2013/06/28

【建設論評】連発する入札不調 問われる予定価格

入札が中止となった秋田市新庁舎
本紙、「建設通信新聞」が精力的に報道している病院や庁舎の公共建築工事の入札不調増大の事態について、考えさせられることがある。それは、予定価格とは何かということだ。長年、建設業界には発注者の設定する予定価格が絶対的なものだという一種の信仰があった。だからこそ、予定価格以下でなければ落札できない、という競争性への一方的な規制にもほとんど疑問を持たず、入札公告が出れば応札して来た。
 また予定価格を絶対視していたからこそ、かつて一部の自治体発注者で横行していた「歩切り」をルール違反として問題視し、改善させてきた。その時の論拠は、契約の双務性に反する片務的な措置というものであった。予定価格という客観的な調査と算定システムの結果に対し、発注者が「微調整」という名目により主観的に端数整理するのは片務的だ、というものだった。その端数整理の幅がぴんからきりまであり、「プール一つ造れるほどの予算が確保できた」と豪語する自治体まであった。歩切り撤廃も、予定価格が上限拘束性も含め絶対的なものであったから、恣意的な措置として改善させられてきたのであろう。
 ところが、その絶対性はいま大きく揺らいでいる。応札者があちこちでノーを突きつけているのだ。最初は、東日本大震災復旧関連工事から始まったが、それは被災地という条件下での需給ひっ迫という「特例」とみられていた。
 ところが本紙で報じるように、奈良県生駒市の市立病院、京都府の新総合資料館、国立病院機構下総精神医療センター、坂出市立病院、国立病院機構熊本医療センター、呉市新庁舎、秋田市新庁舎など全国の公共建築工事で、何度かの入札不調や応札者ゼロという事態に陥っている。
 その中で解決した入札案件は、予定価格を引き上げたり、工期を延長したりしたものである。再入札や指名の入れ替えという小手先の対処では対応できず、発注者が予定価格の「絶対性」を降ろし、価格を引き上げなければならない事態になっているのだ。予定価格以下でなければ落札できないという上限拘束性を大前提にした競争関係が破綻しかけているのである。
 だが、発注者には、そうした認識が薄く、対処療法で何とかなると思っているフシがある。今だに個別ケースの中で打開策を求めているからだ。もっと入札制度全体の競争性あるいは予定価格のあり方を根本にすえて打開しようという動きにつながらない。こうした自治体から中央公共工事契約制度運用連絡協議会(中央公契連)に問題提起があってもいいはずだ。中央公契連から地方自治体や関係発注者に制度改正の通知はあっても、その逆はない。その逆があってもいいのではないか。
 入札執行の遅れは、開業時期の遅れとなり、公共サービスの遅れにつながるほど深刻な事態だと思うのだが、それを個別ケースでの打開に求めているのが不思議だ。安ければよかろうと市場原理主義を導入し、一般競争入札と予定価格の事前公表のもと、くじ引き入札を恒常化させ、建設業を赤字産業に突き落とし、社会保険費用にも事欠く競争環境にした発注者責任が鋭く問われていると思う。応札者ゼロというのはただ事ではないのだ。
(田)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)2013年6月28日

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