2013/11/25

【建築家インタビュー】「関西建築家大賞」を受賞した生山雅英氏に聞く

「houju」内観
(撮影:Shinkenchiku-sha)
日本建築家協会(JIA)近畿支部の第12回関西建築家大賞に選ばれた生山雅英氏は、「斜面」「擁壁」「雛壇状」といった難敷地において、巧みに場所を読み取った地形に逆らわない住環境の構築が高い評価を受けた。商業建築を多く手掛けた建築家を父に持ち、追求するのは土木と建築、柔らかい建築と固い建築の“境目"だ。


 
生山雅英氏
◇悲願の受賞

 「関西では最高峰の建築賞と認識していた。まさか自分がその一員になるとは思ってもみなかった」と喜びを語る一方で「受賞して改めて重みを感じる。もう一度ネジを巻き直して頑張らないといけない」と、顔を引き締める。
 受賞会見では、審査員から絶賛を受けていたが、「今回も無理かと思いながら応募した」という。4年前にも同賞に応募したが、「作品は今回より大きい住宅で自信もあったが、その年は『該当者なし』だった」と振り返る。
 審査の対象となったのは、「houju(兵庫県宝塚市)」と「WW+(大阪府吹田市)」。ともに悪条件の土地をうまく生かした住宅。「どちらも計画のスタート地点からかかわることができて、思い入れは深い」という。
「WW+」内観
(撮影:Shigeo Ogawa)


◇それぞれの建築

 「houju」は、コンクリートで造成された駐車場とその先に斜面がある敷地に建設した。造成部分にRC造の1階が建ち、その上にS造の2階が載った構造となっている。「候補地が決まらず、私が当該敷地をクライアントに勧めた。一目見ておもしろいものができそうと直感した」という。
 2階はマンションのワンルームのようになっている。「眺望を意識してもらうのに、天井と壁の入り角は邪魔になる」ため、斜面側に設けた大きな開口部の四隅の角は丸くなっていて、宝塚市街地の眺めを柔らかく抜き取っている。
 「WW+」は、敷地の背後にそびえる巨大なコンクリート擁壁(法面)に沿った形のRC造外壁で建物を包んだ住宅。土地を初めて見せられた時に「やめた方がいいと助言した」ほど難しい敷地。クライアントにぜひにと懇願され「この敷地条件に勝つものを」と意気込んだが、希望するRC造ではコストが合わず、木造でも決め手になるようなプランが出せなかった。
 「最終段階になった時にクライアントからは『敷地条件に勝っていますか』と言われた。自分でも正直勝っていると思えなかった」。そこで奮起し、もう一度プランを練り直し、RC造を実現した。「クライアントの言葉がなければ、この作品はできなかった」という。
 難しい敷地での設計を「決して狙っているわけではない」ものの、「『やってやろうか』と気合が入るし、悪条件だからこそモチベーションが上がる」という。逆にフラットな土地で話を持って来られたら「『僕じゃなくてもいいじゃないですか』という」ほどだ。

◇寄り添う建築を目指す


 今後は「建築と土木の境目をつくっていきたい。『環境保全』が強く叫ばれる時代になり、土地の特性を読み取った『場の建築』が興味の中心」と話す。関西は神戸を始め、フラットな土地が少ない。「地形に逆らわず、寄り添う建築を目指していきたい」と意気込む。
 大学卒業後、電鉄系ゼネコンに入社した。3年間は現場で、1年間は積算も経験。5年目から設計部に配属になった。「現場では設計がどう見られているかを知ることができ、独立後の役に立った」と振り返る。
 建築家を目指すようになったのは、父親を継いでほしいと考えた母親の意向だった。「父はかつて、今の事務所の場所で設計事務所を開いていた。戦後乱立したビッグキャバレーなどを手掛けるいわゆる『イロモノ』の事務所で、その仕事ぶりを小さいころから見ていたが、特に建築家に憧れはなかった。母にたきつけられて建築の道に進んだ」という。
 住宅を中心に手掛けるようになり「父は固い方に行ったことを喜んでくれた」という。いまでは商業施設も手掛けるが「関西建築家大賞を獲った建築家で商業施設も手掛けるのは自分くらいかもしれない」と話す。「住宅建築のもつ固さと、商業建築のもつ柔らかさの中間を狙った建築をしていきたい」
 いくやま・まさひで 1981年大阪工大工学部建築学科卒。90年arte空間研究所を設立。2005年から大阪樟蔭女子大で、08年から母校の大阪工業大で非常勤講師を務める。99年に「額田の家」で、09年に「mon-en」で大阪建築コンクール知事賞を受賞している。大阪市出身、57歳。
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