2015/08/09

【日本の土木遺産】丸山千枚田(三重県熊野市) 日本人の原風景、村人に守り続けられた最大規模の棚田

丸山千枚田は紀伊山地の山中、三重県南端近くの熊野市紀和町にある。この町は2005年11月に合併した熊野市の南西部、瀞(どろ)峡、瀞八丁で知られる北山川、熊野川を隔てて和歌山県と奈良県の県境に位置している。銅を中心とした金属鉱床が紀和町の各地に存在し、古くから鉱山の歴史がある。昭和初期には、鉱業の発展により人口が1万人を超え、鉱山は町を支える重要な資源であった。町の総面積の約90%が山林で占められ、耕地の大部分は山の斜面に拓かれている。豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、年平均気温16度、年間降水量は約3000mmの多雨地帯で積雪はない。一方、気温の日較差は大きく、海岸部と比べて寒暖の差は大きい。

 千枚田のある丸山地区は、町の東部にある白倉(しらくら)山(標高736m)の山麓に位置しており、鬱蒼(うっそう)とした杉林の山中を行くと、眼下に拡がる美しい棚田を見ることができる。丸山千枚田は標高110-290mの傾斜約14度の西向斜面に、雛壇状に100段近く展開しており、石積みの畦畔(けいはん)の高さは平均1.1mである。
 棚田の機能は、米をつくる生産の場としての役割のほかに、多面性を有するといわれる。その多面性とは、第1に保水・洪水調節・土壌侵食防止などの国土・環境保全、第2に両生類・魚類・昆虫・鳥類・哺乳動物など多様で独自性を持った生態系保全の役割、さらに日本人の原風景といわれる棚田景観の文化的価値などである。
 丸山地区の棚田がいつ頃拓かれたかは不明であるが、すでに17世紀初頭の慶長年間には存在していたことを示す史料『検地帳』が残っている。石積みのほとんどは野面(のづら)石の乱層積みである。丸山の畦(あぜ)造りには、身近に手に入る石は全て利用されており、積むのに不都合があれば砕き、形と大きさが不揃いでも、構わずに組み合わせて積まれている。これらの石垣は動力機械のない古い時代に、村人たちがコツコツと作り続けてきたものである。
 丸山千枚田は、日本一の多雨地域という恵まれた環境にあり、棚田を潤す水は、丸山川から堰を設けて取水するほか、集落内から湧き出す6筋の系統を水源としている。各水源から用水路で導かれた水は、棚田群の最上段の田に落とされた後、雛壇状に構成された田の水口から水口を経て、一枚ごとに上の田から下の田へ流される。
 高低差はいろいろであるが、うねるように折り重なる田の高さはそれぞれ微妙に違っている。この方法は「田ごし」とも「畦ごし」ともいわれ、丸山千枚田の給水の基本になっている。この畦ごし田んぼ群の中には「水通し田」といわれる水路を兼ねた田もある。ここを通った水は、さらに水路で下流の別の畦ごし田んぼ群を潤す。
 丸山の人々は、生活のために田んぼを作った。水田の枚数は第二次世界大戦後の食糧難の時代でも2400枚以上あったが、1978(昭和53)年の鉱山閉山で急速に過疎化が進んだ。後継者不足と高齢化等により、作業効率のきわめて悪い棚田は放棄されるようになり、93年には約530枚(3ha)まで減少した。このような危機的状況に、「先祖から受け継いだ千枚田を復元したい」という地元住民の熱意と、「千枚田を復元することで、地域活性化につなげたい」とする行政の思いが一致し、放棄されていた棚田の復田が始まった。丸山地区の農家で結成された千枚田保存会の働きかけにより、翌年には全国でも初めての『紀和町丸山千枚田条例(現熊野市丸山千枚田条例)』が制定され、千枚田オーナー制度を導入し、復田につなげている。現在、この地に日本最大規模の棚田があるのは、何世代にもわたる努力の結晶を、丸山の人々が守り続けてきたからである。 (日本工営 藤澤 久子)
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