの野沢藤司さんが引き継いでいる。

【建築ファイル】
▽施設名=河口湖ステラシアター
▽所在地=山梨県富士河口湖町
▽主用途=野外音楽堂
▽建築主=富士河口湖町
▽設計・監理=当初の野外劇場はアトリエR、可動屋根設置は仙田満+環境デザイン研究所
▽施工=早野組、三菱重工業、鴻池組、横河ブリッジ
▽構造・規模=RC・S造地下1階地上3階建て延べ4870㎡
▽竣工=野外劇場1995年、可動屋根2007年
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